浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2018-11-15 00:15:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 八

先の続き・・・

しかし、宗教とか、
ある先生とかによりますと、
「あの世みたいなものはない、
この世だけである」と説いています。

また、
「神も仏もない、ただあるのは
物質と肉体だけで、死ねば何もなくなる」と
いうのは、唯物論の世界ですね。
あの世というのは、
私たちの見たこともないところですし、
今の私たちの記憶の中に
あの世の体験はございません。

ですから、あるのかないのかと聞かれても、
自分がはっきりと掴んでいない場合は、
どうやらあるらしいという
答えしかできないのですね。
しかし、
だんだんと体験を積ませていただきますと、
「ああ、ほんとうにあるのだなあ」と
いうことが分かってきます。
これは自分が体験して
はじめて分かることなのですね。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-14 00:20:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 八

「心行」の解説は、
とても私のような者ができるほど、
浅いものではないのでございます。
理解させてもらえばもらうほど、
奥が深くなってゆくのがこの「心行」でございますが、
私の浅い体験を通して、毎月一回、浄心庵での
第一時間目は「心行」の解説をさせていただいて
おります。

今日は、来世のことについてですね。
「来世は次元の異なる世界にして 
    現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり」

来世は次元の異なる世界です。
私たちが住まわせていただいておりますこの世と
いいますのは、三次元の世界と聞いております。
あの世に帰りますと四次元以降の世界で次元が
違うのですね。

三次元と四次元という、この全く違う世界へ私たちは
帰っていきます。
この「心行」には書いていただいておりませんが、
その次元の異なる世界で、ある期間を過ごしまして、
またこの現象の、物質の世界へ生まれ出てくるのです。
これを輪廻転生と説かれています。
私たちはこの世を去りますと、肉体はこの世から
消滅します。

いかに死にたくない、いつまでも生きたいと強く
願いましても、ある期間が経ちますと、必ずあの世へ
帰っていかなければなりません。
来世のあの世界へ旅をするわけですね。
来世とは、ここに説かれていますように、肉体を去った
世界です。

それからまた肉体の世界へと生まれ変わってきて、
またあの世へ去っていくということを、何回も何回も
繰り返しているのが、実相といいますか、
ほんとうの姿のようです。

             
~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-13 01:17:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~

                  
    講演 七

 「神仏より与えられし 慈悲と愛の
        環境なることを感謝すべし」

先の続き・・・

このように見て行きますと、
米粒一粒にさえ感謝せずにはおれません。
大勢の方が手をかけ、米という字が示すように、
八十八回手を加えなくては私たちが頂くことが
できないほどの手間をかけて、お百姓さんが
一生懸命汗水を流して作って下さったお米を、
私たちは三度三度頂いておりますが、
心から感謝しているでしょうか。

三度三度頂くのは忘れないけれど、
感謝するのは忘れています。
この米粒一粒といえども、
籾を付けて母なる大地に
預けたら、必ず芽生える命です。
その尊い命を私たちは毎日頂いております。
これも感謝に心を向けた時、
どれだけ感謝させていただいても、
感謝のし過ぎということはありません。

それも、
心から涙を流して感謝している方は
ほんとうに少のうございます。
あの一膳のお茶碗の中にいったい
幾粒の尊い命があり、
これを作っていただいた方のどれだけの
御苦労がこめられているか、
そういうお米を、今私たちは
頂かせてもらえるのだと、
そのように一度感じてみて下さい。

有難く、もったいなくて
涙は止めどなく流れます。
「ほんとうに有難いなあ」という感謝は、
他人のものとは違うのです。
感謝したその喜びは、
自分の心の喜びです。
自分自身の喜びですね。

私たちは、喜びを頂こうと思えば、
いっぱいあるのです。
人はその喜びを自ら断っております。
私たちは日々の生活で、
その喜びに心を向けることが
大切ですね。

喜べば喜びごとが喜んで
喜び集めて喜びに来る
まず喜ぶことです。
私たちにこの喜びは無限に
与えられていますから、
ただ頂いたらいいのです。
米粒一粒、野菜一片、小さい魚一匹、
すべては私たちが喜べるように
与えていただいています。

なぜ素直に喜びを頂かないというと、
「あって当たり前」という、
人間の持っている煩悩が、
この喜びを消しております。
だから、「もしなかったら」と
思わせていただいた時、
すべては感謝になります。
少しでも喜びを自分のものとして
頂くように
させていただきたいと思います。


    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-12 00:57:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 七

