昨日はこの「日本の田舎は宝の山」の著者の曽根原久司さんにお会いした。活き活きとした明るい雰囲気の曽根原さんにお会いして、本当に自分のやりたい事をまっしぐらに進んでいる人は、人生を楽しんで輝いているものだと感じた。私は生活に満足はしているものの、自分の仕事に関してはなんか違う、ちょっと違うと思いながらここ数年、311以降、絶対に違うと感じながら早1年以上。自分の直感を信じて突き進んだ曽根原さんの体験話は感嘆するばかりであった。少人数の講演会というかお話会のような催しに「ピン」と来て、それを知ったのは2週間前の新潟行きの新幹線の中で、たまたま見つけてお申込みをしたのだ。とても正解であった。この機会に感謝
実は著書をまだ読んでないにもかかわらず、気取りないopenな雰囲気の曽根原さんのお話はわかりやすく、面白かった。17年前に経営コンサルタント会社を経営していたそうだが、バブル崩壊、妻の病気をきっかけにどん底の気分だった時を経て、発想の転換というか、直観で放置されていた農地の広がる山梨のある村へ夫婦で転居された。今に至るまでの17年の軌跡はとても大変だったと予想できるが、苦労話ではなく彼のお話は達成感に満ちていた。それも自分が閃いたとおり行動し、努力、調査、分析を重ね、コツコツと実行してきたことが、今の成功につながっているのだろう。好奇心を持って、楽しみながら生活する、仕事をするを実現している方だと思った。
お金儲けを狙った農業ではなく、自分と自分の家族が食べる物のために数年奮起して、一人で荒れた放棄耕作地を耕し始め、畑、田んぼで一家の自給率はもう何年分にもなるという。そして、年々、地域、社会のために貢献することに自然となっていったのだと思われる。曽根原さんは農家のおじさんというより、農業を通じて社会貢献をしている、経済活動にも繋がっていて、関わる人々とお互いにいつもWin Win関係で楽しい繋がりと感じる。
僕の体は自分たちで作った野菜で出来ています!と胸を張っておっしゃっていました。曽根原さんは在来種の種だけを使って、無農薬ですべての農作物を作っています。いまや、周囲の人々、お手伝いしたい人、ボランティアしたい人でたくさんの人々と繋がって、放棄耕作地を農地に戻す開墾作業をして、どんどん在来種の無農薬の農地が広がっているようです。なんと・・・素晴らしいことでしょうか私たちが普段食べている有機野菜だって、在来種の野菜はほんの一部だと思われます。戦後、日本の農業はアメリカの影響をたくさんうけて、商業ベースで売っている野菜は、農薬や化学肥料は当たり前になっていきましたが、種もF1種という1代限りで命を終えてしまう遺伝子操作を施した種が種屋さんで売られているのです。一般的にF1の種が主流の世の中なのです。昔の日本の食べ物はかなり安全で美味しかったと予測されますね。自宅に畑があった人も多かったと思います。
自宅の畑の写真などを見せてくれながら、お話を伺いました。野菜は在来種、無農薬、自給自足、家はナチュラル素材、豊かな自然環境等。農作業の苦労は何ともないような楽しそうな活き活きとしたお話ぶりです。農作業をすると、かえって活力が生まれてくる人が多いというお話にもなって、都会からたくさんの農作業のボランティアが途絶えなく押し寄せるほどになっているとか。8月はもう一杯だと思う、と。過疎の村だった民家を買い取って、ボランティアに来てくれる人々に提供しているそうだ。だんだんと活動が拡大し、今はNPO法人えがおつなげてネットワークの代表でもある。
「へえ~」「凄い」「素晴らしいな~」「うらやまし~」の言葉が出てきてしまうほど、私はとても興味深かった。17年前に都会を離れて山梨に転居した時は変人扱いを世間から受けたそうで、当時、オウム真理教も山梨にあって大事件を起こした頃だったそう。
何かを閃いた時、直観した時に、現実の生活、都会での仕事を手放すことが出来る人がどのくらいいるだろうか?私は、随分前から自給自足は必須の生活に将来なるだろうと感じていて、景気や物価、社会の経済不安に巻き込まれないためには自分の生活を守るためには、まず少しでも自宅で食べ物を作ることだと思ってきた。今の家にも移って近所の有志の野菜作りの会に参加したり、自宅で野菜を育てたりしてた私。それも311以降、まったくやる気がなくなった。もともと農作業はとても向かないからもあるが、放射能汚染が気になるからだ。それに一人でやるものじゃないとも思っているから。
