Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

たのしむ こころ

2007-04-30 | 想い・雑感
まあ生きていると様々な出来事に出会いますが
基本的には楽しむことを目指しています
なかなか思うようにはいかず
怒ったり 悔しがったり 悲しんだりすることも多いのですが
そんな中にあって何か楽しむことができると
随分心が軽くなります
楽しむという漢字の部分に注目すると

   楽

そう らくになるのです

この楽しむ姿勢は
感謝する心にも通じるもので
決していやなことなどから逃げ出してらくをしようというものではありません

物事をしっかりと受け止めた上で
それを楽しんでしまおうということです

まだまだうまくいきませんが
そんなふうに生きていたいと思っています

真相

2007-04-30 | 医療・病気・いのち
真相報道バンキシャ
というテレビ番組を時々見る
菊川怜が素敵だな
と思うのが視聴動機の半分は占める

ところでこの真相という言葉を使うところがなかなか意味深い
真実あるいは真理と思える相を伝えるということだろうから
ある相 ある視点に立った上で
真実を伝ていることをはっきり宣言している
真実報道と銘打つより報道することの限界を謙虚に認めている

真相というと
かなり突き詰めているようにおもうが
突き詰めるということはなかなか可能なことではない
様々な事象や事件の背景には
個々人の思想や情念が絡み合っているものだが
その個々人の心の深層の真相を見極めることなど不可能だからだ

同様に人の気持ちに立つ
というのも突き詰めれば不可能である
自分自身の心の真相すら判然としないのに
ひとの心までわかろうはずがない
わかろうとする努力をするのみである
わかったつもりで何かを行いかえって相手を不快にする
これが有り難迷惑である

医療の現場
特に緩和ケアの現場などでは
なるべく患者の気持ちに寄り添おうとするわけだが
その努力はしても
わかったつもりになることは厳に慎む必要がある
謙虚である必要がある

緩和ケアを提供するものは
常に見送る側から死に行く相を見ているのであり
旅立つものの視点に立つことなどまずできないという事実を踏まえた上で
ケアに当たる必要があると思う

あじさい

2007-04-29 | 想い・雑感
冬の間
枯れてしまったように見えていた
あじさいの枝

焦げ茶色の枝から
緑の若葉が見え始めたと思ったら
あっという間に
りっぱな大きな葉に身を包んでいる

もうじき
涼やかな花を
見せてくれることだろう

自然は
宇宙は
常に巡っている

祈り

2007-04-29 | 想い・雑感
小さなライブハウスで
久しぶりにジャズを聞いた
ドラム ベース ピアノ
絡み合う音の中に身を置き
緩やかな時が流れた

900年から1000年前の曲
というのも演奏してくれた

音楽の源流には
祈り
があるのだろうと
ふと思った

それって俺?

2007-04-29 | 医療・病気・いのち
認知症の事がメディアでよく取り上げられるようになった

患者数が少なくないことに加え
意識するしないにかかわらず
自分でなくなる恐怖というものを
多くの人が感じているからであろう

認識力が落ちたり
性格が変わってしまった
自分というのは
果たして自分なのだろうか

多くの人は
それぞれの個人の感覚では
子供のころの自分と今の自分はつながっており
同じ自分と思っているわけだが
考えてみると
随分と感じ方や思考方法など多くの事が変わっているはずである

変化という言う意味では
認知症になっていくのも
同じ時の流れであるとすれば
恐るるに足らずということであろうが

変わってしまった自分を
自分が認識できず
周りの人間だけが
変わった自分を見ているという状況は
何とも恐ろしいような気がする

認知症になってしまうと
その自分が引き起こす様々のことが
自分の問題でなく
他人の問題になってしまうところも
切ない

OTISでなくてOTOSU(落とす)?

