Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

コラーゲン

2006-05-31 | 想い・雑感
 化粧品などの宣伝で、コラーゲンという言葉をよく聞く。その宣伝を聞いていると、コラーゲンがそのまま皮膚に浸透してお肌すべすべ、という印象を与えるような言い回しなのだが、そんなことあるのだろうか。

 コラーゲンはタンパク質の一つで、皮膚のはりなどをささえる支持組織の大切な構成要素であることは事実である。でも、コラーゲンを皮膚に塗りたくったからと言って、そのコラーゲンがそのまま支持組織に取り込まれるとは思えない。

 通常タンパク質は、口から取り込み、小腸に行くまでに消化されアミノ酸まで分解される。そのアミノ酸が腸から吸収され、体内でそのアミノ酸を原料として、体に必要なタンパク質を作り上げていくものだ。当然コラーゲンもそうやって作られて必要な場所で求められた働きを発揮するものである。

 そう考えると、乳液などにコラーゲンが含まれていても、体の中で実際に働くとは考えにくい。保湿作用などはひょっとしてあるのかもしれないが。

駐車違反

2006-05-30 | 想い・雑感
 駐車禁止区域で駐車し、少しでも運転手が車を離れたとき、監視員に見つかれば即駐車違反となるらしい。宅配便などその影響を受けるであろう業種が挙がっているが、私が気になるのは医療分野だ。

 在宅介護を受けていたり、往診を依頼したときに、介護士、看護士、医師などは車でそこへ向かうことがほとんどであろうと思う。しかし患家周囲が駐車禁止である場合も少なくなかろう。そういうところへの介護や医療のサービス提供はどうなるのだろうか。

 先日の家電安全法と同様、様々な影響を考えることなく、安易に立法しているように感じる。物事を多面的に見るというのは、言うはやすし行うは難し、であるが、あまりにも短絡的ではないだろうか。いまこの時期に駐車違反に対する取り締まりを極端に厳しくする必然性がどこにあるのだろうか。安全協会や警察へのお金の流入増加を画策していると言われても仕方がないだろう。

メタボリック シンドローム

2006-05-25 | 想い・雑感
 現代の日本人特に成人男性はかなりの頻度で生活習慣病であるとのショッキングな報道があった。その頻度には異論があるようだが、多くの人が体に脂肪をため込んでいることは間違いない。それがひいては心臓病や糖尿病、高尿酸血症へと進展していく。

 動物は、取り込んだ栄養のうち余剰部分を体は脂肪として蓄えていき、食事(獲物)のないときに備えるわけだが、現代の先進国では栄養を摂りすぎて困ってしまうという、動物史上まれな状況になっている。

 脂肪といえば、牛の霜降り肉。これは通常食肉として出荷される時期を過ぎても栄養(穀物が主)を与え続け、筋肉の中にまで脂肪を蓄えさせたもの。人間ならば、メタボリックシンドローム予備軍である。

 この霜降り肉をありがたがって食す人間がいる一方、その霜降り肉を作り上げるために飼料として消費される、トウモロコシなどの穀類すら手に入らず、餓死していく人も地球上に多く存在するという矛盾。

 勝ち組と負け組を作り続ける資本主義の有り様というのは、大きな岐路にさしかかっているのかもしれない。でもそれに変わるシステムとはどのようなものなのだろうか。

在宅ホスピスケア

2006-05-22 | 医療・病気・いのち
 死期が近づいた人の様々な症状を緩和するために、緩和ケアを行う。そのケアを行うためには、知識と経験はもちろんのことだが、何よりも人手がいる。

 現在病院で提供されている医療のうち、可能な部分を在宅で行い、医療費の削減を目指していくというのが今の国の方針だ。方向性は良いと思うのだが、システムが全く構築されていなくて、医療現場に丸投げでは何も進まない。とくに在宅の分野は、介護保険の導入から、医療を提供する場と言うよりも介護を提供する場として構築されてきたのだから、介護を出来る人は少しはいても緩和ケアが出来る人は非常に少ない。その点を考えなくて、在宅医療を進めようとしてもそれは無理というものだ。

 そもそも日本は、病院における職員数がアメリカなどに比べてかなり少ない。医師、看護師、薬剤師、栄養士などなど、病院職員はいつも時間に追われている。病院ですらこんな状況の日本で、どこまで在宅システムを構築していくことが出来るのか。なんとか在宅を支えようという人にのみしわ寄せが行くようなことでは、政策とは呼べない。

死生観

2006-05-21 | 想い・雑感
 生死観といわずに、死生観と言います。

 死を通して今ある生を観ると言うことなのでしょう。

 ほとんどの場合、人は物事を相対的にしか見ることができません。幸せ具合も、他の人との比較ではかってしまいます。でも相対的に物事を見る限り、真の安心は手に入らないのでしょうね。

 すべての人に必ず訪れる死という絶対の真実を通して、現在の生を、人生を見つめることにより、如何に生きていくかということをより明確に出来るのかもしれません。

 しかし、その死をみつめるということがなかなか難しい。外国の大学では死学という講座があることもあるらしいのですが、日本では聞きません。今一度学生に戻り、純粋に思索を深める時間を持ちたい、人とは?という問いかけをじっくりしてみたい、という誘惑を時に感じます。

