都忘れ (キク科) シオン属
名前の由来は承久の変で佐渡に流された順徳上皇が配所で詠んだと伝わる歌に因む
「いかにして 契りおきけむ 白菊を
都忘れと 名づくるも憂し」
今、都忘れと呼ばれている植物は江戸時代以降に作られた園芸品種で
順徳上皇が見たのは別の花・東菊・(都忘れに似た薄紫の花を付ける)であろうといわれている。
順徳上皇は在島21年、歌道と仏教に打ち込む歳月を過したが仁治三年(1242)
9月46歳の若さで崩御。
一説によると都恋しさに耐えきれず、絶食の果ての自殺・・・・
可憐な花も上皇の憂憤を晴らすことは出来なかったようです。
人の想いを知ってか知らずか・・・・花はただ、ただ静かに咲くばかりです。
名前の由来は承久の変で佐渡に流された順徳上皇が配所で詠んだと伝わる歌に因む
「いかにして 契りおきけむ 白菊を
都忘れと 名づくるも憂し」
今、都忘れと呼ばれている植物は江戸時代以降に作られた園芸品種で
順徳上皇が見たのは別の花・東菊・(都忘れに似た薄紫の花を付ける)であろうといわれている。
順徳上皇は在島21年、歌道と仏教に打ち込む歳月を過したが仁治三年(1242)
9月46歳の若さで崩御。
一説によると都恋しさに耐えきれず、絶食の果ての自殺・・・・
可憐な花も上皇の憂憤を晴らすことは出来なかったようです。
人の想いを知ってか知らずか・・・・花はただ、ただ静かに咲くばかりです。