~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~
講演 七
「われら生命意識の修行所なり」
先の続き・・・
ですから、足が無いことについても、
その心の受け取り方にあるのですね。
普通は自分の不幸を嘆き悲しみます。
しかし智慧ある方は、
それを喜びに変えてしまいます。
喜びに変える一つの手段として、
「いつもは忙しくて本も読めないけど、
足を失ったお陰でゆっくり本を
読ませてもらえる」と
いう感謝に変えてしまうことができます。
また義足をつけますと、
自由に動けません。
立って歩くことはできても、
自分の足のような
わけにはいきません。
その不自由なほうに心を向けますと、
嘆き悲しむことになり、
「足があればこんな不自由はしないのに、
こんな義足をつけてしまって・・・」と
愚痴をこぼします。
しかし「料理がゆっくりさせてもらえる、
料理を学ばせてもらえる」と言って
喜べば、たちまち喜びに変わっています。
これは全部私たちの内なる心の
働きによるのであって、
外を見れば足が無いから悲しいですが、
内なる自分の想念の転換をはかった時は、
喜び、感謝に変えることができます。
~ 感謝・合掌 ~