「神仏より与えられし 慈悲と愛の環境なることを
    感謝すべし」

この現象界といいますのは、
私たちが修業させていただくために、
神から与えていただいた
慈悲と愛の環境です。

太陽の熱、光こそ慈悲と愛であると、
高橋信次先生は説かれました。
この熱と光り一つを見せていただいても、
これは無限の神の恵みです。
神から与えられた慈悲と愛の環境に、
常に感謝することです。

私たちは余りにも感謝を
知りませんでした。
太陽の熱に対して「有難いなあ」と
思っているでしょうか。
或いは見えない空気中にも、
私たちの生存可能な量だけの
酸素をちゃんと
頂いているのであって、

もし酸素の量がもう少し多ければ
目がつぶれてしまうし、
もっと少なければ息ができません。
それをちょうど苦しくないだけの適量を
与えていただいているのですが、
この酸素一つを思わせていただくだけでも、
私たちはどれほど感謝しても感謝の
し過ぎということはありません。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-11 00:55:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 七

「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

「法」の中に自らを苦しむることなかれ」とは、
神の御心です。
もしも日々の生活で神の御心に背いているとしたなら、
霊格が上がることはあり得ません。
では、自らを苦しめるその原因は何かというと、
何回も話ますが、
腹を立てること、人様を謗ること、嫉妬すること、
愚痴を言うこと、また恨み、憎しみ、
要らぬ取越し苦労、さらに不安、恐怖、嘘、
盗みなどです。

盗みは神様に怒られるよりも人間に怒られます。
また、あっても欲しい、
もっと欲しいとう足ることをしらない欲望、
貪欲ですね。
これらのものが自分の霊格を低めます。
そういう行為をしている人は、霊格の低い、
成長していない方と見て差し支えないと思います。

これらの想念行為は全部過ちですから、
過ちの多い人は、これはもう仕方なく低い方です。
今度は、過ちの少ない方がどれだけ良い行いを
なさっているかですが、
その良い行いも押しつけたおせっかいはいけません。
求められた時、どれだけ自分が無償の愛の実践が
できるか、
どれだけ愛の実践がさせていただけるかです。
いっさい求めてはなりません。

もしも求めましたら、苦しみの原因になりますから、
求めることなく、「たださせていただく」だけの
良き行いをどれだけ積んでいるかが問題です。
無償の愛の実践の数が多い方は、霊格が高いのです。
そのように見ていただいたら結構かと思います。
霊格を高めるために、まず知らなくてはならないのは、
自分の持っている悪い癖、欠点です。

これを行じていただきたいと思います。
「修行所」といいますのは、自分の魂の修行所、
或いは霊の修行所です。
修行の方法としまして、己を知ること、己の癖、
欠点を徹底的に掘り下げて掴み出すことですね。
それがはっきり掴めますと、今度はそれを
正していくことです。
さもないと正し方がわかりません。
何を正したらいいのか、何を修正したらいいのかを
知るために、まず癖、欠点を把握して下さい。


    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-10 01:03:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


         講演 七

    「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

私たち各自は修行させてもらいやすい
環境を頂いております。
その中で親子であり、夫婦であり、
また親しい仲間であり、
こうして法を学ぶ友であり、
これらの人々を通して自分の癖、
欠点を修正していくのです。
それによって自らの霊格を
少しずつ高めていくのです。

あの方は霊格が高いとか低いとか、
よくそういう言葉を聞きますが、
あの人は霊格が高いと言いましても、
普通の凡夫には霊は見えませんから、
では何をもって霊格の高低を
見分けるのかといいますと、
その方法は、その方がどれだけ
良き行いを積んでおられるか、
またどれだけ間違い少なく日々を
送っておられるか、
それによって見わけることができます。

                 
    ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2018-11-09 01:09:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


                 講演 七

           「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

第一段階として、
この話を聞いていただくだけでしたら
功徳は起きません。
ぜひこれを実践して下さい。
何回もお願しているのですけれど、
何回来ていただいても一人も「欠点集」を
持ってこられません。
はっはっはっ。
誰も実践してくれません。

私は実践しました。
そして常にしています。
「私の持っている悪い癖、欠点がまた出たな、
これ、引っ込め、引っ込め」と言って、
自分の欠点を抑えるようにしています。
これは大いに功徳があると思います。

