Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

相撲協会なんか

2007-09-27 | 想い・雑感
小学校低学年の頃
毎年相撲大会が行われていた
得意だったので楽しみにしていた
まだ大鵬が現役だった頃なので
祖母とよくテレビで相撲を見もした

貴乃花と輪島が活躍していた頃までは
私も興味を持って相撲中継を見ていたが
見なくなって随分経つ

若貴のころから
相撲がニュースになる時はあまりいい話がない

そしてここに来て暴力事件ときてしまった
相撲協会のコメントと言えば
相変わらずきちっとした声明も出せない
政治家以上に説明責任を果たせないその姿を見ていると
やはり公益法人の名に値しない協会であることは明らかだ
朝青龍にペナルティーを課す資格など
この協会にはないのだ

大半の親方や力士は精一杯やっているのだろうに
相撲協会が
協会の理事が
やるべきことをやっていないのだろう
北の海理事長など責任を取ってまず辞任する方が良いのではないか

親方が率先して暴力をふるう図を思い浮かべると
身の毛がよだつ
体がいくら大きくたって
高校1~2年の少年がその中で異議をとなえることなどできなかったろう
どんなつらい思いをしていたことだろう

御遺体の検死はなされていたのだろうか
なされていたのならばもう一度精査し
死因を特定した上で
暴力をふるった親方や弟子たちの法的処分を
きちっと行って欲しい

非日常

2007-09-26 | 想い・雑感
旅に出るときなどは
日常から非日常への
軽やかな飛翔を感じることができる

一方好まざる状態で非日常へ引き込まれることもある
災害
事故
犯罪
急病 などなど

それまでとは断絶を持って非日常へ移されてしまう
とは言え これらの非日常は緩やかに日常へと変化していく

終末期に病院という非日常へ移動させられてしまうと
病院での生活が日常と言えなくもないが
病院の都合やリズムで生活せざるを得ず
自分のリズムを主張できる日常へは二度と帰れなくなる
そこで人生の最後を迎えることとなる

旅立つものにとっても
見送るものにとっても
病院という環境でしっかりとバトンを渡せるものなのだろうか

先日どこかのアンケートで
死を迎える場所として病院をあげる人が最も多いという結果が出たそうだ
そう答えた人の中には
現状を見渡して病院以外ではいろいろな不安が出てくる
仕方ないけど病院が一番安心かな・・・
と考えた人も少なくないであろう

そういう人の不安を取り除けた場合
本当に死に場所として選びたいところというのは
どこ なのだろうか



ちょっとした違い

2007-09-24 | 想い・雑感
 インターネットへの接続をワイヤレス経由で行っていた。ところが、無線を飛ばす機械がここに来ていきなり調子が悪くなりダウン。その機械をはずし、直接LANケーブルでつなぐこととした。普通にコードをつなげばインターネット接続可能だろうと思いきや、なかなか接続できない。結局は、無線では使っていなかったLAN接続の設定が少し違っていただけだった。

 ちょっとした違いなのだが、コンピューターにとっては大きな違い。コンピューターって本当に言ったとおりのことしか…と言いかけてちょっと待った。

 人間も様々な思いこみから、ちょっとした違いを大きな違いと判断し、あるところから一歩も前に出られなくなることがある。思考や感情が硬直している状態なののだ。そこを柔らかく、緩やかに、するりとすり抜け、進んでいけるようになって初めて、ちょっとした違いで動けなくなるコンピューターに対して、「困ったやつだ。」と言えるのだろう。

 人にはそれぞれの”想い”がある。それは”思いこみ”かもしれない。こだわりを持つことは時には必要だろうが、こだわりを通り抜けたところにもっと良い世界が広がっていることが多いような気がする。

送ることば

2007-09-20 | 医療・病気・いのち
人が亡くなるとき
最後まで耳は聞こえているということを言います

私自身そう信じていますし
家族の心残りを少しでも減らしたいという思いもあるので
いよいよの間際になっても
なるべく家族から患者さんへ声をかけてもらうようにしています

ある男性の場合
あえぐような呼吸となり
心拍数もカクン カクン と落ちてきた
傍には奥さん
「もうすぐ○○(息子)が来るよ。」
と声をかけるたびに
少し心拍数が持ち直す
その効果が薄れたころに息子さんが病室に

息子が手を握り父親に声をかけると
また心拍数が持ち直すと共に呼吸も若干よくなった

しかし流れには抗し切れず
いよいよ心拍数が0に近づいたとき
携帯電話から娘さんの声
なんと心拍数が80くらいまで回復した
どう見ても声が脳に届いているとしか思えないではないか

人が亡くなるときには
動きがなくなり
意識もなくなり
周りの人間がいろいろ刺激を与えても反応もなくなる

でもそんなときでも声は聞こえているのに違いない
ぜひやさしい言葉 ねぎらいの言葉とともに
感謝の言葉をかけて見送ってほしいと思う

微笑み

2007-09-19 | 想い・雑感
いつも微笑んでいる
人が見ていぬところでそっと涙を拭うこともあるだろう
でもいつも微笑んでいる
そしてゆったりと暖かく佇んでいる
しかし一所にずっととどまったりはしない

