Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

残る桜も…

2006-03-31 | 想い・雑感
桜の季節です。
花見の場所取りにそわそわしている人もいるでしょう。
桜を愛で、酒を飲むという習慣は、日本以外ではあまり聞いたことがありません。
きっと日本人の情感にぴたっと来るのでしょうね。

桜を見ると必ず頭に浮かぶのは

 散る桜
   残る桜も 
     散る桜

という句です。

後先はあっても、俺もお前も、彼女も彼も
みな生あるものは死ぬ定めなんだよ。
こういう思いから、より命に対する慈しみの心も湧いてくるように思います。

この感じ方は、日本が長い時の中で、育んできたもののはずです。
いずれ死ぬもの同士というところから、
西洋から入ってきたミーイズム、歪な個人主義、生き残り、勝ち負け
などという発想を超えた、包み込む穏やかさが出てくるものと信じます。

桜の中に生と死を感じ、桜を通して自然を自分の中に取り入れ、人も自然の一部であることを納得し、生きとし生けるものまたそれを支える自然すべてを慈しむ心。何とすばらしい心象風景を持っている民族なんでしょうか。21世紀が人類滅亡の時代とならないよう、もっとこの感じる力を世界に発信していく必要があると思います。

内蔵感覚

2006-03-30 | 想い・雑感
 これまでの人生を振り返ってみて、大きな転機となる事項を決定するときには、意外と悩まずに決断してきたような気がする。何となく一つの方向を選んでいる。これを直感と言うこともできるだろう。

 人が一生懸命悩み考えていると思っているときは、大脳皮質をフル回転させているのだろう。大脳皮質は新皮質とも言われ、長い生命の歴史の中では、新しい脳である。普段私たちは意識していないが、その新皮質を下支えしている、機能的には包み込んでいるのが旧皮質や中脳、それに小脳である。

 直感という言葉は内臓感覚と言われることがあるので、あまり意識に上らない、つまり大脳皮質以外からわき出てくる感覚や情報が皮質に指令を出すのかもしれない。

 普段の診療の中でも、この内臓感覚という言葉は大きな意味を持つと感じる。患者さんは、説明などを受けて、論理的に理解する部分とは別に、ご自身の体、特に内臓から発せられる信号を、意識するしないにかかわらず持っている。

 漢方薬を処方するときなどは、短期間服用していただき様子を見る。そして症状の変化を見るのであるが、患者さん自身が「飲みたくない。」とか「効かない。」とか言われるときは、その薬はやめた方が良いことが多い。

 抗癌剤を使用して、検査上は改善しているようなときでも、「広がっているような気がする」と言われるときにはそれが残念ながら当たっていることが多い。

 精神疾患や認知症の方に手術が必要となった場合には、身内の方にも説明して手術を受けるか受けないか決めていただく。患者さん自身に理解力が無いと判断して、結論を身内の方が出すこともある。しかし余程でないかぎり、患者さんご自身が、「いやだ。」と言われたら、手術はしない方がよい。印象としては、ご自身がいやがる場合、術後の合併症も多い。

 カンがいいとか悪いとか言われるが、内臓感覚という意味ではすべての人が持っているはずだ。時には、体の奥から送られてくる合図に、耳を傾ける時間を持つことも必要だろう。その方が、大きな間違いが無いような気がする。

黄砂

2006-03-29 | 想い・雑感
 大陸での砂漠化が進行している。日本にやってくる黄砂は、チベットからもやってくるらしい。

 毎年この季節になると、黄砂がやってくる。
 雨が降ったりすると、外に置いてある車が泥をかぶったようになる。その程度は、以前よりひどくなったように感じる。

 実感として、地球に何かが起こっている。

 人類が滅びるとすれば、環境の変化のためか。 それとも放射能のためか。

魚の脂肪を持つ豚?

