Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

栄養障害

2007-08-31 | 医療・病気・いのち
シャレコウベにお目にかかることはまず無い
晒された(しゃれ)頭(こうべ)
からそういわれるようになったとの説があるように
頭が外に晒されているような時代なら見かけることもあるかも知れませんけれど

骨自体は見えないにしろ
極度の栄養障害となれば
シャレコウベを彷彿とさせるような顔貌になってしまう

それほどの栄養不良にお目にかかることも現代では少ないが
癌の末期になると栄養補給をしても
それを体が利用できず
どんどん栄養状態が悪くなることが少なくない

そうなってくると
普段あまり意識しない
こめかみのあたりがグンと窪み
頭蓋骨の形が浮き出てくる

末期といいながらも患者さんが通院できる状態の時には
「こんなにやせちゃいました」
とご本人が言ったりもするが
更に進むと
筋肉が落ち 日常の所作も難しくなり
自分の姿を鏡に映すことも叶わなくなる

ほとんど骨だけになった姿を見るのはつらい
身内の方はなおさらだろう

手鏡を持つ力も無くなってしまった本人が
その顔を鏡に映すことができないことが
せめてもの救いという気がすることもある

リンク

2007-08-30 | 想い・雑感
世界の中心で愛を叫ぶというタイトルでしたか
実際に見たことがないので内容は分かりませんが
世界の中心とはどこ?
と疑問を感じたのを覚えています

むかし世界は二人のためにという歌がありました
愛し合う二人を中心として
世界は回っているという
恋に落ちた人間が一度は経験する世界を歌ったものでした

子供から大人になっていく過程というのは
自分を中心とした見方しかできないあり方から
少しは別の視点から世界を見ることができるようになっていく過程でしょう

大人になっても視点を変えてものを見る
というのはなかなか難儀なことですが
それができて初めて
様々な考え方があることを受け入れられるようになる

そのためには様々なことを学び
様々な経験をし
自分なりにいろいろと考えてみることが必要だと思います

私自身視点を様々に変えることに困難を感じますが
例えば目の前にいる人の向こうに
様々な人間関係が広がっており
親 兄弟だけでなく
学校 会社 サークル ご近所 友人 恋人 配偶者 子供 …
と非常に多くの結びつきがある
ということくらいは常に考えていたいと思っています

やろうと思えばそれほど難しいことではありませんが
普段の生活では
目の前のその人しか見ていないことが多いと感じます

患者さんを前にしたときも
その方だけでなく
せめてその身近な人のことくらいまでは
考えに入れて
診療したいと思っています

言葉の意味

2007-08-26 | 想い・雑感
人は自分なりに考えて言葉を出すわけですが
その言葉の意味は自分が決めるわけではなく
最終的には受け手が決めることです

詩や短歌を創作した人が思い描いた情景というのはあるのでしょうが
それを鑑賞する人は人で
勝手にいろいろな情景を頭に描いているわけです

日常の言葉でもそうです
そんなつもりで言ったわけではないのに
というような行き違いは日常茶飯事

自分が言ったことや書いたことが
別の解釈で別の命を吹き込まれる
などというとすばらしく聞こえますが
思わぬ方向への理解ということになることが多いようです

病気や手術の説明ではそんな誤解が生じないように気をつけているのですが
癌 という言葉自体の与える印象が一人一人違うわけですから
当然同じ説明でも人によって受け取り方が違うのでしょうね

入院

2007-08-25 | 医療・病気・いのち
癌の進行を何となく実感させられる状況になると
今度入院すればもう家には帰れないのではないか
という不安が頭をかすめるので
入院をするのが怖い

そんな気持ちが痛いほど分かるので
なるべく外来通院で対応できるように
いろいろと工夫してみる

でもいつか体を動かすのがつらくなるときがやってくる

「入院できないだろうか」
と病院に電話がかかってくるのはそんな時

入院したくないなあという気持ちより
自分の体調にたいする不安の方が大きくなったとき

そんな不安を取り除ける術が残されていれば
また家に帰って頂くことができるのだが…

ウェル・ビーイング

2007-08-23 | 想い・雑感
 Well-beingという言葉を、これまで辞書で調べたことはありませんでした。「良い状態にある」くらいにぼんやりととらえていました。これは、幸か不幸かと言われれば、幸せな状態にあると思われますし、快か不快かと問われれば快い状態にあると考えられます。

 言葉というのはデジタルな性格を持っているので、言葉にした以上きちっと定義されないといけないのでしょう。しかし現実の世界はアナログなので、言葉を当てはめるのが難しいことがよくあります。

 広い家に住みたいという場合、1DK、2LDK、1LDKだがLが30畳、5LDK+5bed rooms … とどの広さになればその人にとってwell-beingなのか区切りは難しいし、生きてるだけで幸せと感じる人もいれば不満だらけで生きている人もいるのです。