どんなことでも心穏やかに受け止め 楽しんでしまう

自分を信頼しているから
自分というものがしっかりとあるから
むやみに人のせいだと考えたりもしない

ただ微笑んでいてくれる

ぶどうジュース

2007-09-17 | 想い・雑感
今朝庭のぶどうに一匹の蜂を見かけた
こりゃ大変と
早速8房ほど収穫した
数個食べた後 (なかなか甘い!)
ぶどうジュースを作ることとした
ミキサーか何かで一気に作るものと思いきや
水で洗った後に何と火にかけるのでした
ことことと約40分
実と皮などが離れ水分がしみ出してきた
2回濾して出来上がり
正真正銘100%ぶどうジュースの出来上がり

誤嚥

2007-09-17 | 想い・雑感
 口と鼻は奥で繋がっています。食道と気管もその延長線上にあります。気管の入り口にある蓋(喉頭蓋)が開いているときは呼吸ができる状態であり、閉じているときは食物や唾液を飲み込むときです。この蓋が非常にタイミング良く閉じたり開いたりすることによって、気管の中に空気以外のものが入らないようになっているのです。

 このタイミングがずれたりすると、気管の中に空気以外のものが入ってしまい、咳き込むことになります。若い人でも、食べている途中に大笑いしたりすると、急に咳き込んでしまうことがありますが、これは気管の入り口に食べ物か液体が入りかかってしまったのを、咳として排出しようとしているのです。

 年をとると、この蓋の動きが悪くなって、気管から肺の方へ食べ物が入ってしまうようになることがあります。そうなると肺炎(誤嚥性肺炎)を起こします。お年寄りの肺炎は、誤嚥性肺炎が多いのです。

 誤嚥というと、食べ物が気管に入ることだけを考えて、医療者でも患者の食事を止めることが多いのですが、唾液を誤嚥することも多いのです。口の中には雑菌が要るので、その細菌が含まれた唾液が気管から肺へ入ってしまうことによって肺炎が引き起こされてしまうのです。

 これを防ぐためには、口の中をきれいにする、入れ歯もよく磨く、虫歯や歯周病の治療をしておくなどと言うことが大切になります。また嚥下にはのどの周囲の筋肉を使うのですが、それを鍛えておくことが必要です。鍛えるには、お喋りをしたり、舌を口の外に出したり引っ込めたり左右に振ったりと舌を動かしたりするのが良いようです。

蘇る

2007-09-16 | 想い・雑感
 自動車事故にあった男性が救急隊員から死亡と判断されたが、解剖される前に出血という生命反応を確認され助かったという出来事が、ベネズエラであったそうだ。死を疑いないものとする状態だったのだろうが、救急隊員が死を判断し、病院の遺体安置所に運ばれたというのが、日本ではあり得ないことでおどろいた。

 以前は心臓の鼓動や呼吸が止まった状態で病院に搬入された人をDOAと言っていた。Dead On Arrival(到着時死亡)の略である。しかし心肺機能が停止した状態でも蘇生によって回復する可能性はあるので、Deadという表現は適してないとのこととなり、現在ではCPAと呼ばれるようになっている。CardioPulumonary arrest(心肺停止)の略である。
 CPAの患者にたいし蘇生を行い、もう蘇生の可能性無しと判断されたときに初めて死亡を宣言されることとなる。病院到着時に、はっきりと死亡しているのならば、もともと蘇生の意味は無いわけである。

 事故の男性は、救急隊員から蘇生の可能性無しと判断されてしまったのだろうが、死亡の確認は十分に行う必要がある。柩の中や、墓の中から助けを求める必要の無いようにね。

失って

2007-09-16 | 想い・雑感
幼い頃は大人にあこがれ
若き時代が過ぎ去ると若さを懐かしむ
現在の自分を違う状況においてみたくなるのは
よくあることだが
子供が大人になっていくのは未来に起こりうる事なのに対して
年齢が高くなったあとになって
若き時代に戻ることは出来ない
当たり前だがちょっと寂しい
ただ 今をしっかり歩むことだと言い聞かせる

失った後にその大切さを思い知らされることというのはある
親との別離という物はその最たるものだろう
健康もそうである
一時的な病気であっても健康のありがたさが身に滲みるが
元の状態に戻れない病気というのは健康な時期を振り返るとつらくなる

事故や脳梗塞の後遺症で自由がきかなくなった体
手術の後遺症で何らかの痛みを抱え込んでしまった体
進行癌で命までも怪しくなってしまった状態
喫煙で冒されてしまった呼吸機能
不摂生から糖尿病のコントロールが出来ずに失ってしまった視力

