Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

粒子

2015-12-12 | 想い・雑感
新幹線に
目を瞑って乗っていると
とてつもない勢いで
この体が運ばれているのを感じる

特にトンネル内では
ゴーっという響きが
その感覚を増幅する

おそらく
時も
強烈な速度で過ぎ去り

気づけば
この肉体は
細かな粒子となって
ふわりと広がっていくのだろう

地球がなくなった後も
宇宙の一部として
広がっていくのだろう

後方支援

2015-12-12 | 想い・雑感
戦いの手段として籠城を選択すれば
軍事力は勿論
籠城している人々が生き抜くための
飲み物や食べ物の蓄えが必要となる

さらに長期間持ちこたえるには
必要物資の補給が必須である

つまり兵站の能力が高くなければ
籠城戦などはできないわけである

籠城戦に限らず
戦闘において
相手の兵站ラインを攻撃し
物資や兵力の補充を断つ事は
戦略の柱の一つとなる

燃料補給などの後方支援は
相手からすれば立派な戦闘行為

後方支援は戦闘行為ではない
などといくら自国民に喧伝しても
相手の目線で見れば詭弁である事は
明らかだろう


開閉ボタン

2015-12-11 | 想い・雑感
エレベーターに乗り
他の乗降者のいないことを確認して
閉じるボタンを探したが
見当たらない

わずかな時間待てば
当然扉は閉まった

次に乗った時
開閉ボタンが
他のボタンの上にあることに気付いた
それもボタンの形状が
他と異なっている

開閉ボタンの操作は
緊急時に行うものという
本来の使用法に従った作りなのだろう

普段当たり前のように
開閉ボタンを操作している
自分の忙しなさに
気づかされた

野坂昭如

2015-12-10 | 想い・雑感
ソソソクラテスかプラトンか♫
ニニニーチェかサルトルか♪
みーんな悩んで大きくなった♬

野坂昭如という名を聞くと
思い出すのはこの歌

お酒の宣伝であったと思う

火垂るの墓の原作者であった事は知らなかった

メディアで見かけなくなっていたのは
脳梗塞を患われていたからなのですね

ご冥福をお祈りしますが
酔っ払っていて
冥土の旅をやり遂げる事ができるか
少し心配である

死ぬまで働け

2015-12-10 | 想い・雑感
お迎えが来る頃まで
自分の意思で行動し
できる事なら少しは働いていたい
と思っている

自分なりの工夫をして
ちょっとは何かの役にたっている
かもしれない事を
できればいいなぁと

でも
死ぬまで働けと
他者から強制されるのは
遠慮したい

ひとに対して
死ぬまで働けなどという事を
当然のように口に出せるような人を
私は信用できないし
政治家でいて欲しくないと思ってしまう

一方国からは
みんな活躍しなさいよ
などという掛け声がかかっているようだが
そんな事ほっといて欲しいね

活躍できる人がすればいいし
気づかないうちにその人は
とても多くのひとに支えられているのだから
目に見えぬ活躍もあるだろう

また活躍の意味が
経済に偏るなら
ますます酷い競争社会になりそうで
感心しない

できる事を
できる範囲で
というくらいで
手を打ちたいね

説明責任

2015-12-09 | 想い・雑感
説明責任は地位の高い人ほど
きちっと果たす事が望ましい
行動一つが広く大きな影響を持つのだから
それが当然だし仕方がない

過去の犯罪疑いに対し
口でそんな事実はないというばかりで
指摘された車のナンバーの確認もしたがらない
そんな大臣がいると聞いたが
困ったものだ

政治家をやっているうちに利権に塗れ
品性を貶めるひとを見かけるが
この大臣は
もともと品格なしではないか
と疑われているわけだ

事実無根なら本気で怒って
きちっと説明検証すれば良いではないか

それすらしないそんな大臣を擁した政府に
秘密保護法なんて語って欲しくない
自分の都合の悪いものを隠す政治家は
退場して欲しい

大気汚染

2015-12-09 | 想い・雑感
人家の近くでも
せせらぎや湧き水などを掬って
喉を潤すのが当たり前の時代

かなり人里離れた場所の
綺麗な川の水でも
一瞬大丈夫かなという疑問を感じる時代

水を買うのが当たり前の時代

日本列島では身近にあって当たり前だった飲料水が
少しずつ遠い存在になってきた

お隣中国では
大気汚染で赤信号

いずれ外界から隔絶された空間でしか
地球上で暮らせる場所はなくなり
空気も買う状態になるのかもしれない

その原因が大気汚染とは限らない
放射能汚染かもしれない

身近にいて当たり前と思っているひとを
空気の様な存在と表現する事も
できなくなりますね

バイク置き場

2015-12-09 | 想い・雑感
駅前に放置された自転車をよく見かける
歩道まではみ出し問題となる事もあるが
都市部では駐輪場の整備が進み
以前より状況は良くなっている

