Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

蛇淵滝

2009-03-03 | 
春の気配が増してきた
休みにバイクで少し遠出
蛇淵滝という名の滝を見てきた

名前に蛇がついているので
季節がらうごめき始めているのではないかと思い
あまり近づかなかったが
人もおらず静かな場所だった



自然の中に身をおくというのは
なんとも気持ちが和むもので
しばし滝の周囲を散策した



その滝から10m位しか離れぬ場所に
滝と呼ぶには線の細い
一筋の水の落下を認める

その下にある石は窪まず
先端が丸くなっているのが
なんとも不思議な感じがした

春?

2009-02-16 | 
陽気に誘われ ミニツーリング
防寒せずとも快適
身軽にスイスイ
せせらぎには 春の香り



竜の名を冠した峡を歩くと
小ぶりながら心地よい滝

週明けからまた気温が下がるというが
そこここに
夏に向けての
生のエネルギーを感じる

立春

2009-02-04 | 

先日近隣の滝を見に行った
バイクを降りて30~40分歩いて到着
七重の滝という名前から
多段の滝を一望できるものと想像していたら
一の滝が現れた
その上を見るためにはどうやら急登坂をよじ登る必要がある様子
足元がおぼつかないので今回はこれまで

滝までの往復の道すがら
寒さの中にもどこか暖かさを感じ取っているのか
つぼみの中に小さい薄桃色の花弁をつけた木がある

確実に時は流れ 季節は巡っている

今日から立春
このブログのお陰で
無意識に通り過ぎてしまいそうな
季節の移ろいを意識化することができる

日々

2007-01-13 | 
旅に出ると
非日常に身を置くこととなる

自動的に
あるいは強制的に
周りを見る視点が変わる

本当は日常においても
毎日 常なるもの なんてないはずだけど
実際にそこに身を置いていると
変化を求めたくなったりする

通勤や通学で通る道
通いなれた道かもしれないが

そこにいる人 
通る車 
動物
風のながれ
天気
落下物
路面の状態
などなど
条件は常に変わっている

毎日が新たなる道なのだ

人生という道も
毎日が新しい

日々新たなり 

一里塚

2007-01-01 | 
正月
一年何とか過ぎました
身近な別れがありました
欠礼の挨拶状を 例年より多く受け取りました
患者さんも何人か見送りました

年を経るに従い
あと何回正月を迎えられるのかなあ
というのが実感として迫って来ますね

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門松は冥土の旅の一里塚  めでたくもあり  めでたくもなし (一休宗純)

cure & care

2006-12-23 | 
緩和医療を語る際に cureからcareへ次第に移っていく模式図がよく示される

cureというのは積極的治療

careというのは対症療法など苦痛を取り除くことを第一義とした治療

しかし実際はcureからcareへなだらかに移行していくと言うより
ある時期から段階的に
トン トン と
careの割合が増える時期が波状に押し寄せてくる印象がある

近年 ホスピスやホスピス病棟が増えている
そのこと自体は喜ばしいことだと思うが
いよいよcureのみが求められる状態になるまでに
できることはたくさんあると思っている

cureができなくなるとホスピスを勧めるむきもあるようだが
普段 癌の治療を行っている医師が
もっと緩和医療の技術を身につけ
ホスピスや在宅ホスピスへの架け橋となれるよう努力するべき事項が多いと思う

私は 外科医として現役である間は
癌のあらゆるステージ
早期癌 進行癌 そして末期癌の段階すべてに
関わっていきたいと思っている

まずは根治を目指すが
それがかなわぬ時も諦めず
少しでも良い状態となるよう
本人と話し合いながら治療を進めていく
なかなか難しいことだが

アイスマン

2006-12-14 | 
アイスマンとはじめて出会ったのは
留学中に読んだ Science だったと思う
強く印象に残った
10数年たった今でも 時折思い出す

普段私たちは
今 という時を中心としてものを考えるし
立っている場所からものを見ている

しかし 悠久のときの流れを感じたとき
その流れの不思議さに驚く

5千数百年前にアルプスの山中で力尽き
氷河に守られるように 遺体が閉じ込められたのち
近くをトレッキングしていた夫婦により見つけ出された ミイラ

アイスマンという名前も魅惑的だが
5000年前にも
人は 生き 生活していたという事実が持つ不思議さ
それは 心を奥のほうから揺さぶる感動がある

限り

2006-12-11 | 
 親のありがたさというものは 親が生きているときにもたびたび感じますが
 死んだ後に時が経ってなおさら
 何かにつけ しみいるようにありがたさを感じます

 人間は想像力故に他の動物と区別できるとの見方もできますが
 その想像力は大したものでなく
 大切なものを失う間際になり
 あるいは 失ってしまってから やっとそのありがたさに気が付くという情けなさです

 それでも気が付かないよりはまし

 自己のいのちが残り少ない事実を突きつけられるのは
 だれにとっても 楽しいものではありません
 ただ その時に悲嘆にくれるだけではもったいないような気がします
 今から 死とは自分にとってどんなものなのか
 時に 想像してみるのも 意義在ることだと思います

 限りがある故に 輝いている この有り難い生命への感謝を胸に抱く
 そんな時を持つことにより 人として一段高いステージに昇れるように思います

 最後の時が必ずやってくることは確かだとしても
 それが いつなのか 誰にもわかりません
 しかし その瞬間まで生きているのです
 大切に 感謝して 味わって 生きていたいものです

