Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

視点の変化

2006-09-30 | 
 喜納昌吉の「花」をはじめて聞いたのは、米国の中西部にある大学に留学し3ヶ月くらいたった頃だった。日本から送ってもらったその年の紅白歌合戦のビデオに収録されていた。

 特にホームシックにかかっていたわけでもないと思うのだが、この歌が心にしみ込み涙が流れた。何度も繰り返し再生し、日本語のやさしさ、美しさ、柔らかさなどを実感した。

 それまでと違う場所で過ごすというのは、物理的位置が変化するだけでなく、自分の視点も大きく変えてくれる。私もその留学の2年間が、最も日本を意識した時だと思う。また、自分のアイデンティティーとしての日本を、最も欲した時期であったと思う。

 その大学には、日本語学科があったお陰で、図書館にはかなり文庫本や文学全集、歴史書などが置いてあった。私は、研究書よりはるかに多くの日本の本を借り出しては読みふけった。日本語が気持ちよく体にしみ込んだ。

 今の日本では、内容のない挨拶言葉を習うために、英語学校なるものに高い授業料を払う人も多いと聞くが、日常会話程度の英語はやる気があるなら、CD付きの数千円の本一冊を繰り返し読み込めば十分であろう。

 伝達手段としての英語の習得などに力を注ぐ前に、物事を如何に考えるか、どのように感じるか、如何に自己を確立していくか等の方が遙かに重要だろう。日本で育った私たちが、英語でものを考えるまでになるのは極めて困難であろうし、もしそこまでなったとすれば、その人は頭を、言い換えれば心を他国に乗っ取られているのである。

 まずは日本語をしっかり子供に教えることが大切だと思う。英語を小学校で教えようなどと騒いでいる人がいるようだが、英語も地球上にある多くの言語の一つである。言い換えれば地球上の方言の一つとも言える。その方言の一つの運用方法を教える前に、何を伝えるかが、そして伝える何かを個々の中に育て上げていくことが重要なのだと思う。

飲酒運転

2006-09-30 | 想い・雑感
 人の性として、自分に都合の悪いことは無視する傾向にある。目を背け、耳をふさぐのである。そして信じたいことを信じる。

 多くの医療行為は体を傷つけるリスクを常に伴うものだ。特に手術などは、体を傷つけることによってより大きな利をえようとする行為だ。命に関わる自体も起こりうる。

 今やインフォームドコンセントの時代。これだけ説明すると手術なんてしたくないよねと思えるくらいお話しするが、おそらく多くの方はこちらの説明よりはリスクを低く見積もっているような気がする。確かに多くの手術は、無事終了するわけであるから、そのうまくいくことに懸けなければ手術なんて受けられないのは確かである。

 喫煙家も都合の悪いことから目をそらす面がある。喫煙が身体を害することは明らかなことだと思われるが、「俺は大丈夫。」とどこかで思っている節がある。

 いまだに飲酒運転をする人間もそうである。飲酒運転による事故を身近に感ずる想像力をもたず、自分は大丈夫とする根拠なき妄想が、飲酒運転を軽く考えさせるのである。飲んだ後に、大丈夫と判断している自分が、すでに大丈夫でなくなっていることを理解、納得しようとしないのである。

 人生、ある程度楽天的でないと、生きるのがつらくなるが、無節操に楽天的になるのは困る。

王監督の体重減少

2006-09-30 | 想い・雑感
 胃全摘を受けた王監督が、1ヶ月半で15Kg体重が減少したという。これは通常の胃全摘後とすると、減少が著しいと言える。食事摂取がなかなかうまくいかないのであろう。

 また、王さんのように体を鍛えている方の場合、筋肉量が多いと思われる。筋肉は栄養が足りず、使わなければあっという間に落ちる。王さんはおそらく脂肪以上にこの筋肉の減少が多いのだと思う。

 胃がなくなった分、口でその働きを補わなければならない。それでも最初は脂肪分やタンパクの十分な摂取が難しい。栄養剤なども組み合わせて、カロリー及びタンパク源を十分補っていく必要がある。

 その上で、少しずつ体を動かしていき、筋肉量を増やしていって欲しい。

丹波哲郎氏 逝く

2006-09-29 | 想い・雑感
 丹波氏の語る大霊界なるものがどのようなものか、これまで聞いたことはない。しかし、映画やドラマの中での圧倒的存在感は、確固たる自分自身が存在しなければ出しようのないものだろうなと感じた。

