Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

渇水

2007-06-30 | 想い・雑感
子供の頃
夏の渇水のために断水になることは
それほど珍しいことではなかった

現在に比べ
水源の確保自体が不十分だったのだろう

断水になると
給水車がやってきて
私たち子供も
親とともにバケツを持って
水をもらいに行ったものだ

給水車からバケツへ注がれる
透明できれいな水を見て
嬉しくなった記憶がある

断水の終わりが告げられると
予定時間をまって
水道の蛇口をひねってみる

からからと渇いた音を立てながらも
遠くから水が近づき
空気混じりの茶色の水が
ごほごほと流れ出す

しばらくして
ようやく透明な水道水となる
そして
日常に戻る

あり得ない

2007-06-30 | 想い・雑感
原爆で終戦早まる、「しょうがないな」と久間防衛相(読売新聞) - goo ニュース

広島や長崎への原子爆弾投下は
一般市民の大量殺戮であり
その悲惨さを考えると
いかなる文脈でもその正当性はあり得ないと思っている

私のような医師は
目の前の患者さんの命しか
守れません
いや目の前のたった一人すら
守ることが難しいことも多いのです

多くの人を守っていく力というのは
政治にしか期待できないのです
そんな認識 最近の政治家にあるのでしょうか


国民を守ることを第一に考える人間が
原爆容認と取れる発言をすることに
驚きを禁じ得ない

このような人が閣僚となっている内閣
さらには問答無用で議案を通す内閣

こんなことが許されていいのだろうか
宮沢元首相の逝去により
さらに重しが取れて
どこに行ってしまうのか

ちょっとしたボタンの掛け違いから
非戦の誓いを立てた国から
好戦的国へと一気に変わってしまいそうな怖さがある

今回は自民党には入れません

回顧

2007-06-30 | 想い・雑感
過去は振り返らない!
と言う方を時に見かけます
肩に力が入っているように見えます
振り返らない と決心した時点で
過去に縛られているように思います

ふと過去を思い出したら
それにまかせれば良いように思います

自分が経験したどんな出来事も
全部今の自分につながっているのでしょうから
過去をどんなに無視しようとしても
自分のどこかと結びついているのだと思います

年齢が上がってくると
回想することが多くなると聞きます
何度も同じ話しをするお年寄りは多いですよね


でも人間の行動のすべてに
生物として組み込まれた何らかの意味があるのならば
この回想にもきっと意味があるはずです

昔を振り返るのを 回顧癖がある
などと否定的にとらえる向きもありますが
振り返ることにも きっと 今を生きるための
積極的な意義があるはずだと思いませんか

ただ 懐古趣味 となると意味合いが異なりますけれどね

dust

2007-06-30 | 想い・雑感
家の床やテーブルの上など
少し油断すると埃やいろいろなものが積み重なってくる

心にもいろいろ積み重なってくる

不安
恐怖
喜び
怒り
慢心
悲しみ
安心
・・・

時には心を見つめなおし
すす払いをする必要がある

現実をそのまま
是として受け入れるためには

闘い

2007-06-29 | 想い・雑感
「24時間闘えますか?」
というキャッチコピーが以前あった
経済が右肩上がりの時代だったと思う
ビジネスにまつわる闘いを想定したものだった

いったい何との闘いなんだろうか?
24時間? 無理 無理
などと思っていた

しかし今の世の中は
そのころ以上に
競争を求めているようにも感じる

社会の中で十分闘ってきた
あるいは闘わされてきた方が
病に倒れ病院にやってくる

せめて
痛みと24時間闘わせる様な事は
させたくないと思う

他人の痛みを
実感することは不可能だ
だからこそ痛みの訴えにきちっと耳を傾け
きちっと考え 対応することが
必要となる

長い夜

2007-06-28 | 医療・病気・いのち
大切な決定をしたり
大切な内容の手紙を書いたりするのに
夜という時間は適していないと聞いたことがあります
考えているうちに
精神が高揚し
決心や手紙の内容が
良い方向からぶれるからだそうです

病院は
そんな夜の時間が
とても長いところです

消灯時間が21時とか22時のところがほとんどではないでしょうか
消灯になったからといって
眠れるわけではありません

天井を見ながら
あるいは眼をつぶって
様々なことを考えてしまうことも多いでしょう
胸が苦しくなるほどの不安に襲われることもあるでしょう
また眠りたいのに 痛みで眠れないこともあるでしょう

