大阪水曜ほっと集談会一世です。
おはようございます。
最近つくづく感じることがあります。
それは成功体験は共有できないということです。
中学生の頃から数多くの自己啓発本というものを読んできました。
私はこれで成功しました。
私はこの方法で立ち直りました。
私はこのやり方で富を得ました。
魅力的な言葉が並びます。
一見もっともな内容ですが、そのとうりにしようとしてもできないのです。
むしろ劣等感を助長させ自分自身を見失う結果となってしまったのです。
そこにはあることが欠落していました。
その人のもともと持っていた能力・環境・性格そういったものを無視して、見ようとしないで結果だけに憧れていたのです。
誰もが努力すれば大谷翔平選手のようになれるのでしょうか?
答えは一目瞭然です。
私たち神経質タイプは同じことをしてもうまくいかないことが多いかと思います。
若くして成功体験を積み重ねている人はやはりどこか極端にストイックであったり強引さや人間関係において切り捨てているものも多いと思います。
私たちはなかなかそれができない。
それからこれも大事なことですが、そのような強引で才能を振り回した生き方の出来る人々の成功とは私たちが求める成功とイコールでしょうか?
私にはそうは思えないのです。
若い頃文学にかぶれ、文豪と言われる作家に憧れましたが、その生涯は破滅的な一面があり家族が共に生活できるレベルではなかったことを知りました。
私たちにはそのような生き方は出来ません。
自己内省が働くのが、その理由です。
改めて神経質者には神経質者のやり方がありそれに伴い生きる指針も違ってくるのです。
世間基準や社会規範に合わそうとするのではなく神経質者が本来持っている性格を踏まえた上で日々努力する生き方が自然ではないかと思われます。
※今日の森田の言葉
(自覚と悟りへの道、水谷啓二氏あとがきより)
神経質症と確定したならば、本人の訴えがどうであろうと健康者として取り扱ってさしつかえないし、また本人自身も主観的にどんなに苦しくても、学生ならば人並みに学校にゆき、会社員ならば人並みに勤めに出なければならない。
それが自己本来の向上欲に沿うゆえんであり、幸福になる道である。
またそれが神経質症の苦しみを脱却するに止まらず社会人として伸びる唯一、無二の道なのである。
2024/06/12 一世