しかしバイクを駐められる場所は相変わらず少なく
デパートの駐車場などでも
バイクを入れてくれるところはあまり見かけない

停めるところがあれば
もう少し気楽に買い物に行くのだが
停める場所を探し回ってまで出かける気にはならない

2015-12-08 | 想い・雑感
今年は戦後70年
という言葉をよく聞いた

戦争が終わってからという事で
戦後という事になるのだろう

第2次安倍政権となるまで
その言葉を当たり前と思っていたが
ここに来て
戦間という言葉にやや現実味を感じ始めた

戦間期は第一次と第2次世界大戦の間の時期
を普通は指すようだが
戦争をしていない時期を戦間期と呼ぶ場合もある

現在の日本が
戦間期とならない事を願いたいが
世界を見回せば常に戦闘が行われており
今も戦時中と考えたほうが良いのかもしれない

戦闘に関われば
争っているものたちの
どこかに加担する事になる

そうなればどこかの敵となる

銃弾や爆弾は兵器ではない
などという詭弁は通用しない

雲の下

2015-12-08 | 想い・雑感
自分の頭の上の方にだけ雲があり
どこに逃げてもその雲が付いて来て
雨の中に身を置き続ける
というのを漫画で見かけた事がある

今朝はそれに似たような状況

バイクで職場に近づいていくと
前方に雲

嫌な予感は的中し
雨の中へ突入

ちょっと離れた空には
ぐるっと青空が見える

漫画のイメージと重なって
笑ってしまった

欠礼

2015-12-07 | 想い・雑感
この時期になると
欠礼の挨拶状が送られてくる

多くの場合は既に四十九日を過ぎているので
ご冥福を祈るわけにもいかない
残されたものが安らかである事を
祈るばかりである

それにしても
身近な者が亡くなった年に
新年を祝ってはいけないものかどうか
よくわからない

慣習を無視してまで年賀状を出す必要もなかろうが
日常においてまで自粛する必要はないだろう
残されたものの心持ちに
素直に従えば良いばかりだろう

そもそも新年がめでたいか否かは捉え方次第

無事年を越せた事は目でたかろうが
死出の旅に一歩近づいた点では
両手をあげて喜ぶわけにもいかない

一休さんの言うとおりである

「門松は 冥土の旅の 一里塚
 めでたくもあり めでたくもなし」

シャンクス

2015-12-07 | 想い・雑感


一か月前
誰かが仕掛けた罠に右脚を挟まれ
我が家のデッキ下に逃げ込んでいた子猫

何とか保護し動物病院へ
暫く治療後我が家に引き取った

右脚を失ってしまったが
元気に食事も食べだした

治療前
罠が右前脚に食い込み
今にもちぎれて
落ちそうな状態の写真もあるが
見るに耐えない

だから掲載しませんが
ひどいものです
バチッとはさみ込む罠は
その設置に届け出が必要ないのでしょうか
住宅地の中なのですが

なお息子の提案で
シャンクスと名付けた

沢村賞

2015-12-06 | 想い・雑感
先日沢村賞のニュースを見かけた

プロ野球の投手にとって
栄誉ある賞の一つであろう

賞の名に冠された沢村投手は
戦前に活躍した投手だが
戦争中に手榴弾を投げる事により
肩を壊してしまって選手生命を絶たれ
戦死という形で生命自体も絶たれた

戦争によって大きく人生を変えられたわけだ

再び戦争という事になれば
現在スポーツ界で活躍している選手は
その活躍の場を
戦場に移す事になる

生きていればもっと活躍できたのに
と回想される選手も
きっと出てくる事になるだろう

伝える

2015-12-06 | 想い・雑感
縁戚にあたる人が胃癌と診断された
早期のようなので
知人に内視鏡治療を依頼した

結果は予想通りの早期癌で
内視鏡下治療で終了
手術は不要であった

ただ看護師さんから
普通より大きく切除してました
と言われたことから
実は予想より悪いのでは?
と不安だったらしい

予想より深くても
取り残しがないように大きめに取る
と予め知人が話していた事を伝え
漸く安心してくれた

大きく取ったというのは
十分取ったという事を伝えたかったのだろうが
人により受け取り方が異なる

伝える
というのは実に難しい

提示

2015-12-04 | 想い・雑感
原爆と聞けば
大きなキノコ雲の写真を
思い浮かべる人が多いだろう

しかしその雲の下で繰り広げられた地獄絵を
写真を通してでも思い浮かべる人は
少なくなってきているかもしれない

欧米の青少年が
広島や長崎の原爆記念館を訪れると
知らなかった多くの事実に
言葉を失うという
展示物や写真の前で
立ち尽くすという

戦争がどれほど醜悪で過酷なものか
戦争は人をどんなに残酷で非情にするものなのか
それは語り継ぎ伝えていかなければ
ならないものだろう
その手段として
写真などは重要である

地方の中学生が
戦争の悲惨な写真とともに
戦争の悲惨さを伝える朗読劇を企画した
ところが主催者である自治体が
中止の決定を下したらしい

理由は
提示する写真で
ショックを受ける人がいるかもしれない
という事らしい

戦争となれば写真で受けるショックどころではないだろう
そんな事実に蓋をしてしまう行政
ありのままの事実の提示から
自主規制の名の下に逃げ出すマスコミ

事実を見つめずに
進む方向を決めて良いのだろうか

中学生の朗読劇
見てみたいものである