カーリング

2006-05-18 | 想い・雑感
 トリノ五輪にカーリング代表として出場した女性が引退するとのこと。4年前の五輪の時には確か男性が活躍していましたよね。

 いずれの時も、テレビで「カーリングはスポーツか?」という問いかけを何度か耳にしました。

 しかしこんなことを言い出すと、そもそもスポーツとはということを考えないといけなくなってしまいますよね。スポーツは語源からすると、気晴らし、休養、娯楽などの意味を持っているようです。その中で競技的性格を持つ運動という定義づけが今日本で用いられているスポーツの意味に近いのでしょうか。いずれにしろスポーツにはかなり広い意味を含んでいるようですから、スポーツか否かにあまり目くじらを立てることもないような気がします。

 日本人は遊びを少し低くみる傾向にあるようで、運動にもすぐ精神性を持ち込んでしまいます。そこで、見た目一生懸命やっているようでないと、納得出来ない方も多いのかもしれません。でも、カーリングは見た目以上に平衡感覚や筋力が必要とのことで、テレビで見るようなスムーズな動作を身につけるのはかなり難しいようです。

黄塵万丈

2006-05-16 | 想い・雑感
 中国内陸部の砂漠化が急速に進んでいるとのこと。そのためか日本へやってくる黄砂の頻度も量も多くなってきているようだ。日本では、洗濯物への影響程度の認識しかされてない場合も多いが、呼吸器疾患への影響も懸念されている。また数年前に大陸に近い九州の福岡空港では、黄砂により閉鎖を余儀なくされたことがある。しかし韓国や中国では黄砂の脅威はさらにすごいらしい。中国では砂嵐を沙塵暴と呼ぶようで、いかにも荒れ狂っていそうな言葉だ。

 中国では一晩で30万トンもの黄砂が舞い降りることもあるらしい。2008年に中国では北京オリンピックが開催される予定だが、大丈夫だろうか。交通機関への影響、屋外競技への影響、選手や観客への健康被害などなどの問題が考えられる。どのような対策を考え出してくれるだろうか。

 黄塵万丈という言葉もある。黄塵は黄砂と読みかえても良いのだろうか。一丈が3mだとすると、一万丈は約30Kmになる。黄塵万丈といういい方から受ける印象は、かなり遠くまで黄塵が運ばれるような感じだが、実際の黄砂は30Kmどころではないだろう。遠くハワイまでも運ばれることもあるようだから。

紫外線

2006-05-15 | 想い・雑感
 太陽から地球に降り注ぐエネルギーがあるから生命を維持することが出来る、ということを長い生命の歴史の中で脳に刷り込まれているのか、春の日の光を浴びると素直にうれしくなる。また、人の体では太陽光を浴びることにより、皮膚でビタミンDが活性型となることもあり、くる病予防に日の光が大切であるということもある。

 しかし今では太陽をみると、オゾンホールという言葉が頭に浮かんでくる。最近は他の尋常ならぬ問題が多すぎるのか、オゾンホールという言葉がニュースで取り上げられる頻度は下がったようだが、きっと徐々に広がっているのだろう。

 私たちにとって命の源である太陽からの光りが、オゾンの減少により有害な紫外線供給源となり襲ってくる。その原因は人間の営みが作り出しているという矛盾。まさに自分の首を絞める状態だ。

bull's eye

2006-05-12 | 医療・病気・いのち
 胃から直腸まで、消化管原発の癌は肝臓によく転移します。

 手術目的で紹介された方の中には、外来でエコー検査をした時点で肝転移の存在が分かってしまうことがあります。エコーの画面上にbull's eye(雄牛の眼)が現れるのです。

 肝臓への転移巣は通常エコーでは円形に映ります。エコー所見としてbull's eye sign(別名target sign)は、その円形の病巣の中心部が白く写りその周囲が黒っぽい部分で囲まれたように見えるものです。

 紹介で外来に来られた方は、まだそれほど多くの説明を受けていない状態であり、癌であること自体も告げられていないことも多々あります。外来の途中では十分時間がとれないこともあり、肝転移を伴う進行癌であることをいきなりすべてをお話しすることはできません。さらに検査を進めながら、説明を行い、治療手段をいっしょに模索していくことになります。

絞扼性イレウス

2006-05-10 | 想い・雑感
 いろいろな原因で、腸の中を食物や消化液が通過しない状態になることがあり、これをイレウス(腸閉塞)と言います。その中で腸に行く血管まで締め付けられて、腸管が血行障害を起こすことがあります。こういう状態のものを絞扼性イレウスと呼び、進行すると腸が腐り腹膜炎となっていくので、絶対に手術が必要となります。

