浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「御垂訓」

2019-11-12 23:31:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 八

「肉体保存のエネルギー源は万象を含め動物・植物・鉱物なり
             このエネルギー源に感謝の心を忘れず」

先の続き・・・

ちょうど弟が大学へ行って一年経った時、
今行っている大学よりも京都のほうに良い先生がおられるから、
そちらに替わりたいと言ったのです。
昭和二十年代で、お金が五万円ほどいるというのです。
私の給料が六千円の時です。
その当時にしたら大金ですね。

それまではずっと働いて貰ったお金を、
封を切らずに親もとへ送っていたのですね。
そのお金で姉たちの結婚の道具を買っていただいたそうです。
「お前からお金を入れてもらうと全部使ってしまうから、
これからは自分で管理しなさい。

働いたお金は、自分で貯めるようにしてくれ」と、
親から言われたのでそれ以後は家に送らず、
自分で貯金をしだしたのです。
六千円の給料で、やっと十万円出来た時に、弟が相談に来まして、
「実家の兄に言うとそんなお金はないと相手にしてくれないので、
兄ちゃん、何とかしてくれないか」と言いますから、
「よし、よし、十万円出来たから、これをみんなあげよう」と言って、
六千円の給料の中からお小遣いを千円のけて、
毎月五千円ずつ貯金をしたのが十万円ほど貯まっていたので、
弟は五万円でいいと言ったのですが、十万円あげたのです。

全財産がなくなった時、スカーッとしたさびしさと、
良かったなあという喜びとがありました。
「私は学校へよう行かなかったから、
私の代わりにしっかり勉強してくれよ」
と言って、もう一銭も残さず全部弟にやったのです。
ちょっぴりさびしいですが、心が豊かになりますね。

まあ二十歳そこそこの若い頃から、そういう体験をしております。
とにかくあれば全部やってしまいますが、また入ってくるのです。
出せば入るということを二十歳の頃から知っておりましたから、
常に出させていただくようにしていました。
いくら出させていただいても、食べるのには困りません。
どこからか与えられます。
そのように生きれば、神様が与えて下さるのです。



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