皆さんぜひ実行して、
自分の悪い癖を探してみて下さい。
自分にはそんなに悪い癖はないなあと
思いましても、
たくさん出てきます。
調べれば調べるほどたくさん出てきます。
悪い癖や欠点をいっぱい持ったのが私たち
人間の姿です。
これを直すために私たちは
生まれてきたのであって、
これが修業の目的ですね。


         ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-08 00:30:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 七

 「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

私は十三年前、
高橋信次先生ご存命中に、
それをぼつぼつと始めました。
書いていきますと、さあ、
あるわあるわ、
私はもう四十以上でした。
悪い癖、欠点が
いっぱいあるのです。

それで、
私という人間は
こんなにたくさん悪いところを
持っていたのだなあということに
目覚めてきました。

自分の欠点を調べることによって
目覚めるのですね。
調べなかったら分からないです。
何か失敗をしたり、
間違いを犯した時は
「これはどの癖から来たのかな、
この癖がここに出たのだな」と、
まず自分を知ることです。

己を一つ知った時、
人様を一つ知ることができます。
自分を三つ知った時、
人様を三つ知ることができます。
自分を知れば知るほど、
人様をよく知ることができます。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-07 00:49:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


                  講演 七

           「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

この言葉は二十歳ぐらいの時、
ある本によって教えていただきました。
この言葉によって、
ほんとうに私は救われました。
これは、しょうもない奴だと
軽蔑している相手の場合ほど、
よけいに腹が立つのです。
「あのド阿呆が、あんなことをぬかした、
ようもあんなことを言うたものや」と、
腹を立てるのですね。

軽蔑している者よりもなお、
自分が愚かになってしまいます。
このことが分かった時、
「あんなしょうもない奴よりも私のほうがもっと
しょうもない人間になったらつまらんことだ、
あんな馬鹿より馬鹿になりたくない」といって、
捨てやすくなります。
私はそう思うことで
大変救われたことがあったのです。

ですから、お友達の中でも、家庭の中でも、
自分が間違っていないのに、
人が間違ったことをすると腹が立つ時は、
この言葉を思い出して、
三回ぐらい唱えてみて下さい。
いっぺんに腹が立たなくなります。

これも腹を立てない一つのテクニックです。
それともう一つ、先程言いましたように
「己の欠点集」という帳面をこしらえて、
自分の持っている悪い癖、
欠点を箇条書きでも結構ですから、
番号を打って書きあげてみて下さい。


     ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2018-11-06 00:23:54 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 七

 「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

素晴らしい言葉があります。
私が若い頃、
ほんとうに苦しみました時に
私を救ってもらった
素晴らしい言葉です。
「人の愚かなる行為をもって
我が心の楽しみを
失うことなかれ」
「人の愚かなる行為をもって
我が心の楽しみを
失う者はなお愚かなリ」。

これは人の愚かなる行為という
外の出来事によって、
我が心の楽しみを失っては
いけないという意味です。

私たちの心の楽しみを
失う大きな原因は、
自分が正しくとも、
人が間違いを犯したために
腹を立てる場合が多いのです。
たとえばありもしない自分の
悪口、陰口を、
もしも人に言われた時

「あの餓鬼め、嘘をついて
私のことを悪く言ったな、
あれは許せない」と
言ってカッカと怒ってしまいます。
ところが、それは自分ではなく、
人が愚かなる行為をしているのです。
人の愚かなる行為で
心の楽しみを失っているのは
自分のほうであって、
なお愚かなことです。

自分が人から悪口を
言われたことによって、
腹を立てて苦しんだり
いやな思いをしましたら、
愚かなことをしている人よりも、
なお自分が愚か者に
なるといことです。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-05 00:11:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


            講演 七

       「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

あの目を失った方もそうでしたね。
片目がつぶれても嘆き悲しみ、
「私ほど不幸な者はない」と
沈んでおられました。
ところが、
見えるほうの目に心を向けられた時、

「ああ、私は幸せだった」と
気付いて、
喜びのほうに心を切り替えましたら、
たちまちその方の顔の相まで
変わってしまったのです。
これは、目が治ったからその人が
幸せになったのかといいますと、
目はそのまま片目がつぶれています。

ただ、見えないほうの目に心を
向けたか見えるほうに向けたかで、
その人の人生が完全に
一八〇度変わったのです。
ですから常に自分の内へ内へと
心を向けることですね。

外は、人が何をしようと、どうしようと、
これは関係ありません。
人は人さんのことです。
自分は自分のことですね。

                 
    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-04 00:30:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 七