座標原点の移動

2006-12-07 | 
人間 視点を変えることが重要だとわかっていても
なかなか 変えられるものではない

ところが不思議なもので
旅に出ると 自然に目線が変わってくる
天気予報で 全国の天気などを見ると
既に旅先を中心として天気図を見ている自分に気が付く

物理的にも 気持ちの上でも
非日常に身を置くことになる

よく 自分探しの旅などという人を見るが
そんなことは信じない
自分らしさなどというのも信じない
人との関係においてはじめて自分が在るわけだから

ただ 確かに旅に出ると
少し離れたところから 
自分を見つめ直すことができる

静寂

2006-11-30 | 
 以前四国に半年ほど住んでいた時、剣山に一人でいった
 誰もいないキャンプ場にテントを張った
 耳が痛くなるほどの静けさ

 夜中に目を覚まし
 寝ぼけ眼で外を見ると
 周囲を無かったはずの高い山々が取り囲んでいる
 ???
 よく見ると雲海であった
 
 空には ぽっかり浮かんだ月
 古の人が
 月を友とする詩をうたう気持ちが
 少しわかった

 翌朝 頂上から 御来光を拝んだ

アメリカは広い

2006-11-26 | 
アメリカのミネソタというところに2年ほど住んでいたことがある
ゴルフ場の料金がとても安いので そのころはラウンドしていた
一応 四季はあるのだが、8月に短い夏があったと思えば
9月下旬ともなれば落葉の季節

ゴルフ場にも落ち葉が降り積もり
ボールがすぐわからなくなるのでゴルフ不能となる
その後は 長く 寒い冬

同じ時期にサンディエゴへ留学していた友人がいたので
一度遊びに行った
12月中旬に行ったのだが
ミネソタとは全く違う ぽかぽか陽気
日も長い
ダンディエゴでは年中暖かで 年中ゴルフができるとのこと

同じアメリカでこの違い
広いねぇー

しかし アラスカだとミネソタどころではないのでしょうね

土砂崩れ

2006-11-03 | 
 旅ゆけば、様々の図らざることが起こる。

 四国南西岸を足摺岬目指してペダルを漕いでいると行く手を塞ぐ土砂。

 今は知らないが、当時国道といえどもセンターラインのない場所が多かった狭い道を完全に塞いでいる。まだ土砂崩れが起こって間もないようで、復旧作業は行われていない。

 四国は山間に入れば道険しく、自転車を漕ぐ身としては回り道はつらい。エイヤッと荷物を積んだ自転車を持ち上げ、土砂を超えていった。

 後で考えれば、土が崩れてそのまま海へ落ちる可能性もあった。危険と隣り合わせであったのだ。しかしその時々で決断をして、歩を進めるのだ。

 生きていても、思わぬことは起こる。気が付かなくても多くの危険が身近に存在している。すぐ背後に死が迫っている可能性も否定できない。

 「今」を大切に、有り難く生きることが重要と考える。

こだわり

2006-11-02 | 
 「こだわる」という言葉は、否定的意味合いを含む使い方が正しいとか、肯定的意味合いで使うのだって正しいとか、言葉の包含する意味にまさにこだわる議論が時々あるようです。

 こだわるというのが、物事に拘泥する、とか執着するなどの意味を含む言葉と考えれば、わたくしもどちらかというと否定的な意味かなとも感じますが、やはり両面持っていていいと思います。

 こだわることが人間の逃れられない執着心や欲望や煩悩をしめすものだと思うからです。何かにこだわることによって進歩することもある一方、こだわりを捨て去ることで心がさわやかになり自由になる面があるのも事実。

 こだわりつつもこだわりに縛られない。こだわりを否定しないが、己のこだわりが絶対是とする硬直な考えも持たない。というのが妥当なところではないでしょうか。

 こだわるという言葉には、どうも硬くなってしまった状態も表している気がしますので、柔らかな心を忘れずに、といったところでしょうか。

 私自身、手術のやり方にはいろいろなこだわりがありますが、より良いやり方があればすぐにそれを取り入れる柔軟性は持たなければならない、というこだわりがあります。

美しさには惹かれる

2006-10-29 | 
 昔スキューバダイビングをしていた。慶良間に何度か行った。

 はじめて間もない頃、潜っているとヒレをゆらゆらさせながら、悠然と漂う、体長が20cm程度の魚がいた。揺れるヒレは体に纏うドレスのようであり、優雅で美しく、つい手を出しかけた。その時パートナーが両腕で大きな×を作り触らないように警告してくれた。

 魚はミノカサゴであった。

 背びれに鋭い棘があり、かなり強い毒を持っている。死に至ることは少ないようだが、刺されると激痛とともに腫れ上がるらしい。

 私の得た教訓
 
 1:自信の有るものは、泰然としている。

 1:知らないということは恐ろしい。知識は身を護るかも。

 1:美しさに惑わされてはいけない。…少し難しい…。

同窓会

2006-10-18 | 
 胃癌と大腸癌が同時に見つかり、73歳の時に手術をさせていただいた方がおられる。このたび5年経過したので再発の有無を検査しが、明らかな再発を認めず無事完治となった。

 この間に、呼吸機能が少し落ちて来たため、在宅酸素療法を昨年より開始されているが、携帯用酸素ボンベをもって外出もされており、いたってお元気だ。

 その方が今度、同窓会に参加する予定という。長い人生の旅を続けてきた中で、60年来の友と再会し、青春の一頁を紐解くのはきっと何とも言えぬ味わいであろう。それぞれの人生という年輪を、顔や心に刻んだもの同士が、一瞬にして若かりしころの俺、お前に帰る。きっと酒や食事もうまいに違いない。

 私は何歳まで生きているかわからないが、もしそのような同窓会のチャンスがあるならば、穏やかな心で参加できるような人生を積み重ねていきたい。