2006-03-28 | 想い・雑感
 米の研究チームが、魚に多く含まれるω3系脂肪酸を多く含む豚を、遺伝子組み換えとクローン技術で誕生させたらしい。

 魚の脂肪の方が、動脈硬化などを抑えると一般的にいわれており、ヘルシーな豚肉を目指し研究を進めていくらしい。

 ただ、ω3系脂肪酸が必ずしも優れていないともいわれており、どうなりますか。

 それにしてもこの豚肉、焼いたりすると焼き魚のにおいになるのかなあ。

もう手術はできない

2006-03-28 | 想い・雑感
 現在胃癌を中心として診療を受け持っている。

 手術という治療法には、どんなに注意しても100%安全と言うことはあり得ない。麻酔で使用する薬による影響で命を落とすこともある。手術中に脳梗塞を起こすこともある。合併症だけでも分厚い本何冊か必要なくらいあるのだ。主な合併症は手術前に説明するが、すべてを語り尽くすのは無理である。

 新潟の県立病院で胃癌術後に死亡した件に対し、地裁が1億円以上の支払いを命じたらしい。経過が分からないので何とも言えないが、起こりうる合併症であれば、そこまで責任を求められるのは厳しいと思う。

 当然のことながら、ほとんどの医師は一生懸命治療のことを考える。それでも起こりうるリスクは現実に存在するのだ。そのリスクに対する責任まで求められるのならば、もう手術は出来ない。

 検察にしろ、裁判官にしろ、医療を理解しているとは限らない。他院での医療事故に関して調書作成に協力したことがあるが、本当に理解していない。しかし現実に裁く立場の人間はそうなのだから、危うきに近寄らず、と思う外科医がどんどん出てきても不思議ではない。

説明責任

2006-03-27 | 想い・雑感

  医療現場では、説明責任を強く求められる。個人の命に関わることであり、理解できるように説明する義務は当然ある。 

 政策決定には多くの人の命に関わるような場合が多いわけだから、なおさら説明責任という言葉の重みを真摯に考えていただく必要がある。

 今回、佐賀県知事がプルサーマル計画を受け入れた件についてはどうであろうか。現実に原発が稼働しているのだから、核燃料の再利用は検討を要することかもしれない。しかし、説明責任という視点から見て、はたして意を尽くしたのだろうか。 

 佐賀県知事は、県民に対する、特に多くの署名を集めて意思表明をした人たちに対する説明に、どれくらいの時間を割いたのだろうか。「国が安全を保証してくれた」ということが、説明になっているのだろうか。

 国はどうだろうか。受け入れ先の県や町との間だけで話を進めるのでなく、事故があれば多大な影響を受ける、周囲の県や地域に対しても説明責任があるのではないだろうか。

 ちなみに私だったら説明してほしいなと思うことは、

 1:管理補修体制はどの程度信頼できるのか、

 2:自然災害、特に福岡西方沖地震のようなものに対する安全性確保のために、震度どれくらいまでを想定して安全対策をとるのか。

 3:日本自体がテロの攻撃に弱い国だと思うが、テロ対策はどうしているのか。特に、施設自体への攻撃とプルトニウム略奪への対策が気になる。

 4:現在の日本で、さらに電力の需要は増すのか。それほど消費が伸びないのであれば、代替エネルギー開発にお金をつぎ込んだ方がいいのではないか。

 5:ウランとプルトニウムを混ぜて使用しても、またプルトニウムができるのではないのか。

 6:再利用後の廃棄物はどのように処理するのか   などである。

 プルサーマル計画の内容をほとんど知らない私でも、これくらいの疑問はすぐわいてくる。  放射能汚染は、現在生きている人間だけでなく、今後数万年にわたっての責任である。手術の説明でも1時間はかけて行うのだから、放射性物質の扱いに関してはもっと時間をかけた丁寧な説明が必要と思う。広島、長崎の原爆から約61年、チェルノブイリから約20年程度で、放射能の恐ろしさに対する感覚を風化させていいのだろうか。私たちに本当の恐ろしさを理解させた上で、それでも大丈夫なんですよというところを説明してもらわないと、安心できない。


プリオン病

2006-03-26 | 想い・雑感
 BSE問題が取り上げられるにつれ、プリオンという言葉も良く聞くようになった。プリオンというタンパクの3次元構造が変化(αーβ変換)が起こり異常プリオンとなると、近くの正常なプリオンタンパクも異常構造をもつという。この新発想を提示した研究者はノーベル賞を受賞した。
 でも本当なんだろうか。頭が古いせいかどうもぴんとこない。

 異常プリオンはなかなか破壊できないというのが本当なら、もっと病気が拡がるはずでは?