「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

ですから、足が無いことについても、
その心の受け取り方にあるのですね。
普通は自分の不幸を嘆き悲しみます。
しかし智慧ある方は、
それを喜びに変えてしまいます。

喜びに変える一つの手段として、
「いつもは忙しくて本も読めないけど、
足を失ったお陰でゆっくり本を
読ませてもらえる」と
いう感謝に変えてしまうことができます。
また義足をつけますと、
自由に動けません。

立って歩くことはできても、
自分の足のような
わけにはいきません。
その不自由なほうに心を向けますと、
嘆き悲しむことになり、

「足があればこんな不自由はしないのに、
こんな義足をつけてしまって・・・」と
愚痴をこぼします。
しかし「料理がゆっくりさせてもらえる、
料理を学ばせてもらえる」と言って
喜べば、たちまち喜びに変わっています。

これは全部私たちの内なる心の
働きによるのであって、
外を見れば足が無いから悲しいですが、
内なる自分の想念の転換をはかった時は、
喜び、感謝に変えることができます。


    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-03 00:36:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 七

 「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

自分の悪に目覚める方法は、
常に「反省」を繰り返すことです。
「これでいいか」「これで間違いはないか」と、
その一瞬一瞬を常に反省して、
己を見つめることです。

他を見るのではありません。
常に外を見るよりも、
内を見ていかなくてはいけません。
なぜかといいますと、
私たちは外の世界に
住んでいると思っておりますが、
ほんとうは内なる世界に住んでいるからです。
自分の心の持ち方の中に住んでいるからです。

もし不幸にして足を切断して
動けなくなったとします。
私たち凡夫は「ああ情けない、辛い」と言って
嘆き悲しみます。
しかし、ある方は義足をつけて
「ああ、この義足というものは
有難いものだ」と感謝し、
しかもその方は足を切断した時に、
「私はバタバタと忙しくしていたけど、
こうして足を失ったお陰で、
ゆっくり本を読み勉強をさせてもらえる。
有難い」と、

足をなくした不幸を感謝に
変えてしまわれたそうです。
そして今度義足をつけてもらいましたら、
「私は特にお料理が下手なので、
こうして義足をつけてもらったら、
早く動かなくてもいいし、
お料理をゆっくりさせてもらえる、
こんなに有難いことはない」と言って、
喜びに変えられたそうです。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-02 01:00:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 七

 「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

何カ月か前に、東京で疑問を頂きました。
「知って犯す罪と、
知らずに犯す罪がありますが、
ある教えでは、知って犯す罪よりも、
知らないで犯す罪のほうが重いと
説いているのは
どういいうことでしょうか」と。
知って犯す罪のほうが軽くて、
知らないで犯す罪のほうが重いのです。

普通なら知らずに悪いことをしたのだから、
この世的に見れば許されやすい、
罪は軽いと思います。
しかし、魂の世界から見ますと、
知らないで犯したら
その過ちに目覚めることができないから、
また繰り返して罪を犯します。

知って犯すには自分の良心が知っています。
「ああ、これをしたらいけないなあ」と、
自分の良心が知っていますから、
「これは再び繰り返してはいけない」と
目覚めることができます。
したがって、
知らないで犯した罪のほうが深いと
説かれたものです。


 ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-11-01 00:42:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 七

  「われら生命意識の修行所なり」

先の続き・・・

修行しますのには、
いったいどのようにすれば修行ができるかというと、
やはりルール、方法が分からなくては修行ができません。
「修行法」ですね。

それにはまず、自分という人間は、
いったいいくつほど悪い癖を持っているのか、
これを調べないと、その方法は出てきません。
疑い深いとか、嘘を言われてもすぐ信じてしまうとか、
これらの明らかな癖です。

真実を確かめないで、
聞いたことをすぐ人に喋ってしまうのも癖です。
人はそれぞれ悪い癖を
いっぱい持っているのですけれど、
自分でそれを掴んでいないのです。
まずそれを掴まないことには、
悪い癖をなくすことはできません。

ですから、「私の癖集」という帳面を一冊
作っていただきまして、毎日毎日の生活で
「ああこれも私の癖だ」と思うものを
メモしていくのです。
よく腹を立てる癖、騙されやすい癖、
人のお世話をして「これは出しゃばりだな」と思えば、
その癖を書きとめます。

嘘をついたら嘘つきと、自分の欠点を自分で
見付けていかなくては、
自分を知ることはできません。
過ちを犯しながら、それを過ちと全く知らないで、
さらに過ちを犯す人はいっぱいあります。


  ~ 感謝・合掌 ~


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