病院の夜は
孤独で 長い

医療者は患者さんの睡眠に
気を配らなくてはならない

高い靴音を鳴らして
夜の廊下を歩く職員など
言語道断だと思う
やわらかい靴底を選ぶくらいの良識は
持っていただきたいものです

生きつつある

2007-06-26 | 医療・病気・いのち
癌が進行し
末期といわれる時期の方と接すると
私たちはそこに死 を見ることになります
そして死にゆく人 として見る目になってしまいます

でも待ってください
確かに死の跫音は高くなってきているかも知れませんが
死ぬまでは生きているのです
生きつつあるのです

見守る私たちは
その消えてしまいそうな生を
少しでも輝いたものとなるよう
寄り添い 祈ることが必要なのかも知れません

死を見つめると言うことは
生を見つめることであり
魂を そして命を見つめることなのでしょう

それが看取るということなのでしょう

緩和ケアの領域は
肉体的あるいは精神的苦痛を取ることだけではなく
看取る という精神が不可欠の様な気がします

そしてそこは 
家族や医療者以外の人の参加も
必要とされている領域と感じます

サイクリング少年

2007-06-25 | 想い・雑感
自転車で日本一周の80歳が事故死 あと40キロで自宅(朝日新聞) - goo ニュース


学生時代に自転車にテントをつんで旅行をしていた
国道といっても狭い国道が多いし
路肩は舗装もいい加減なことが多く
自転車に乗っているものにとっては気が抜けない

とくにトンネルに入るときなどは気をつかう
自転車道があれば楽なのだが
歩道らしきものすらないようなトンネルも多かった
トンネルに入る前にはなるべく後ろから車が来ていないタイミングをはかって
一気に漕ぎ抜けるようにしていた

80歳のサイクリング少年
トンネルで事故にあったことは非常に悲しく思うし
なんとか自宅にたどり着かせてあげたかったなとも思う

しかし寝たきりとなって亡くなったわけでなく
自分がやりたいと思ったことをやり続けている途中で命を落としたのなら
それも一つの立派な幕引きのようにも思う

あの世でかつての戦友と
大いに語り合ってもらいたい

今日と同じ明日

2007-06-25 | 想い・雑感
毎日が同じ繰り返しで退屈という人がいる
よくよく見ると 同じ一日なんてあり得ないのだが
どうもそう感じることが難しいらしい

しかし毎日が同じように送れるというのはすばらしいことだ
同じがいやなら変化を求めるということなのだろうが
どこかに変化がいい方向に向かう保証があるわけではない
悪い方向に向かえば不平を言い
同じであれば不平を言い
良い方向に向かっていてもさらに良いことと比較して不平を言う

いやはやきりの無いことだ

今日と同じような明日を迎えられることを切望している人が
どれだけいると思っているのだろうか

輸血 2

2007-06-24 | 医療・病気・いのち
親拒んでも15歳未満輸血、信仰より救命優先…学会指針案(読売新聞) - goo ニュース


医療現場ではなかなか杓子定規に行かない事項が山のようにある。
そしてそれらへの対応は現場任せである。
にもかかわらず、問題が起きれば、医療現場当事者の問題として取り上げられる。
エホバ信者に対する輸血問題もなかなか難しい。
しかし、この学会の方針は、良識ある決定であると思う。
さて、司法はどう判断するだろうか。

スタンダード

2007-06-24 | 医療・病気・いのち
グローバル・スタンダード  世界標準
という言葉をよく耳にするようになって
5年くらい経つだろうか
世界がどこまでを指すのかワカラナイず
曖昧な言葉と思うのでどうも好きになれない

以前テレビ番組の中で
医師が化学療法を患者さんに勧める場面が出ていた
説明の最後に医師は自信に満ちた顔で
「これが現在のグローバル・スタンダードです。」  と語った

違和感を感じた

薬の効き方は
個人個人の体質や人種間の体質の違いによって異なる場合がある
テレビに出ていた医師は当然使用に当たっては
その個人に合わせて処方をしていくと信じるし
編集後の映像に詳しい説明内容が出てきたわけではないので
批判は出来ないが
グローバル・スタンダードだから
目の前の患者さんにその抗癌剤治療がつかえると限らない
また効くとも限らないということは大切なことだ