 経口摂取で感染するなら、脳や脊髄以外からも感染するのでは?

 異常プリオンの濃度と感染力が相関しないらしいが、それでプリオンが原因と言えるの?

 タンパクの立体構造が、異常プリオンが近づいただけでそんなに変化するの?

 アミノ酸配列も変わらずに、他の物質に近づいたからといって、それほど大きな構造変化をするタンパクが他にもあるの?

 などなど、疑問ばかり。
 実際のところ、異常プリオンが原因なのか結果なのか、完全には証明されていないらしい。

 BSEに対するアメリカでの検査態勢不備も気になるが、大元のBSE自体の原因が完全解明されていないことも不気味だ。

救急車

2006-03-26 | 想い・雑感
 救急車の出動件数が全国的に増え続けているようで、私の住む町でも同様である。救急隊の出動許容量を凌駕する勢いだ。

 救急車で搬送されてくる人の中には、誰がみても軽症で、救急車を呼ぶ必然性が皆無の方も少なからずいる。タクシー代わりに呼んだとしか思えない人もいる。救急隊の方は、人を助けるという使命感の強い人が多いが、あまり必要以上に呼ばれると疲労感は蓄積するだろう。

 そこで今後、救急車を呼んだ人の緊急度を判断して優先順位をつける(トリアージ)方向で検討に入るという。

 Triage(トリアージ)を英和辞典で見ると、(1)商品の選別格付け、(2)治療優先順位に基づく負傷者の分類、(3)緊急性有効性による限られた資源の選別的分配などとある。

 このうち(2)が医療分野の話で、戦場での負傷者の緊急度を区別するためにトリアージと言う言葉がはじめて用いられたそうだ。日本では、阪神淡路大震災以降、この言葉をよく耳にするようになった。

 限られた資源、人員、環境の中で、できる限り多くの人々を救命することをめざした理念で、一般的には、
 1:一刻を争い、直ちに救命処置がとられなければ死にいたる、
 2:治療が必要だが時間的余裕がある、
 3:軽症群でほとんど専門の治療を要しないもの、それと
 4:死亡あるいは死が必然であるもの、
に分けて考える。

 ただ言葉で書くと簡単そうだが、病気というのは時間の経過と共に大きく状態が変化することがあり、その判断は難しい。

 トリアージの際に、軽症を重症と判断しても大きな問題にはならないが、逆の場合が問題になる。どのように優先順位を決めるか、明確に規定していないと、救急隊の方が非常に困るだろう。優先順位を上げていたら助かっていたかもしれないケースが出た場合、責任の所在はどこに行くのかも決めておく必要がある。

中国での臓器移植

2006-03-25 | 想い・雑感
 日本人が臓器移植を受ける場合、アメリカやオーストラリアなどで移植を受ける方のニュースが流れることが多い。しかし、お隣の中国で臓器移植を受ける邦人が少なからずおられることを最近知った。

 中国のメディアによると、2004年には約2700例の肝移植、約6000例の腎移植が実施されているとのこと。さすが中国共産党一党独裁国です。一旦始めると、規模が違いますね。ただ気になるのは、臓器提供者の大多数が死刑囚であること。中国でどのような犯罪を犯すと死刑になるのか分からないが、死刑囚の数自体が、先進国と比べて桁違いということを示している。肝臓や腎臓以外の臓器移植も行われているでしょうから、下手すると年間1万人規模の死刑囚がいるということになる。その中にはいわゆる政治犯(逆レッドパージ?)もいるに違いない。

 「死刑囚本人の自発的署名、または家族の同意を得た上で利用できる」との見解を中国は表明しているようだが、どこまで信用できるのか。死刑囚が本当に自由な意思で提供に同意しているかどうか、きちっと分かる手段を示してもらえないかぎり、疑問が残る。

