~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~
講演 八
「この段階は神仏の心と己の心の調和度による
光の量の区域なり」
先の続き・・・
他の方を生かし、他の方の幸せのために
尽くさせてもらうのが、私たちが神の御心を、
この生身をもって体験させてもらうことです。
そして神は、つまり太陽の熱と光は、
私たちがどれほど過ちを犯しても、
罪を重ねても、いまだかつて、
ただ一度として罰せられた人はないはずです。
太陽の熱、光を頂きながら、その慈悲と愛の中で
罪を作り、過ちを犯し、そして嘘を言い、
或いは他を謗っていますが、
どれほど私たちが過ちを犯しても
燦燦(さんさん)と輝いて、
慈悲と愛を与え給うのみです。
決してお裁きにはなりません。
「お前、こんなことをしてはいけない」
「こういうことをしたら許さない」など、
お日様の熱と光はいっさいおっしゃいません。
神様の御心とは、そのようなものです。
私たちが何をしても、どんな過ちを犯しても、
どんな罪を作っても、
「目覚めなさい、そのような過ちを犯しておれば、
自らその苦しみを味わわなければならない、
早く気付きなさい、
目覚めなさい」と、ただ燦燦と愛を与え給います。
これは無限の許しです。
~ 感謝・合掌 ~