2007-04-27 | 想い・雑感
以前からエレベーターに乗るときには
なんとなく不安な気持ちになる
特に小さなエレベーターに乗るときなど
吊り下げているロープも細いのか
自分の体重でロープが少し引き伸ばされたような感触があり
居心地が悪い

アメリカのある大学で使用されていた業務用のエレベーターが
止まる階の床とずれて止まるのが当たり前
という状況を目撃して以来
なおさらエレベーターへの信頼は薄らいでいる

昨年のシンドラー社に続きOTISのエレベーターに不具合があったそうだ
それも人が乗る箱自体をぶら下げるロープに問題があったという

昔々 
故意にロープを切断されたエレベーター内で
落下の途中を描出した場面があった
それを思い出すのでぞっとする

私たちが安全と思ってすごしている日常というのは
おびただしい危険と隣りあわせなのでしょうね
ただ 気づいていないだけで

すごしたい場所で

2007-04-26 | 医療・病気・いのち
かなり進行した胃癌をかかえた若い女性がいる
なかなか入院したがらなかったが
ご両親の勧めもあり
痛みのコントロールと栄養状態改善のために
入院となった

数日で
痛みのコントロールがつくとともに
食事も摂れるようになってきた

すると当然本人は家に帰りたくなる
しかし家族は心配でもう少し病院にいたほうがよいと思う

今後薬剤が効果を示せば
良い状態でいる時間を延ばすことはできるかもしれないが
完治が望める状態ではなく
本人の希望をなるべくかなえてあげるほうが良いと思う
ということをご両親に伝えた
そしてもし体調が悪くなれば
いつでも対応することを申し添えた

どんな人にとっても
今 という時間は貴重なのだが
かかえている現実によって
本人にとっての時間の重みは全く違ってくる

その一人ひとりの時の重さを
どれくらい斟酌できるのか
なかなか難しいところではある

でも本人がいたい場所に
少しでも長く居させてあげたいな
と思う

タンパク質が♪ ♪

2007-04-25 | 想い・雑感
病院内の栄養に関する問題に関わっているので
患者さんの栄養状態が気になる

特にお年よりはタンパク摂取量が少ない傾向にあるので
付加食を検討したりして
タンパクの補給に努める

ところで昔
日本全体の広告費のうち
新聞という媒体の広告費のほうがテレビのそれよりまだ多い頃
テレビで「たんぱく質が足りないよ♪~♪」
というコマーシャルがあった

映像の記憶はなくそこのメロディーしか思い浮かばないのだが
はて なんの宣伝だったか
健康ドリンクのはしりだったような気がするが

手当

2007-04-23 | 想い・雑感
普段は髪を切りに理髪店へ行くのが面倒で
バリカン(スキカル)を用いて自分でカットしている
慣れてしまえばそれほど難しくない

風呂場でカットして
掃除機で床に落ちた毛を吸い取り
シャワーを浴びる

その間10分とかからない

しかし時には
後ろ髪をきちっとそろえて切り
首筋を丁寧に剃ってもらいたくなる

先日久しぶりに床屋へ行った
初めて入った店だが
これまで経験したことがないほど
あたり方がソフトで丁寧だった
心地よいひと時をすごした

怪我の治療をするときなど
手当てをする
というが
その手の当て方は やさしく丁寧でなければならぬと
改めて思った

静脈注射

2007-04-23 | 想い・雑感
救急外来で注射から泣き叫びながら逃げようとする
8歳くらいの少年を見かけて思い出した

幼稚園から小学校の低学年にかけて
私は 時折 熱を出しては
近所のお医者さんのお世話になった
そして時々静脈注射をしてもらった

今では注射器も注射針も使い捨てだが
昔は煮沸消毒をしたガラスの注射器と金属の注射針を使用していた

針が血管に入ると
自分の血液がわずかに薬液のほうへ逆流する
ゴムバンドを解き注入が始まると
スムーズなシリンジの動きとともにその血液がまた自分の中に戻っていく
その様を不思議な気持ちで見ていたのを思い出す