 このようにごちゃごちゃ考えているとwell-beingというのは実際には人によって違うものを指していると思われます。が、一応辞書で調べた意味は以下の通りです。

well-being 【名】健康、幸せ、幸福、満足のいく状態、快適な暮らし、安らぎ、福祉(welfare)、福利

 

佐賀北高校

2007-08-23 | 想い・雑感
県立佐賀北高校が夏の甲子園大会で優勝しました
準々決勝くらいからそうなればいいなあと思っていましたが
本当に優勝とはびっくりしました

この暑い夏に
さわやかな風をもらった気がします

選手のみなさんは
「最高に幸せだ」
と思われていることと思います
おめでとう

十分幸せを感じ 味わった後は
またしっかり大地を踏みしめ
自分なりの生き方の羅針盤を作り上げ
多くの人々に感謝しながら
良き人生を味わっていって頂きたいと思います


傍に

2007-08-23 | 想い・雑感
「人間所詮死ぬときは一人」
と分かったようなことを
生きている人はいいます

そうかもしれませんが
「ご臨終です」
といわれたときには
もう意識が無いわけだから
一人きりなのかどうかなんてもう分からない

でもその前
死が予想される少し前で
まだ自分の意識があるとき
ずっとたった一人で過ごすなんて
つらいような気がするなあ

そんなにいろいろと話してくれなくても良いから
心の安らぐ人に
そばにいて欲しいなあ

痛みがあるならその苦痛を取り除いて欲しいけど
肉体的 精神的 苦痛に
たった一人で対峙するなんて
できそうに無いような気がするなあ

2007-08-20 | 想い・雑感
朝早くに車を走らせた
朝焼けがきれいだった

突然
学生時代の情景を想い出した

日の出前に起き出し
荷物をたくさん積んだ自転車にうち跨り
どこまでとは決めずに走り出す
そんな自転車旅行の朝の情景だ

朝の匂い
朝の光
朝の音
朝の肌触り
朝 まだ目覚めてない肉体
あさ 今ひとつはっきりしない意識

そんな感覚が一度にわき上がってきた

遠い昔の あの時間が
今に繋がっている

いきなり今に流れ込んでくる

高校野球

2007-08-20 | 想い・雑感
甲子園で活躍している佐賀北高校は
公立高校だそうですね
甲子園が始まるとまずは地元の高校を応援しますが
徐々に絞られてくると
どうしても公立高校を応援したくなります
相撲で小兵を応援したくなる気持ちに似ています

野球で有名な私立高校は
サッカーで言えばクラブチームのような気がします
だからといって必ずしも勝てないから野球は面白いのですが
やはりハンディがありますよね

公立高校もスポーツ枠なるものが存在しますが
ほとんどがその校区の学生
全国から選手を集めるのとは
かなり意味合いが違います

最終的にどこが優勝しても
私自身は何のこだわりもありませんが
佐賀北高校のおかげで
今年の高校野球を
少し楽しませてもらっています

生き残っているのか

2007-08-19 | 想い・雑感
大体思い出というのは都合の良いところを思い出すようで
昔は良かったなあ
などという言葉が口をついて出てくることが多い
確かに世の中は変化しており
昔と今が違うのは当然のことだが
昔より今の方が良いのか悪いのか
そんなことは私には分からない

ただ地球環境
人間に取っての地球環境がどうなるのか
ということを想像すると
どうも昔の方が良いような気がする

気候が大きく変化すれば
それに順応できる生物が生き残るだけのことであろうが
いろいろな情報を耳や眼にすると
たかだか50年先ですら
大丈夫だろうかと不安である
子供や孫の時代に
まさか人類が滅ぶとまでは思いませんけどね

いやいや
核の問題がありました
この方が近い将来に急激な変化を起こす可能性が高いかもしれないですね


よい加減

2007-08-19 | 想い・雑感
真っ青な晴天続きでしたが
今日は少し雲が出て
きつい日差しではありません

太陽からのエネルギー無くして
私たちの生存はあり得ないのですが
やはり加減というものがありますよね

太陽など自然はなかなか加減してくれると言うことは
無いのかもしれませんが
多くの生物がこの地球ではぐくまれていることを考えれば
多少の凹凸はあるにしても
絶妙の加減が成り立っているのでしょうね

人間社会のどんなことでも 
ちょうど良い加減でやるというのは難しい事です
加減が分からないために引き起こす失敗というのは
たくさんありますよね

人との関係で難しいものの一つは
間合い という加減
これが相手によって違うから
また難しいねえ

総括

2007-08-18 | 医療・病気・いのち
平均寿命が80歳前後となった現代日本において
壮年期と言われる年齢で
癌によって死が遠くないことを
伝えられて人に対して