 出演作品の一部しか知らないが、どのような役を演じても、他の登場人物を包み込むようなひとかどの人物に作り上げていくように思える。

 私が印象に残っているものの一つに、「学校Ⅳ」がある。シベリア帰りの気骨ある老人役。ある日尿失禁をしてしった自分自身に狼狽し自尊心を傷つけられたのを、家出してきた少年にちょっぴり護ってもらうという設定。

 人は子供の頃、おねしょをしなくなると少し大人になった気がするもの。今度年を重ねて再び漏らしてしまったときの自尊心の傷つきようはとても大きなものだろう。そんな役を、ある種威厳を保ったまま演じきってくれた丹波氏には、見ていて救われた感じがした。

 私の父は寝込んだりもせず元気だったが、一度だけ尿失禁をしたことがある。あまり表情は変えなかったが、その胸中は察してあまりあるものがあった。完全にその気持ちが分かるものではないが、そのようなところを想像してあげる心の余裕を子供に伝えられるような世の中であって欲しい。

 また、現在時に失禁してしまう方。失禁するのは体のちょっとした調子の崩れ。治療を受けながらも、自分の心まで傷つけないで欲しい。

 丹波氏の訃報に接し、思ったことを。

 ご冥福(死後の世界での幸せ)をお祈り致します。でもきっと、幸せにされていることでしょうね。

故郷

2006-09-29 | 
 青函連絡船は今も少しは動いているのだろうか。
 
 まだ青函トンネルが完成する前、青森から北海道に渡ったことがある。列車が青森駅に着くと、連絡船への乗り換えである。様々な人間が、皆同じ方向、北を向いてホームを黙々と歩いていく。印象に残る風景であった。

 今や北海道、本州、四国それに九州がトンネルや橋で結ばれ、必ずしも渡し船やフェリーが必要でなくなった。昔に比べ、日本中が近くなった。

 そうなると、故郷へもいつでも帰れると感じ、望郷の念なるものも希薄になっているのかもしれない。しかし、いつでも手が届くと油断していると、逆に故郷を忘れている時間が増え、振り返らなくなるのだろう。

 故郷への旅は、時間の旅でもある。

 時には立ち止まり、振り返るのも良い。

人の世

2006-09-29 | 想い・雑感
 人は人の世で傷つく。
 
 言葉、表情、態度、視線、無視、…。

 でもきっと、自分自身も人を傷つけている。

 傷つき、傷つけ、疲れ果ててしまうこともあるかもしれない。

 そんな時、心を癒してくれるのもまた、人かもしれない。

ウエイト注意

2006-09-29 | 想い・雑感
 朝晩は随分と涼しくなってきたし、昼もさほど暑くなくなり、いよいよ秋本番。過ごしやすくなってきました。

 空を見上げると、鱗雲。太平洋高気圧もその力を失ってきたようです。

 ところで、秋の空ってどうして高いのでしょうか。雲の種類は他の季節でも見ることの出来る場合もあるでしょうから、雲までの高さを言っているわけではないはず。雲がなければ、空気を通して宇宙空間まで通じている空の高さに違いが出来るとは思えない。

 空気が澄んでいるから高く見えるのでしょうか。

 まあ何にしろ、天高くなっても、自分は肥えないようにしようっと。

欠礼挨拶

2006-09-27 | 想い・雑感
 久しぶりに、主なき実家の掃除に行った。

 両親の名で出した、祖母の欠礼挨拶状が出てきた。
 父の名で出した、母の欠礼挨拶状も。

 家に帰れば、私の名で出した父の欠礼挨拶状がある。

 私の分は、私自身が見ることはないのだろうが、いつか行く道。

筋弛緩薬

2006-09-27 | 医療・病気・いのち
 手術をしているとき、特に繊細な操作をしているときに、突然患者の体が動いたら非常に危険。意識がなくても、手術操作の刺激などで反射的に筋肉が動いたりする危険性がある。手足を縛ったとしても、お腹の手術をしているときに、腹筋や背筋が収縮すれば体が動く。

 そうならないようにするために、筋肉の収縮を押さえてしまう薬を使う。筋弛緩薬だ。

 これを使用すると呼吸筋も収縮しなくなるので放っておけば死んでしまう。そこで人工呼吸をしておく必要がある。

 ちなみに筋弛緩薬の一種であるツボクラリンは、毒矢に使用されたことで有名。また筋弛緩薬としては使用されないが、フグ毒であるテトロドトキシンや、食中毒の原因菌の一つであるボツリヌス菌の毒素ボツリヌストキシンなども筋弛緩作用があり、放置すると呼吸が止まって死に至ることがある。