注射が好きなわけではなかったが
特に恐怖は感じていなかった

批評

2007-04-22 | 想い・雑感
人から意見をされたり
問題点を指摘されたりすると
身構えてしまい
防御態勢に入ってしまいやすい

これは批評を敵意や攻撃と思ってしまうからだろう

親や師から厳しく指導された人は幸せである
批評は愛情の一表現であり得ることを知っているから

オープンシステム

2007-04-22 | 医療・病気・いのち
私たちの体はオープンシステム
外界(内があると仮定しての話だが)へ開かれたシステムである

必要な物質を外界から取り入れ
利用し
排泄している

排泄といっても汗、尿、便などだけでなく
熱も放出している

この出入りを完全にストップさせると
つまりクローズドシステムにしてしまうと
死以外の選択肢は無くなる

おれが わたしが
と自己を主張するが
結局 自分が自分と思っている以外のものに
すべてが支えられているのである

自己 などというのは
大声を上げて主張するほどのものでは
ないような気がしてくる

点滴の継続=延命?

2007-04-21 | 医療・病気・いのち
延命治療の是非に関する議論の中で
点滴や栄養補給を中止することの可否が論じられることが多い
その議論の多くは
点滴や栄養補給をすることは延命につながる
ということを前提にしている
しかしそれは癌末期の方の延命という意味では
間違いであることが多い

癌末期には
点滴や栄養補給を行うことが
かえって体の負担となることがあるのだ

点滴の量を減らすことにより
お腹の張りが減ったり
胸水が減ったりして
本人が楽になることも多い

少しでも長く生きて欲しいとおもう
家族の思いから必要以上に点滴などを行い
かえって本人を苦しめ 命を縮める可能性があることを
忘れないで頂きたい

また新聞記者などがこの問題を論じる場合には
死の現場をしっかり見つめ
死にゆく状況の多様性を認識し
丁寧に論じてもらいたい



慣性

2007-04-20 | 想い・雑感
車は急に止まれない
慣性の法則

心にも慣性の法則があるという文を読んだことがある
ある感情に支配されると
なかなかその流れから抜け出しにくい
というような内容だったと思う

なるほど
と思ったけれど
物体における慣性の法則と違い
心の方はそれが常に成り立つわけではないように思う

機嫌良くしていたのにある出来事で急に不機嫌になったり
悲しかったのにある一言で急に周りがひらけ嬉しくなった
などという感情の変化は誰でも経験があるだろう
感情に重さがあるわけではないから
急に方向が変わりうるわけだ

だとすれば
自分なりのやり方を見つければ
ある程度は自分の感情をコントロールできる可能性があるはず
そいつを見つけ 身につけ
一度きりの人生を
楽しまなくては

ローテーション?

2007-04-20 | 医療・病気・いのち
進行胃癌に対し
外来で治療を続けている方に
痛みが出現してきた
当初は通常の消炎鎮痛剤で対応できたが
次第に痛みが強くなってきたので
オキシコドン製剤を少量から使い始めた

服用すると痛みは楽になるが
嘔気という副作用が強く出た
この副作用は使用開始当初が強く 次第になれることが多いので
吐き気止めをいくつか試しつつ様子を見たが症状が持続する

そこでフェンタニール製剤へ変更したところ
嘔気はとまり 鎮痛効果も十分となった

現在緩和ケア領域で疼痛コントロールに用いられるオピオイド(アヘン類似物質)には、モルヒネ製剤、フェンタニール製剤、そしてオキシコドン製剤がある。

一つのオピオイドで鎮痛効果が不十分だったり
副作用が強く出たりする場合には
他のオピオイドに変更することがある
これを本邦では「オピオイドローテーション」と呼ぶことが多い

しかし なぜローテーションという言葉を使うのだろうか
プロ野球では4~5人の先発ピッチャーが
試合ごとにぐるぐると順番に出場する場合に使うし
一般の仕事でも勤務を順番に交代でやっていくのをローテーションを組む
というように使うと思われる
もともとrotationには回転とか循環とかの意味がある

オピオイドの場合
例えばオキシコドン -> フェンタニル -> モルヒネ
と使ってまたオキシコドンにもどるなどということはそんなにはなく
変えてしまうことが多い
だから欧米のように
switiching opioids とか changing opioids と呼んだほうが
なんとなくしっくりするように思うのだが