浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「御垂訓」

2019-11-26 23:10:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                 講演 九

「己の肉体が苦しめば心脳乱しわが身楽なれば
    情欲に愛着す。苦楽はともに正道成就の根本に非ず」

先の続き・・・

あまり楽な生活に走ってもいけないし、
またあまり肉体を厳しく痛めても、正しい道を成就できないと、
お釈迦様がご自身のことをいっておられます。

お釈迦様は今まさに自分の命の灯が消えようとしていた時に、
川上のほうから聞こえてきた少女の歌声によって
「調和・中道」ということを悟られたのですが、
日頃から聞いておられた民謡の今まで気付かなかった意味を、
「なるほど」と悟られたのですね。

お城での栄耀栄華の生活は、歌のことばでいえば
弦がゆる過ぎたのであり、
今の苦行に状態ではあまりにも弦を強く締めていたために、
命の切れる寸前まできていたのだとお悟りになって、
いっさいの苦行を放棄されました。

快楽も苦行も共に捨ててしまわれて、
あの菩提樹のもとに吉祥草を刈ってきて、
それを厚く敷いて心地よい場所を作られ、
ご自分の生まれて以来今日までの反省に入られたのです。
反省・禅定に入られた時、いろいろと悪魔が攻め襲ってきたと、
仏典には書かれています。

悪魔は外部から襲ってきたのではなく、
自分の心の中から湧きあがってくるのです。
静かに反省していると、国に置いてきた妃のことが思いうかぶのです。
今ふうに言えば「家内はどうしているだろうか」、ということです。
信次先生のご著書の中には、
「妃がその春を売るようなポーズをしてきたので、
悪魔といって追い払われた」と書いてあります。
自分の心の中に現れるのです。



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「御垂訓」

2019-11-26 01:43:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 九

「己の肉体が苦しめば心脳乱しわが身楽なれば
       情欲に愛着す。苦楽はともに正道成就の根本に非ず」

私たちの肉体が苦しめば心は乱れます。
痛いところがあると、ああ痛い、苦しいと、
肉体の支配者である心が悩み乱れます。
肉体の健康は、幸せに欠くことはできません。
また、あまり肉体が楽で、おいしいものを食べ、時間もある、
お金もあるという場合は、まともなことを考えないものです。

情欲に捉われたりします。
ところがそのような苦しみやまた快楽は、
正道成就の根本ではないのです。
お釈迦様は両親、妃、子供、お城のすべてを捨てて出家をされ、
厳しい肉体行をお求めるになりました。

お城の中では栄耀栄華を極めた思いのままに生活をなさり、
これは「楽」に相当しますが、
その中で心を悟ることはできませんでした。

何とか心を悟らなくてはと、道をお求めになり、
厳しい肉体行の先生について修行されましたが
やはり悟ることはできなくて、
今度はご自分で厳しい肉体の行いをなさったのです。

飲むもの食べるものを何日も断ったり、
焼けつくような岩の上で何日も耐える
修行をなさったのですが、
それほどの苦行を通しても自分を悟ることはできなかったのですね。

これは、肉体を苦しめては心が乱れるということです。
例えば氷を割った中に漬かってお経をあげていましても、
冷たいという感覚があり、
肉体が痛みますから悟ることはできないのです。
また護摩といって火を焚いて汗を流してエイヤーとやっていますが、
火の側へ行けば熱いのは当たり前で、
「ああ熱い」と思っていては心が乱れて悟れません。



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