つらい状況だが
生きているからつらい
そして生きている間はしっかり今を生きる
ということしかないのだと思う

過ぎ去った過去やまだ来ぬ未来の事ばかり考えても
今を生きることは出来ない

肝動注

2007-09-14 | 医療・病気・いのち
 肝動注療法といって、消化器癌の肝転移に対して、肝臓へ行く動脈から直接抗がん剤を送り込むことがある。肝臓以外に転移巣がない場合や、肝転移が予後を左右すると思われた場合に、施行することが多い。
 足の付け根の動脈から、細い管の先端を肝動脈まで送り込んだ状態でおいておき、もう一方の端は右下腹部の皮下に埋め込んだポートにつなぐ。そして定期的にそのポートから抗がん剤を注入するのである。
 これとて結局は抗がん剤治療なので、一旦腫瘍が縮小してもまた大きくなってくるし、必ずしも予後の改善は期待できない。しかし、中にはこの方法で肝転移があるにもかかわらず、1年、2年と命を永らえることもあるので、本人や家族と相談した上で、行うことがある。
 どの治療方法まで行うかは、本人の気力や生き方と密接な関係がある。そして、この肝動注までやるのとやらないのとどちらが正解とは決められないのである。

言の葉

2007-09-14 | 想い・雑感
言葉はナイフにもなるし 楯にもなる
言葉は人を傷つけることもあるし 守り癒すこともある
人は言葉によって考え感じる
そして同じ言葉でも人によって受け取り方が違う

人と話すときには
言葉に十分注意する必要がある
特に追いつめられた気持ちになっている
患者さんやその家族と話すときには特に気をつける必要がある
と思っている のだが
なかなか難しい

先日看護師の一言に
いたく傷ついた家族がおられた
いよいよ夫の お父さんの 最後が近いという状態だが
その家族はそれを冷静に受け入れようと必死だった
冷静になろうとしていると言うことは
冷静でないことの裏返し
まあ冷静になれないほうが自然である
そんな時の突き刺さる一言というのは
普段なら何とも思わないような言葉だったりする

そこを理解せずに
感情的な言葉を言われると
感情的な反応をする看護師や医師がいる
まだまだだなあ
などと端から見ていると思うのだが

もともとぽろっと要らぬことを言ってしまう私などは
アチャーと思うことがしょっちゅうである
人のふり見て…である


ぶどう

2007-09-12 | 想い・雑感
我が家のぶどうも最盛期をやや過ぎかけてきた
別に手を加えているわけでもないのに
甘い実をつけてくれる

ぶどうがその細胞の中に
ずっと保ち続けている
生命のプログラムを
人間の思惑とは無関係に
実行してくれている

罪だね いい加減な療法

2007-09-11 | 想い・雑感
手術は痛いし 苦しい思いをするのは嫌だ
だれでもそう思う
ただ単に楽である治療が最良というわけではない
ということは誰にでも分かる

特に進行癌ではなく
高い確率で治癒を期待できる場合に
民間療法などを選択するのは
もったいないなあと思う

当然治療法選択はその人の勝手だから
私が善し悪しを言うことはでないし
言うつもりもない

でもモッタイナイ

東京のどこでしたのか知らないが
乳癌のしこりだけ取って
あとは民間療法(詳細は語らず)を選択したという人の話しを聞いた
当然の如く局所に再発
おそらく切除もいい加減で
周囲に取り残しがあったのに違いない

他に明らかな転移がないことを考えれば
初回にきちっとした手術をしていれば
今回のように切除した局所に癌が再発してくるなんてあり得ないし
今回手術する必要なんて当然なかっただろうに

その方もいろいろ悩んだ上でそれを選択したのだろうが
選択する上でやはり逃げていた面があるのだろう
嫌な現実から逃げてもいいことはない
きちっと向き合い
どうしたいかを考えて進まなくてはいけない
そして進んでしまえば
後悔しないようにするしかない
そして今どうするかを考えることに集中するしかない

それにしても
こんないい加減な治療をしている所があるのが
驚きだ

新しい治療と称しているものの中から
今後のスタンダードが出てくる可能性があるのは事実だが
多くは悪しき治療である可能性が高いのも事実だ
飛びつかない方がよい

ため息? なみだ?

2007-09-09 | 想い・雑感
この世に生きてきたことを確認するかのように
少し大きくてゆっくりした息を最後にすることが多い

ため息のようでもあり
安堵の吐息のようでもある

それと前後して心臓も脈打つことを止めてしまう

また 間際に 目尻から一筋の涙が流れることもある
瞬きをしないから溜まる涙があふれるだけなのだろうが
別れの悲しみを訴えているようでもある

生と死の境界がここだ とは
なかなか決然と言い難いが
そこには決して戻れない
深い深い溝がある


…と思っているのかな?

2007-09-09 | 想い・雑感
人は毎日様々な経験を積み重ねていく
その経験を記憶として蓄える
そして記憶の断片を組み合わせて
思考 創造 想像する

歯の痛み
怪我の痛み
手術の痛み
などから人の痛みを想像する
想像することは大切だが
自分の想像通りと思わないことも大事

親との別離
友や恋人との別れ
そんな中から人の別れの悲しさを想像する
想像することは大切だが
自分の想像する悲しさと同質と思わないことも大事

自分の経験から
他の人の気持ちを慮ることは大切だが
人の気持ちは自分が考えたものとは必ず違う
ということをわきまえておく必要がある