マニュアル人間は
スタンダードにも盲従する可能性が高い
スタンダードを知った上で
個にあった治療を模索していく必要性を
もっと強調した方が良いと思う
患者さんの体が標準とは限らないのだから

輸血

2007-06-23 | 医療・病気・いのち
 手術に出血は付きものです。しかし、胃切除や胃全摘で輸血が必要になるほど出血が起きることは普通ありません。もともと癌や潰瘍からの出血で貧血があるような場合を除いて、私は輸血をした記憶がありません。

 ただ、手術に絶対と言うことはないので、術前の説明で、必要と判断した場合には輸血をする旨をお伝えします。宗教上の理由で輸血を拒否する方がおられるからです。もし必要時の輸血を拒否されたら、まず輸血はしないと思っても、手術の執刀はお断りするかも知れません。

 私たちは、命を救うことを一番に考えます。ところが、輸血をすれば救える命が目の前にあっても、本人の許可がなければ、輸血をしてはならないというのが、最高裁の判断なのです。腑に落ちないけど、それが司法の頂点の判断です。

 帝王切開後の弛緩出血に対して、病院側の説得にもかかわらず、家族があくまで輸血を拒否して、最終的に患者さんが死亡したとのニュースを聞いて、ちょっと感じたことを述べてみました。

機微

2007-06-21 | 医療・病気・いのち
様々な経験を積み
いろいろと感じ
置かれた状況が変わり
年齢を積み重ねていく

そんな中で人生の機微というものを
徐々に理解できるようになってくる

若い頃は
黒白はっきりさせたがり
何とか病気を治そうとばかり考える

人との間の微妙な間合いややりとりを楽しめるようになり
押したり引いたり 時には休んだりしながら
患者さんと息を合わせて治療を進めていく
という力の抜けた温かい医療を提供できる頃には
自分が送られる立場になるのかな

デリケート

2007-06-21 | 想い・雑感
delicateという単語はデリケートとして日常的に使いますね
繊細な との訳がつけられることが多いと思います
そして人に対してデリケートという言葉が使われる場合
傷付きやすい ということと
ほぼ同義に使われているように思います

私だって傷付くことはありますが
傷付くときというのは
気持ちが自分に向かっていることが多いように思います
あるいは自分を守る体制に入っているとも言えるかも知れません

それは必要なことかもしれませんが
度が過ぎると
単に自己愛が強すぎるということに
なってしまうのかもしれません

「デリカシーがない!」
と人を非難する人は
自分に対してもっと丁寧で 
         やさしく 
         親切であること
を求めているのでしょうが
非難している相手に対するデリカシーがあるとは限りませんね
デリカシーが自分に向かうのと相手に向かうのでは
当然ベクトルの向きが違うのだから致し方無いのでしょう

程度問題でしょうが
デリケートであることが良いことなのか悪いことなのか
その時々で微妙な所ですね

ちなみにdelicateには微妙なという意味もあるようですが

ワカル

2007-06-19 | 想い・雑感
わかる 解る 分かる 判る

物事がワカルということはどういう事なのか
なかなか私にはワカラナイが
上の三つの漢字いずれを使っても

ものを分割していく
あるいは区別していく
という意味があるようだ

人間の能力では
無数の要因をそのままに
全体を理解することは不可能だろう

だから少しの要因を選び出し
その中に区分をいろいろ作り出して
それぞれを対比して
人は物事を理解しようとするし
わかったつもりにもなっていく

しかし本当は
あるがままに理解する
分けたりするのではなく
全体を丸ごと認識する

という方がよりレベルの高い
ワカッタなのだろうなと思う

政治家や霞ヶ関の人間の中には
判ったつもりになって
細かい区分をごちゃごちゃ述べ
述べてる自分の姿に陶酔しているような御仁も見受けられる

陶酔している時点で
酔っているのであり
区別する程度のわかり方すら出来てない恐れがある

そうでない人が大多数であることを祈る

てな事を言っている
私は区分することすら苦手である
どうやって世の中を理解するのか
どうやって人の心を慮ることができるのか
さっぱりである