いつかは人間死ぬものだ とか
昔は平均寿命が50歳くらいだった とか
言うことが何の慰めになるのだろうか
たとえそれが事実だとしても
その人の救いの言葉にはならないだろう

人は客観的に死を見つめるとき
言い換えると自分が死からまだ遠い存在と感じつつ死を語るときには
随分と分かったようなことを言いがちだ
それは私にもいえる

しかし壮年期における死は
やはり80歳 90歳における死とは
なにか違う対応が必要なのではないかと感じる

いきなり自分の人生の総括を求められるのである
まだまだこれから作り上げていこうとしていたのに
そろそろあなたの人生のまとめをしなさい と言われるのである

やり残したと感じるものの中から
一つ一つ断念していく無念さ

そこをどうケアすることができるのか
考えつつ実践していくことが大切なのだろうが
答えは一人一人違う上に
結局見つからないような気がしてしまう

マスク

2007-08-18 | 医療・病気・いのち
私たちは人と接するときに
様々な仮面を付けています
中には自分が気づかないまま付けている仮面もあるようです

人同士が 完全に分かり合うということはないにしろ
ある程度相手のことが分かるようになるためには
少しはこの仮面を取り去る必要があります

病院にやってくる患者さんだって
当然いろいろな仮面を纏ってこられます
ぱっと見た印象とその方の内面とには大きな隔たりがある
と思った方が良いようです

大丈夫 といいながらいろいろと我慢していたり
平気平気 といいながら自分の病に深く傷付き悩んでいたり
なんて言うのは当たり前にあると思って医療者は接する必要があります

ただターミナルケアの場面で仮面を取るというのは
お互いにとって勇気を そしてお互いの信頼 を必要とします
そこの所を抜きにしてケアは無いのでしょうが
怖さがあります

胃という袋

2007-08-16 | 医療・病気・いのち
胃袋 と呼ばれるように
人がものを食べると
胃は袋状に伸びて食べ物を収めてくれます
その後食べ物をわっさわっさと混ぜるとともに
一部の栄養を消化しつつ
少しずつ十二指腸のほうへ内容を移送します

胃の切除を行った後に
残った胃は大きくなるのか
ということを時々聞かれます

残念ながら胃は大きくなりません
しかし食べることのできる量は少しずつある程度まで増えていきます

これは胃の動きと胃につなげた小腸の動きがそれぞれよくなっていくこと
胃と小腸の動きに協調性が出てくること
小腸での消化能力が高まり胃の小さくなった状態に適応してくること

などが総合的に働いて食事摂取量が増えているのだと思います

先日大食い選手権で有名な若い女性がテレビに出ていました
その方がたくさん食べた後のCT画像が紹介されていました
こんなに膨れる胃があるのか!
と思わず目を見開いてしまいました

これまで私は大食いの人は
胃から十二指腸のほうへどんどん食べたものが流れてしまうとともに
消化吸収のが弱い人なのだろうと何となく思っていたのですが
その人は食べたもののほとんどをいったん胃に溜め込んでいたのでした

通常はこうなる前に
胃が 「もうこれ以上膨らめない!」とねをあげてしまうはずなのですが
膨らんだという信号が脳に到達しないのか
胃の筋繊維に問題があるのか
はたまた別の機序なのかさっぱり分かりませんが
上腹部をすべて占有するほどに胃が膨らんでいるのです

驚きました
このかたがもし胃の手術を受けることがあれば
一気に食べられなくなるのでしょうね

イメージ

2007-08-15 | 想い・雑感
むかし 白い恋人たち という映画がありました
どこかの冬季オリンピックの映像を
淡々とつなぎ合わせた 記録映画です
きれいな映像だったとおぼろげに記憶しています

白という色と その映画の記憶が重なり
またパッケージもさわやかなので
これまで何度か北海道のお菓子「白い恋人」を食べ
良い印象を持っておりました

そのお菓子に置いて
賞味期限の改ざんがあったとのニュースを聞きました
賞味期限なんぞはもともと
製造業者がこれくらいの時期までは
おいしく食べられますよということを
保証しているだけのことであるから
その製造業者がまだ大丈夫と期限を延長しても
大きな問題とはならないのかも知れない
消費期限と違い賞味期限を少しくらいすぎたって
健康被害が出るわけでもないですからね

でもそこの社長が
「1年くらいは大丈夫との自信は持っている」
などと言うとちょっと待ってと言いたくなる

自信があるなら改ざんなどせず
最初から自信のある時期を明示すれば良いじゃないか

あるいは製造年月日を明示するとともに
1年間保証をつければいいじゃないか

そして社長に自信があるかどうかが問題なのではなく
嘘があると信用を失うよ ということが一番の問題であるはずじゃないか