Happy Charming Life 徒然ブログ 2005~

yaplog 終了により、goo blogお引越し。2005年からの備忘録として大切にしていきたいです。

本当の出雲大社は。

2015-01-06 16:35:41 | 旅行(国内)
あまりの寒さに必要最低限しか動かない出雲旅行となり、1日目、足立美術館と神迎えで出雲大社の神楽殿前、2日目神迎祭に参加せずご祈祷で出雲大社に。3日目は、北島国造館のみ。関東から遠路はるばる行ったものの、寒くて強風で動きたくない!という本能に従ったというか・・・。出雲は何度目なんだろうか?たぶん5回目位。左の写真は北島国造館での門でのショット。観光客は誰もいない・・・国造館?なのである。なぜここへ?

旅館は朝起きると、いつも私達だけの朝食となっていた。もう1組様は、7時位から出発して出雲大社でご祈祷か?何かの催しに参加するため出掛けているとのこと。皆様、精力的なんだな・・・と私達はゆっくりと品数多い、美味しい朝食を味わい、私だけ朝風呂に入り、あ~いいお湯だ~とくつろいでから支度をしていた。私の出雲の定宿は、はたご小田温泉であるが、ここのお湯は、長く入れる温度で(川から源泉を引いていて、沸かしているそう)、本当に身体のコリや痛みが取れるので、一日2回ゆっくりと入って、大満足。キャンセル多かったので、いつも一人風呂になって、くつろぐ。くつろげる私。宿をチェックアウトして、すぐご近所にコーヒーへ。

小田温泉のすぐ近くに「蒼」という海岸に面したカフェがあって、出雲地方では珍しいというか、オーナーがコーヒーにこだわっていて、一人一人ドリップしてくれます。海に面しているので、大自然を見ながらコーヒータイム。海は大荒れ。オーナーとお話していて、どこにも行く気がなさそうな私達に、「北島さんに行ったら?」とアドバイスをくれたのだ。彼が言うには、地元の人々は出雲大社ではなく、参拝も結婚式もご祈祷も出雲大社の敷地内にある北島さんにいくのだそうです。

ええっつ?何で?と思ったら、文献でも現在はほとんど残されていないが、地元の方々が語りつないでいた理由は、北島さんが本当の出雲大社だという理由だからだそうです。文献でなぜ残されていないのか?私は政治的なモノを感じました。あくまでも勘ですが。日本は古来から、都合の悪いことは焼き捨ててしまう文化というか。戦後も沢山その時の政権や政情に都合の悪い文献、メモ等は焼かれてしまったというでしょう。

地元の方々に愛されている北島さんというのは、観光客が行きづらい「北島国造館」という神社とはわからない名前がつけられています。境内の中には出雲大社の拝殿に続く、古い古い門がありました。年代はわからないそうですが、出雲大社内で最古の門だそうで、すごい歴史を感じます。そして、北島さんと呼ばれる神官の一族の居所でもありました。昔昔、出雲大社の最高神官は北島さん一族でした。何代も北島さんが勤められていて、皇室のお嬢様(お姫様)が嫁がれる家であるのだとか。しかし、明治時代だったか?拝殿を火事で失った時に、弟である千家家に最高神官の地位を譲ったのだそうです。なので、代々出雲地方に住んでいる地元の方々は元祖だと感じている北島さんに参拝に行くわけですね。

昭和にも出雲大社で火事が起こったそうです、千家家が最高神官でしたが、その時に北島家に地位が譲られることはなかったので、現在に至っているのだそうです。つまり、兄弟と呼ばれているのに姓が違う理由がわかりませんが、親戚なことは確かなのでしょう。千家さんも昨秋に皇室からもらった意味というか理由がわかった気がしますね。あの時も台風が近づいてきていて、挙式には差し支えなかったようですが、地元の方々はハラハラしたそうです。
北島さんの境内は、観光客もいなく、ほとんど人の気もありません。寒さのせいもありますが、ひっそりと静かな佇まいの神社です。境内に居た地元の方のお話だと、千家家は出雲大社の敷地外に住居があるが、北島家はこの出雲大社の敷地内に住居があるという事実から、こちらが本流であるという意味がおわかりですね?という北島びいきさんのお話でした。
神社とは、一般にはわかりづらい名前のこの神社は、地元の人向けというのがお守りの値段でもわかります。
出雲教という神道教団だそうですが、昭和27年に宗教法人「出雲教」として認証を受けて今日に至っているということですから、本当の最高神官の家柄は、全く表に出ていません。だからか?お守りも出雲大社の半額の500円で購入できます。出雲大社は千円~です。ご祈祷はしてもらいませんでしたが(寒くて・・・)、出雲大社は1件五千円でしたので、こちらはきっとそんなことはないはずでしょう。神様はお金ではないですから。ひっそりと清廉な感じの北島さんには好印象を持ちました。地元民に愛されている神社に、次回はゆっくり訪れたいと思います。