 虫垂切除(いわゆる盲腸)や子宮筋腫の手術などそれほど大きくない手術による癒着などでかえってこのようなことが起こりやすいので、注意が必要です。

 痛みは身体の異常のサイン。我慢もほどほどにしておかないと、絞扼性イレウスから腸が破れるところにまで到れば、死亡率も高くなります。

術後でも生活習慣病

2006-05-10 | 医療・病気・いのち
 胃を全摘したあとは、個人差がかなりありますが一度に食べられる食事量が減ることが多いものです。そのため、手術前に肥満傾向のある方は標準体重あたりで落ち着くこともよくあります。また、生活習慣病としての糖尿病も術後改善してしまうこともあります。

 そのような中で、術後1年2年とたってくるうちに、術前と同じくらい食事ができるようになる方もおられます。

 先日、胃全摘後4年を経過したあたりから、徐々に空腹時血糖が上昇してくる方がおられました。術前は軽度糖尿病を認めていたのですが、術後はずっと正常だったのです。ただ食事量の増加に伴い体重も順調に増加。血糖コントロール指標の一つであるHbA1cを検査したところ、正常上限を少し超えていました。

 運動療法が必要なようです。それでだめなら、せっかく十分食事ができるのですが、逆に食事制限が必要になってくるかもしれません。

台風1号

2006-05-10 | 想い・雑感
 台風1号が発生したそうですね。例年より1ヶ月も早い発生とのことです。

 赤道近くの海から供給される大量の水蒸気が凝結するエネルギーで発生、成長するという台風。5月の声を聞いたと思ったら発生したこの台風。地球温暖化と強い関連があると考えますよね。

 日常生活を送っている私たちにとって、地球規模の思考というのは困難ですが、どんどん環境は悪化してきているのは間違いないのでしょう。Point of no return に近づいているのか、はたまた引き返せないところへもう来てしまっているのか。

 とにかく今できることを一つでもしなければならないと思います。

良い加減

2006-05-07 | 医療・病気・いのち

 EBMという言葉がよく使われる。

  Evidence Based Medicine (根拠に基づく医療)の略である。これは、様々な医療(薬の使い方、消毒の仕方、手順などなど)を根拠に基づいて行うというあり方である。そのあり方は、まさに論理的であり、示された根拠には謙虚に耳を傾けるのが良いと私も思う。とくに標準的医療を提供するには大きな武器となる。

  ただ気をつけないといけないのは、根拠というのは多くの場合統計上の優劣である点だ。人の体の多様性に、完全には対応していないのである。それを一番感じるのは抗癌剤の使用においてだ。

  抗癌剤の使用には、標準使用量がある。しかし、この標準量より遙かに少ない量でも著効を示す場合もあるのである。  Aという抗癌剤を体表面積あたり100mg使用して、有効であることを示す大規模な研究があれば、それは根拠を示したことになる。そこでEBMに沿って医療を行うのであれば当然その量の抗癌剤を使うことになるわけだが、実に人の体は千差万別。効果も副作用も人により大きく出方が違うのである。

  よくよく観察した上で、その人にちょうど良い加減の医療を提供する、まさにさじ加減の発想も絶対失ってはならないと思っている。


高カロリー輸液

2006-05-04 | 医療・病気・いのち
 長期にわたり食事が出来ない人に栄養を補給する手段の一つとして、高カロリー輸液があります。心臓近くの大きな静脈まで管を入れておき、十分な栄養を点滴で補給する方法です。

 先日新聞に、緩和ケアの方法の一つとして、この高カロリー輸液のことが書いてありました。確かに癌末期の方で栄養が摂取できない場合、この方法を選択することがあります。でも気をつけないといけないのは、時にはこの高カロリー輸液が、ご本人を苦しめることもあると言うことです。

 終末期が近づくと、体の代謝自体が低下しているので、通常より必要エネルギーが減っています。また、肝臓や腎臓の機能も落ちています。そこへ無理に高カロリー輸液を行うと、血糖が上がる、浮腫が起こる、肺に水がたまり呼吸困難感が強くなったり痰が増えたりする、電解質のバランスが崩れる、などなどの好ましくない影響が出てくることが多いのです。

 一旦高カロリー輸液をはじめたものを途中から減らしていくのは、本人をはじめ家族や医師も治療からの撤退というイメージが生じると思います。でも緩和ケアの目的は、苦しみを緩和することです。点滴がかえって苦しみを助長する可能性を常に頭に置き、点滴を絞っていくことも時には(しばしば)大切なケアであることを認識しておく必要があります。

バーベキュー

2006-05-03 | 想い・雑感
 久しぶりにバーベキューをした。

 炭をおこし、その上で焼くという単純なものなのにどうしてこんなにおいしいのでしょうか。屋外で食すという開放感も大切なのかもしれませんね。

 昔留学中には、夏の間、週の内2~3日はバーベキューをしていましたが、今回は久しぶりでした。中東風味の知人はバーベキューと呼ばずにすべてをシシカバブと呼んでいましたが、バーベキュー=シシカバブという認識なのでしょうかね?

 しかし、そもそもバーベキューというのはどういう意味なのかな?今まで何の疑問も持たずにこの言葉を使ってきましたけれど…。