大阪水曜ほっと集談会一世です。
非正規社員になって思うことがある。
同じ仕事をしながら賃金以外にも正社員との格差は歴然である。
そうなると、残念ながら会社のためとか、職場を改善しようと思う気持ちがなかなかわいてこない。
これも社会の事実であり、企業もその前提で雇用する。
ところでこんなに実践、行動しているのに症状が改善しない、よくならないという声を時々耳にする。
恐怖突入イコール森田だと思っていましたという率直な意見を聞くこともある。
逆にパニック症などに多く見られるように、行動が出来きるようになったので森田の学びをやめてしまう人もいる。
残念でならない。
行動を促すことは森田の入口としてはわかりやすい。
しかしそれが森田療法の目指すところかと言えば大いに疑問である。
私は30代~40代にかけて過労死ラインぎりぎりで働いた経験を持つサラリーマンである。
行動、行動で馬車馬のように働いてどうなったか?
家族のためと本当の自分の感情にふたをして仕事にのめりこんでいたのである。
体は悲鳴を上げていた。
やがてパニック発作により何とか体を守ることができた。
当時のこと言えば本音はどこか、とらわれを消したい、すっきりしたいという思いがあったと思う。
男女を問わず仕事や家事をしすぎることへの危うさについて今はこう思う。
残念ながら職場での仕事の大半は共同作業であることが多い。
いわゆるチームワークである。
一人で残業したり休日出勤を繰り返すとそれが当たり前になる。
逆に頑張りすぎることで周りとの調和を欠き批判を浴びることもある。
やがて過労から心身の不調に陥り極端な場合は鬱を引き起こしたりする。
家庭においてもどちらかが家事をしすぎることで子供やパートナーが何もしないという悪い循環が生まれる。
いづれにしても症状を無くするための行動は極端になりやすい。
また自分の行動が極端であることに気づくのは難しい。
集談会で他の会員の自己紹介から自分の行動を振り返る機会を得ることも多い。
行動することが森田と誤解されることがあるとすればそれは集談会を運営する私たちへのある意味で警告であると謙虚に受け止めたい。
2023.2.8 一世