神在月の出雲

2015-01-06 14:39:43 | 旅行(国内)
2014年の12月1日に出雲の神迎えから神在祭を堪能しようと出雲を訪れました。予想外の悪天候と中止が相次ぎ、神様をお迎えるする時期はいつも雨が降るという言い伝えがありますが、来られた後も悪天候続きの出雲地方でした。地元の方々もこんなことって・・・という、異例の神在月となったようです。神様が集って色々なご縁を話し合う、神様が旧暦の10月に集う出雲地方は神在月と云われますが、本当に神様が集ったのだろうか?それとも怒っているのでは?と思うほどの、暴風雨。12月1日が神迎えというのも、いつもより冬に入ってしまったという感じもあるが、突然の衆院選ということもあり、地方の街でもある出雲は活気づくはずの神在月が散々になってしまったようである。










なんと、20数年ぶりに天候が大荒れのため、神迎えいう稲佐の浜で八百万の神様が舟に乗ってやってくるという儀式が中止となりました。ええっつ?そんなことって・・・と神迎祭という出雲大社の神楽殿で夜に行われる神楽の儀式が8時半頃からありましたが、その前に稲佐の浜から神様を神官たちが連なって出雲大社までお連れするという行列がいつ?どのようにされるのか?誰も知らないまま、神楽殿の前から商店街まで観光客と地元の人々が集っていました。私達は6時半過ぎに神楽殿の前に着きましたが、沿道はそんなに混んでいる様子もなく、神楽殿の前の広場に来たものの、そこは人であふれかえっており、神楽殿にはどんな人が入れるのか?中に入れないというのが確実にわかり、とりあえず神楽殿の前の広場で行列を待っていました。このお札のようなもの(名前を忘れました)は、近くに居た団体さん(たぶんこの出雲の神迎え~神在祭のために来られている熱心な方々)に、色々とお話を聞いているうちに、写真とっていいですよ。と撮らせてもらいました。商店街の方々なのか?青年団の方々が日中に出雲大社の周囲で配っていたそうです。それもいつ?どこで?ということがすべて定かでない感じでした。

本来、神様をお迎えするということは、忌の日とされるのが古来だそうで。神様がやってくるという数分前に沿道の商店街の街灯とお店の電気が一斉に消えました。つまり・・・闇の中で行列を作って、出雲大社までお連れするということが、初めて参列してみてわかったのです。昔は、誰も家から出て見に来てはいけない、家の中でじっとしている日だったそうですから。バリ島では、今もそうゆう日が年に1日あり、古来ながら何もしてはいけない日となっていますので、昔はそうゆう日があったのだと改めて思いました。誰も動いてはならぬ、見てはならぬということだと思います。

一斉に電気が消えて・・・やってきたのは、行列ではなく最高神官の千家さんもいたはずですが、観光バスが2台神楽殿の前に横付けされて、大きな白い幕が張られて、バスの中から神様が神官と一緒に降りてきました。ビデオ撮影、写真撮影は一切禁止であります。それは、当たり前でしょう。と思ったけど、構わず回し続けている人多数。闇の中でどれくらい映っているのか?わかりませんが、神官の衣もすべて白となっており、この儀式は稲佐の浜から観光客が行列して着いてくるようなモノにいつからか?変わったのだと思います。誰も神様を直視してはならぬ!というのが、本来のあるべき姿でしょう。神官が大勢、観光バスでやってきたのには、ちょっと笑えました。

神楽殿に入れた方々は、地元の方も皆がその情報を知っているわけでないようで、私の泊まった旅館の若夫婦はわからなかったようだが、神楽殿に入って待っていた参列者は午後4時過ぎからず~~~~っと、8時過ぎの神楽を待っていた方々のようである。事実はよくわからないが、明るいうちに座って待っている方々と。。。晩御飯も食べずに?でしょう。なので、すんなりあきらめました。

悪天候のせいもあって、出雲の宿はキャンセルが相次いだようだ。なぜって、神迎えの時も人は多くいたものの、神楽殿の前だけ溢れていただけで、沿道にはそうでもなかった。あれっつ?と感じたものの、翌日のお昼に出雲大社の拝殿前での写真を見ればわかるように、平常時みたいな人の出である。

あまりの寒さのせいもあるが、私達は翌日の朝9時からの神在祭は参列することはあきらめ、ご祈祷してもらいに出雲大社を訪れたが、30分毎のご祈祷は、待っている人もそれほどでもなく、受付したら、すぐにその次のご祈祷の回でした。大きなご祈祷殿の中は5~60名が座りましたが、ご祈祷を依頼したのは、10数名程。その家族や連れが多く座っていました。出雲大社のご祈祷はとてもシンプルというか、住所もある程度省略して、どんどん名前を読み上げていきます。10数名ならもっと細部を読み上げてもいいものだが、省略。

強風とすごい寒気で、人出が平常時と変わらなかったと思われるので、地元の御商売をやっている方々は一年で一番の稼ぎ時に大変なことになっていたようだ。選挙前で忘年会等の宴席が次々とキャンセルになって、悪天候で来られない宿の客のキャンセルも相次いだようだ。私がいた3日間以降も強風は吹き荒れていたというのだから、今年の神在月の神様達は日本に日本人に何かいつもと違う言いたいことが、あるのではないでしょうか?