 死刑執行日にあわせて準備ができるわけだから、生きのいい臓器を使用できるという医学的意味ではメリットかもしれないが、背筋が寒くなる。移植手術の直前に、確実に1人の人が法の名の下に殺されているわけですから。

禁煙

2006-03-24 | 想い・雑感
 病気の治療をするならば、病気自体が早期であるほど、また軽症であるほど容易であるのは当然である。しかし、もっといいのは避けられるなら病気にならない工夫をすることである。そこにお金を使うことにより、治療に必要なお金が少なくてすみそうなことは予想が付く。予防医学の出番である。

 恐らくその一つの試みであろうが、ある程度の喫煙歴のある人をニコチン中毒という病気であると健康保険上認められた。JTは、発ガンや呼吸機能障害は煙草だけの問題でなくいろいろな因子が関与しているとして反発している。確かにそうであり、排気ガスその他の問題についても解決していく必要がある。しかし、煙草が肺ガン、食道癌、胃癌、乳癌などの癌、慢性閉塞性肺疾患、循環器障害など多くの病気を引き起こす危険性は多く報告されており、喫煙者を減少させることは、予防医学上重要なことだと思う。

 病院側も、保険診療で禁煙指導を行うためには、病院構内が禁煙であることが求められる。分煙でなく禁煙としなければ、副流煙の問題は完全解決とならないので、健康推進が使命の病院では当然のことだと思う。分煙の策として喫煙所をもうけたところで、その近くは煙たいですからね。

別れの季節

2006-03-23 | 想い・雑感
 3月。
 日本では別れの季節ですね。
 そして、送別会の季節。
 飲み過ぎてませんか?

 かつて何度となく「もう酒なんか飲むか!」と思いつつ、気が付けば二日酔い。

 そこまで飲まなくなったのはようやく最近のこと。でもやっぱり、一旦飲みに出ると翌日まで何となく残る位は飲んでいる。

 シラフの時にいくら二日酔いにならないための飲み方を学んでも、飲めばそれもどこかへ飛んでいく。

 手術を受けた方や、呼吸機能の悪い方に、煙草を止めるようには勧めるけれど、我が身を振り返るとお酒を止めろとは言い難い。

 「胃を切った後は、少しはやく酔いやすくなりますから、ほどほどに…。」などと今ひとつ迫力が無い。まあ、お酒を止めるために手術をするわけではありませんので、よろしいのではないでしょうか?

ミクロの決死隊

2006-03-23 | 想い・雑感
 昔「ミクロの決死隊」という映画があった。確か小さくなった人が、血管の中に送り込まれて、血腫を除くというような内容だったと思うが、ほとんど記憶に残っていない。しかし、ミクロという言葉に神秘性を感じる時代だったように思う。様々な機械などもミリメートル単位の誤差からミクロ単位の誤差を求めるられるようになり、集積回路なども発達してきた。

 「大きいことはいいことだ♪~♪」という風にどんどん巨大化していく流れと、ミクロの世界への流れとがともに進み、世の中は進化してきた。

 そして時代はナノテクノロジーへ。1mの10億分の1という1ナノメートル。ほとんど分子や原子の大きさに近づいたその領域での様々な技術がナノテクノロジーと呼ばれると言われても、想像を絶する世界。でもこの技術が21世紀を支えていくのでしょう。

 1ナノメートルのスケールで機械のように動く分子は「分子機械」と呼ばれ、医療やナノテクノロジーの分野での利用が期待されているそうで、決死隊などを編成しなくても、人体内からの治療などが出来るようになるのだろう。

 東大の研究者が、アゾベンゼン、フェロセン、亜鉛ポルフィリンという3つの物質の分子を結合させ、長さ約3ナノメートル、幅約1ナノメートルのペンチのようなものを作ったそうだ。光に応答してペンチが動き、挟まれた分子がねじられたことを確認したとのことだが、驚異の世界。

 子供達の理数離れが進んでいると報道されるが、それが事実ならば日本は科学分野での後進国になっていくかもしれない。自然の探求というわくわくする世界を子供達に伝えるには、大人がその楽しさを繰り返し語りかけることも必要だし、先端技術に触れる機会を作ることも大切だろう。