 ボツリヌス毒素は、局所注入することにより、しわ、裂肛(切れ痔)、多汗症の治療に用いることがあるが、私は経験がない。

サイクリング

2006-09-27 | 
 自転車に荷物を積み旅に出る。そんなことを昔やっていた。

 確かはじめていったのは能登半島。

 羽咋駅に降り立ち、まだ慣れぬ手つきで自転車を組み立てた。快調なスタートだったが何と土砂降りの雨に見舞われた。いきなり旅の洗礼。その中を「俺、何してんだろう。」と若干の疑問を感じつつペダルを漕いだ。

 全身ずぶぬれ。下着までびっしょりになりながら、坂道を漕ぎ上がる。そんな経験はその後何度となくすることになったが、その時は一瞬止めようかと思った記憶がある。

 旅は何が起こるかわからんなあ。人生が旅に喩えられるはずや。

 などとぶつぶつ言いながら漕いでいるうちに、雨は上がった。

 輪島へ到着。泊まったのはユースホステルだったはず。いやー、記憶って本当にあやふやになりますね。翌日、朝市をのぞき、棚田と日本海を眺めつつ、半島の先っぽで見たのは軍艦島(正式名称?)。その後どこかに泊まったのか、どうやって帰ったのか、今思い出せない。

心のひろがり

2006-09-26 | 
 幼い頃から成長につれて活動範囲が広がる。

 家の外へ出る。家の周囲を歩く。自転車という武器を手に入れると更に遠くまで出かけていく。その時々の自分にとってそれは、冒険であり旅であった。

 病院や施設に入っている老人。

 人生という旅も含めていろいろな旅をしてきたことだろう。かつてどんどん広がっていた活動範囲が、逆にどんどん狭まっていくその寂しさをどのように感じているのだろう。

 肉体的物理的自由度が制限されるようになったとき、どれだけ精神世界が広いか。それが大切かもしれない。

 動けないお年寄りの場合も、実際にはこちらの言うことが分からないように見えても意志を伝えられないだけで、多くの思いをもち、伸びやかに心の世界を旅しているのかもしれない。見くびってはいけない。

操作できる?

2006-09-26 | 医療・病気・いのち
 私たちは、自分の意志で生まれてきたわけではない。
 自分の誕生にかんして、何かを出来たわけでもない。

 なのに死は操作できると思っているふしがある。
 そんなこと出来るわけがない。

 医療は死ななくするものではなく、ある意味すべてが症状緩和の術だ。
 何をやっても、人は寿命を迎えれば死ぬ。

 

食道癌は治りにくい

2006-09-25 | 医療・病気・いのち
 消化器外科領域で、予後が悪いものに食道癌がある。胃癌であればまだ早期癌といえる大きさでも、粘膜筋板というところを越えて少し深く入ると、半数近くにリンパ節転移を起こしてしまう。つまり小さいうちから転移を起こしてしまうので治りにくいのである。

 これがまた、症状が出にくいときている。一番多い症状は、食べ物がつかえるという訴えだ。こういう症状が出るのは、食道が癌のためにもう狭くなってきている場合が多く、すでに何らかの転移を起こしていることが多い。

 タバコを吸う人。お酒をかなり飲む人。などはそうでない人に比べて、食道癌のリスクが高い。根治できる段階で見つけてもらうには、内視鏡の定期検診をうけることと、2年に一回は食道を中心に見てもらうことが必要だろう。特に50歳を過ぎた男性はぜひ。

2006-09-24 | 想い・雑感
 子供の頃、お化けや幽霊の話しを聞いて随分と恐ろしかった記憶がある。

 しかし、結局何よりも、生きている人間が一番恐ろしいという現実をいつしか理解する。

 それにそもそも幽霊なんているわけないと納得する。時に幽霊がものを動かす様な話しも作られているが、ものを動かせるなら人にも直接物理的力を加えられるはず。たぶん死の恐怖を少しでもやわらげるために、死後も何らかの形で自己の意識が保たれる可能性があることを示すのが幽霊ということなのでしょう。

 ただ、幽霊がもし存在するなら、ちっとも怖くないからもう一度両親に会いたいなあといまだに思う。死んじゃうと本当に会えないねえ。あとは、自分が死んだ後に再会できる可能性にかけるしかないか。トホホ…。

如何に考えるか

2006-09-24 | 想い・雑感
 人は、本当に涙の数だけ強くなれるのでしょうか。

 悲しみが多いほど、人に優しくなれるのでしょうか。

 必ずしも、そうではないでしょう。

 悲しみの中に何を感じ、何を考え、何を思うのか。

 そこが大事だよね。