今や、博報堂、三菱地所の研修まで来ることになったそうで、各国からもたくさんのオファーやボランティアの人が来るそうで、internationalになりつつあるそう。今回は東京で自給自足が必要と感じる人々の集いだったので、曽根原さんのお話を聞きに来た方たちとも初対面なのに、話が弾んで楽しい時を過ごしました。いや~私の周囲には、まだ自給自足を目指している人、実現している人は東京の友達ではいませんが、そこに集った方々のうち数人は、実際に曽根原さんと同じ村に引っ越すことを目指している人もいた。いや~いい刺激をもらいました。
私は、農作業は体力的に難しいから、事務的なことや営業的なことなら出来るんだけどな~。毎日農作業はとっても過酷そうなんで・・・と農作業に消極的な発言をしたら、教える人がうまければ、農作業は難しくないと言う。女性の参加者が多くて、皆さんなんと!開墾までやっちゃうそうです。それも楽しんで。。。凄い。それから、自分が得意な事、出来る事でボランティアやスタッフになってもいいんだよ。と、誰でもwelcomeだからというすごいopen-mindな感じでした。
8月は一杯だそうなんで、それ以降に農作業体験で是非伺いたいと思います。興味がある人は、とってもいい刺激と勉強になるはず。農業は頭を使うこと、そしてクリエイティビティが育つよ、とおっしゃってました。人間は土に触れると、不要な電流がアースのように放出されて、本来の自分に戻れるというヒーリング効果があるから、本来持ってるクリエイティビティがどんどん出てくるみたいです。creativity 創造性は私が人生にもっとも必要だと思っているものなのだ。素敵な出会いでした感謝。好印象な要素として、やはりビジネスマンだった経験からか、清潔感があるのと、歯並びがいいというのが印象的でした。たくさんの人と接する、講演をする人というのは、その要素は欠かせない要素でもあると思うのです。私の個人的な趣向では歯並び・・・これは印象として、重要なのです。
今日は、自宅の周囲のぐんぐん伸びる雑草をすこし抜きました。長袖、カルソン姿だったのに、何か所も蚊に刺されていた。。。自然って、安易なものではないのだ。
明日、7月30日の朝日新聞に曽根原さんがけっこう大きなインタヴュー記事が出るそうです。会社で見ます。
実は著書をまだ読んでないにもかかわらず、気取りないopenな雰囲気の曽根原さんのお話はわかりやすく、面白かった。17年前に経営コンサルタント会社を経営していたそうだが、バブル崩壊、妻の病気をきっかけにどん底の気分だった時を経て、発想の転換というか、直観で放置されていた農地の広がる山梨のある村へ夫婦で転居された。今に至るまでの17年の軌跡はとても大変だったと予想できるが、苦労話ではなく彼のお話は達成感に満ちていた。それも自分が閃いたとおり行動し、努力、調査、分析を重ね、コツコツと実行してきたことが、今の成功につながっているのだろう。好奇心を持って、楽しみながら生活する、仕事をするを実現している方だと思った。
お金儲けを狙った農業ではなく、自分と自分の家族が食べる物のために数年奮起して、一人で荒れた放棄耕作地を耕し始め、畑、田んぼで一家の自給率はもう何年分にもなるという。そして、年々、地域、社会のために貢献することに自然となっていったのだと思われる。曽根原さんは農家のおじさんというより、農業を通じて社会貢献をしている、経済活動にも繋がっていて、関わる人々とお互いにいつもWin Win関係で楽しい繋がりと感じる。
僕の体は自分たちで作った野菜で出来ています!と胸を張っておっしゃっていました。曽根原さんは在来種の種だけを使って、無農薬ですべての農作物を作っています。いまや、周囲の人々、お手伝いしたい人、ボランティアしたい人でたくさんの人々と繋がって、放棄耕作地を農地に戻す開墾作業をして、どんどん在来種の無農薬の農地が広がっているようです。なんと・・・素晴らしいことでしょうか私たちが普段食べている有機野菜だって、在来種の野菜はほんの一部だと思われます。戦後、日本の農業はアメリカの影響をたくさんうけて、商業ベースで売っている野菜は、農薬や化学肥料は当たり前になっていきましたが、種もF1種という1代限りで命を終えてしまう遺伝子操作を施した種が種屋さんで売られているのです。一般的にF1の種が主流の世の中なのです。昔の日本の食べ物はかなり安全で美味しかったと予測されますね。自宅に畑があった人も多かったと思います。