筋弛緩薬

2006-03-23 | 想い・雑感
 動物は、筋肉を収縮させたり弛緩させたりして、体を動かすことができる。顔の表情も、筋肉を動かすことにより作り出される。この筋肉(骨格筋)は勝手に縮むわけではなく、神経を伝ってやってくる司令の下に動いている。

 その伝令が伝わる場所を、神経・筋接合部と呼ぶ。麻酔補助として用いられる筋弛緩薬は、この接合部に働いて筋肉が収縮しないようにする薬だ。有る程度の量を使えば、手足が動かなくなるだけでなく、横隔膜なども動かなくなる。つまり呼吸ができなくなる。毒矢に塗られていた毒物の中には、この筋弛緩作用を持つものも有ったらしい。

 手術の際は、意識を取った後に、この筋弛緩薬を使用する。呼吸をしていたり、急にからだが動いたりすると危険だからだ。その間は、人工呼吸をすることになる。

 仙台の筋弛緩剤点滴事件は、この薬を実際に被告が点滴したかどうかが最大の問題。もし意識のある人に実際筋弛緩剤を使用したとしたら、意識があるのに呼吸ができなくなり、助けを呼ぼうにも体は動かず、窒息していくという状況になる。何とも残忍な方法だ。

牛乳

2006-03-22 | 想い・雑感
 私は牛乳が好きである。
 コーヒーを飲むときも、牛乳を入れる。
 牛乳を飲み続けているので、飲んだ後にお腹がごろごろすることもない。

 牛乳を飲むと下痢をしたりする人もいる。牛乳不耐症の場合が多い。これは牛乳に対するアレルギーではなく、牛乳の中の乳糖を分解する酵素が少ない人に発症する。

 授乳期後に乳製品を摂取する機会が少ないと、乳糖を分解するラクターゼという酵素が減少し、発症することもある。そういう人には、最初から乳糖をブドウ糖とガラクトースに分解してある牛乳も販売されている。

 牛乳というとカルシウム、と考える人も多いだろうが、三大栄養素をバランスよく摂取できる、栄養食品だ。出来るならば、毎日の食生活に取り入れた方が良い。

 牛乳を一日500ml飲むと、大腸癌の危険性が12%減少するというハーバードからの報告もある。またミルクコーヒーは、下手なスポーツ飲料よりも、ずっとスポーツに適しているとの報告もある。

 今年日本では、牛乳が余り、かなりの量を廃棄処分するらしいが、食品としている命を捨てるようで悲しい。

サリン裁判

2006-03-21 | 想い・雑感
 もう11年経ったんですね。地下鉄サリン事件。

 首都東京の地下鉄で、朝の通勤時間帯に多くの人が倒れた。

 テロか?という話しが出たときには、国外からの組織かなとぼんやり思ったが、国内組織オーム真理教が実行。

 実行犯の何人かにはすでに死刑判決がでているが、松本被告はまだ刑が確定していない。公判途中からの被告だんまりが続き、実質的裁判が行われていないような状態なのだろうか。

 現在は、訴訟遂行能力があるかないかでごたごたしているようだが、実行当時に心神耗弱などあり得ないだろう。行った罪に対し刑を確定していけばいいのではないかと素人としては感じる。

 公判を通じて事実関係を明らかにしていく努力は必要だが、あまり時間をかけるのも被害者には苦痛なのではないだろうか。

 サティアンへの捜査が入ったとき、天井裏のようなところへ身を隠していた被告。それは、作り上げた自分勝手な正義に向かい人を動かしていながら、実はそこに正義がないと認識していた被告の姿なのではないだろうか。偽物ながら宗教集団を動かしてきたなら、せめて胸を張って自己正当性を主張するくらいすればまだこちらも彼なりの義があったのかと勘違い出来るかもしれないが、こそこそと逃げ出すような態度は醜い。

 すべてを白日のもとに晒すことに執着し時間を使い過ぎることなく、明らかにされた罪に対して償いを求めていってほしい。