~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 九
「己の肉体が苦しめば心脳乱しわが身楽なれば
情欲に愛着す。苦楽はともに正道成就の根本に非ず」
先の続き・・・
あまり楽な生活に走ってもいけないし、
またあまり肉体を厳しく痛めても、正しい道を成就できないと、
お釈迦様がご自身のことをいっておられます。
お釈迦様は今まさに自分の命の灯が消えようとしていた時に、
川上のほうから聞こえてきた少女の歌声によって
「調和・中道」ということを悟られたのですが、
日頃から聞いておられた民謡の今まで気付かなかった意味を、
「なるほど」と悟られたのですね。
お城での栄耀栄華の生活は、歌のことばでいえば
弦がゆる過ぎたのであり、
今の苦行に状態ではあまりにも弦を強く締めていたために、
命の切れる寸前まできていたのだとお悟りになって、
いっさいの苦行を放棄されました。
快楽も苦行も共に捨ててしまわれて、
あの菩提樹のもとに吉祥草を刈ってきて、
それを厚く敷いて心地よい場所を作られ、
ご自分の生まれて以来今日までの反省に入られたのです。
反省・禅定に入られた時、いろいろと悪魔が攻め襲ってきたと、
仏典には書かれています。
悪魔は外部から襲ってきたのではなく、
自分の心の中から湧きあがってくるのです。
静かに反省していると、国に置いてきた妃のことが思いうかぶのです。
今ふうに言えば「家内はどうしているだろうか」、ということです。
信次先生のご著書の中には、
「妃がその春を売るようなポーズをしてきたので、
悪魔といって追い払われた」と書いてあります。
自分の心の中に現れるのです。