自宅の畑の写真などを見せてくれながら、お話を伺いました。野菜は在来種、無農薬、自給自足、家はナチュラル素材、豊かな自然環境等。農作業の苦労は何ともないような楽しそうな活き活きとしたお話ぶりです。農作業をすると、かえって活力が生まれてくる人が多いというお話にもなって、都会からたくさんの農作業のボランティアが途絶えなく押し寄せるほどになっているとか。8月はもう一杯だと思う、と。過疎の村だった民家を買い取って、ボランティアに来てくれる人々に提供しているそうだ。だんだんと活動が拡大し、今はNPO法人えがおつなげてネットワークの代表でもある。
「へえ~」「凄い」「素晴らしいな~」「うらやまし~」の言葉が出てきてしまうほど、私はとても興味深かった。17年前に都会を離れて山梨に転居した時は変人扱いを世間から受けたそうで、当時、オウム真理教も山梨にあって大事件を起こした頃だったそう。
何かを閃いた時、直観した時に、現実の生活、都会での仕事を手放すことが出来る人がどのくらいいるだろうか?私は、随分前から自給自足は必須の生活に将来なるだろうと感じていて、景気や物価、社会の経済不安に巻き込まれないためには自分の生活を守るためには、まず少しでも自宅で食べ物を作ることだと思ってきた。今の家にも移って近所の有志の野菜作りの会に参加したり、自宅で野菜を育てたりしてた私。それも311以降、まったくやる気がなくなった。もともと農作業はとても向かないからもあるが、放射能汚染が気になるからだ。それに一人でやるものじゃないとも思っているから。
今や、博報堂、三菱地所の研修まで来ることになったそうで、各国からもたくさんのオファーやボランティアの人が来るそうで、internationalになりつつあるそう。今回は東京で自給自足が必要と感じる人々の集いだったので、曽根原さんのお話を聞きに来た方たちとも初対面なのに、話が弾んで楽しい時を過ごしました。いや~私の周囲には、まだ自給自足を目指している人、実現している人は東京の友達ではいませんが、そこに集った方々のうち数人は、実際に曽根原さんと同じ村に引っ越すことを目指している人もいた。いや~いい刺激をもらいました。
私は、農作業は体力的に難しいから、事務的なことや営業的なことなら出来るんだけどな~。毎日農作業はとっても過酷そうなんで・・・と農作業に消極的な発言をしたら、教える人がうまければ、農作業は難しくないと言う。女性の参加者が多くて、皆さんなんと!開墾までやっちゃうそうです。それも楽しんで。。。凄い。それから、自分が得意な事、出来る事でボランティアやスタッフになってもいいんだよ。と、誰でもwelcomeだからというすごいopen-mindな感じでした。
8月は一杯だそうなんで、それ以降に農作業体験で是非伺いたいと思います。興味がある人は、とってもいい刺激と勉強になるはず。農業は頭を使うこと、そしてクリエイティビティが育つよ、とおっしゃってました。人間は土に触れると、不要な電流がアースのように放出されて、本来の自分に戻れるというヒーリング効果があるから、本来持ってるクリエイティビティがどんどん出てくるみたいです。creativity 創造性は私が人生にもっとも必要だと思っているものなのだ。素敵な出会いでした感謝。好印象な要素として、やはりビジネスマンだった経験からか、清潔感があるのと、歯並びがいいというのが印象的でした。たくさんの人と接する、講演をする人というのは、その要素は欠かせない要素でもあると思うのです。私の個人的な趣向では歯並び・・・これは印象として、重要なのです。
今日は、自宅の周囲のぐんぐん伸びる雑草をすこし抜きました。長袖、カルソン姿だったのに、何か所も蚊に刺されていた。。。自然って、安易なものではないのだ。
明日、7月30日の朝日新聞に曽根原さんがけっこう大きなインタヴュー記事が出るそうです。会社で見ます。