Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

天気図

2006-10-08 | 
 天気は旅に大きな影響を与える。自転車のツーリングなどは、もろに天候に左右される。そこで昔、天気図の勉強をしたことがある。気象通報を聞きながら、天気図を描いたりすると、ダイナミックな天候の変化が自分なりに感じられたものだ。

 ここ数日、山での遭難が報じられている。山のことはよく分からないが、平地よりも天候はは厳しく牙をむいてくる可能性があるだろう。最近の天気図を見ると、平地でも中部日本以東への旅行は憚られると感じる。その時に山に入るというのは、無謀と言うことはないのだろうか。

 私の感覚では不思議な決断だ。

 新聞では、遭難者の中に熟練の登山家有りとのことだったが、無謀な決断をする人を熟練の人と呼ぶのには抵抗がある。無謀な手術を行う外科医を熟練の外科医とは呼びたくない。

視点の変化

2006-09-30 | 
 喜納昌吉の「花」をはじめて聞いたのは、米国の中西部にある大学に留学し3ヶ月くらいたった頃だった。日本から送ってもらったその年の紅白歌合戦のビデオに収録されていた。

 特にホームシックにかかっていたわけでもないと思うのだが、この歌が心にしみ込み涙が流れた。何度も繰り返し再生し、日本語のやさしさ、美しさ、柔らかさなどを実感した。

 それまでと違う場所で過ごすというのは、物理的位置が変化するだけでなく、自分の視点も大きく変えてくれる。私もその留学の2年間が、最も日本を意識した時だと思う。また、自分のアイデンティティーとしての日本を、最も欲した時期であったと思う。

 その大学には、日本語学科があったお陰で、図書館にはかなり文庫本や文学全集、歴史書などが置いてあった。私は、研究書よりはるかに多くの日本の本を借り出しては読みふけった。日本語が気持ちよく体にしみ込んだ。

 今の日本では、内容のない挨拶言葉を習うために、英語学校なるものに高い授業料を払う人も多いと聞くが、日常会話程度の英語はやる気があるなら、CD付きの数千円の本一冊を繰り返し読み込めば十分であろう。

 伝達手段としての英語の習得などに力を注ぐ前に、物事を如何に考えるか、どのように感じるか、如何に自己を確立していくか等の方が遙かに重要だろう。日本で育った私たちが、英語でものを考えるまでになるのは極めて困難であろうし、もしそこまでなったとすれば、その人は頭を、言い換えれば心を他国に乗っ取られているのである。

 まずは日本語をしっかり子供に教えることが大切だと思う。英語を小学校で教えようなどと騒いでいる人がいるようだが、英語も地球上にある多くの言語の一つである。言い換えれば地球上の方言の一つとも言える。その方言の一つの運用方法を教える前に、何を伝えるかが、そして伝える何かを個々の中に育て上げていくことが重要なのだと思う。

故郷

2006-09-29 | 
 青函連絡船は今も少しは動いているのだろうか。
 
 まだ青函トンネルが完成する前、青森から北海道に渡ったことがある。列車が青森駅に着くと、連絡船への乗り換えである。様々な人間が、皆同じ方向、北を向いてホームを黙々と歩いていく。印象に残る風景であった。

 今や北海道、本州、四国それに九州がトンネルや橋で結ばれ、必ずしも渡し船やフェリーが必要でなくなった。昔に比べ、日本中が近くなった。

 そうなると、故郷へもいつでも帰れると感じ、望郷の念なるものも希薄になっているのかもしれない。しかし、いつでも手が届くと油断していると、逆に故郷を忘れている時間が増え、振り返らなくなるのだろう。

 故郷への旅は、時間の旅でもある。

 時には立ち止まり、振り返るのも良い。

サイクリング

2006-09-27 | 
 自転車に荷物を積み旅に出る。そんなことを昔やっていた。

 確かはじめていったのは能登半島。

 羽咋駅に降り立ち、まだ慣れぬ手つきで自転車を組み立てた。快調なスタートだったが何と土砂降りの雨に見舞われた。いきなり旅の洗礼。その中を「俺、何してんだろう。」と若干の疑問を感じつつペダルを漕いだ。

 全身ずぶぬれ。下着までびっしょりになりながら、坂道を漕ぎ上がる。そんな経験はその後何度となくすることになったが、その時は一瞬止めようかと思った記憶がある。

 旅は何が起こるかわからんなあ。人生が旅に喩えられるはずや。

 などとぶつぶつ言いながら漕いでいるうちに、雨は上がった。

 輪島へ到着。泊まったのはユースホステルだったはず。いやー、記憶って本当にあやふやになりますね。翌日、朝市をのぞき、棚田と日本海を眺めつつ、半島の先っぽで見たのは軍艦島(正式名称?)。その後どこかに泊まったのか、どうやって帰ったのか、今思い出せない。

心のひろがり

2006-09-26 | 
 幼い頃から成長につれて活動範囲が広がる。

 家の外へ出る。家の周囲を歩く。自転車という武器を手に入れると更に遠くまで出かけていく。その時々の自分にとってそれは、冒険であり旅であった。

 病院や施設に入っている老人。

 人生という旅も含めていろいろな旅をしてきたことだろう。かつてどんどん広がっていた活動範囲が、逆にどんどん狭まっていくその寂しさをどのように感じているのだろう。

 肉体的物理的自由度が制限されるようになったとき、どれだけ精神世界が広いか。それが大切かもしれない。

 動けないお年寄りの場合も、実際にはこちらの言うことが分からないように見えても意志を伝えられないだけで、多くの思いをもち、伸びやかに心の世界を旅しているのかもしれない。見くびってはいけない。