ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

『ブレードランナー2049』

2018-10-03 16:20:23 | ハリソン・フォード










 
どう考えても無謀だろうと思ってたのに、ホントに創られちゃった『ブレードランナー』の、リドリー・スコット製作、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、ライアン・ゴズリング主演による、正真正銘の続編です。

それが無謀だと思ってた理由の1つに、前作に主演したハリソン・フォードがえらく『ブレードランナー』という作品を嫌ってた事実が挙げられるんだけど、それは『スター・ウォーズ』シリーズとて同じこと。30年も経てば嫌な記憶も薄れ、作品への評価も変わり、メジャー大作でまた注目されたい気持ちも湧いて来るのが人情ってもんで、ハリソンも元ブレードランナー=リック・デッカードとして再登場してくれました。

『ブレードランナー』はスターの魅力で見せる種類の映画じゃないんだけど、もしハリソン・フォード主演でなければ私は繰り返し観賞することもなく、作品自体の魅力が理解出来ないまま終わってた筈で、やっぱあくまでハリソンありき。ハリソンが出なければ続編もスルーしたと思います。

さて、その内容と感想ですが……(ネタばらしはしませんが、観賞前で先入観を持ちたくない方は読まないで下さい)



前作から30年後のロサンゼルスやサンフランシスコが舞台で、やはり気候不順は更に進み、雨を通り越して雪が降り続く未来世界。

繁華街は相変わらず和洋折衷なんだけど、より整然と管理されてる印象で、前作で感じた人々の活気やノスタルジーによる妙な居心地良さが、今回は感じられませんでした。

いま現在の世界における未来への絶望感が如実に反映されてて、とてもリアルだとは思うんだけど、この続編は映画ファンに前作ほど熱狂的には愛されないだろうなって、私は思いました。

ストーリーも、前作のB級テイストが鳴りを潜め、とても高尚な本格SFに昇華された感じがして、ちょうどリドリー・スコット監督の旧作『エイリアン』と最新作『エイリアン:コヴェナント』との違いに似てる気がしました。

それに伴い刑事物テイストも薄くなり、ハリソンが出てること以外で私が本作を好きになる理由が、ほぼ無くなっちゃいました。物凄い傑作なのかも知れないし、これも2回、3回と観ればハマっていくかも知れないけど、私は今のところ是非もう一度観たい!っていう気分にはなってません。

『映画秘宝』のライターさんが「優等生すぎる」「謎を全て明かすことに意義があるのか?」みたいな批判を書かれてましたが、私も全く同感です。

前作にあったスキとか矛盾、愛嬌みたいなものが、この続編には見当たらないんですよね。たぶん、前作が何度観ても飽きない理由って、そこにあったような気がするワケです。

ヴィルヌーヴ監督に非は無いと思います。もし今のスコット監督が撮ったら、もっと冷たい世界になってるかも知れません。ヴィルヌーヴ監督はとても誠実に、多分とても正しい『ブレードランナー』の続きを創造された。問題は、観客がその正しさを好むか好まないか。

どんなお話なのかさわりだけ書きますと、ライアン・ゴズリング扮するブレードランナー「K」は最初からレプリカント・ハンティング用に造られたレプリカントで、人間たちから差別され、肉体を持たないA.I.の恋人=ジョイ(アナ・デ・アルマス=画像)だけが唯一の理解者という、孤独な日々を送ってる。

で、旧型レプリカントを処分した際に、さらに旧型の女性型レプリカントの遺体を見つけたことがキッカケとなり、単なる製造物じゃないかも知れない自分自身のルーツを探っていくことになる。その謎の鍵を握るのが、30年前にレイチェル(ショーン・ヤング)を連れて失踪した元ブレードランナー=デッカードってワケです。

つまり、これは人造人間「K」のアイデンティティー探求の物語であり、とても切ない結末といい、スピルバーグ監督がキューブリック監督の遺稿を映画化したSF大作『A.I.』によく似てるとも思いました。

だから、これが『ブレードランナー』の続きなんだということをあまり意識せず、アンドロイド「K」のピノキオ的なお伽噺として観るのが正解かも知れません。前作も実質はレプリカント側にドラマがあったワケで。

とは言いつつ、一度観ただけで容易に評価出来ない作品であるのは確かで、そこはやっぱ紛れもなく『ブレードランナー』の続編なんだなぁと思います。真の評価は、DVDやBlu-rayのソフトが発売されてから下されるのかも知れません。

ハリソン・ファンとしての満足度は、決して低くありません。デッカードの出番は映画が後半に入ってからだけど、贔屓目ぬきで俄然そこから面白くなったように感じたし、ストーリーの肝を担ってる点でも『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の時と同等に重要な存在でした。

ただ、前作の若きデッカードのニヒルな感じが全然無くて、いつも通りの「ハリソン・フォード」だったのが、ちょっと残念。前作の時はニヒルにやり過ぎたと反省し、もう老人だからって事もあって抑えた演技をされたんでしょうけど、私はニヒルなまま歳を取ったデッカードが見たかったです。

でも、後半はすっかりデッカードの話になってたし、ちゃんとアクションシーンもあるし、思わぬサプライズ・ゲストとのご対面もあり、ファン必見の作品であることは間違いありません。

どうやら世間じゃ賛否両論まっぷたつで、暗い映画ゆえ興行的にも厳しい感じ。前作の時と同じですw だから、この続編も長い眼で見て行くべきかと思います。

思い入れある作品の続編ゆえ色々書きましたけど、完成度はとても高く、観て損した気分になる映画じゃない事だけは確かです。

前作やハリソンのファンじゃない方にも、独特な地球の未来像を描いたSF映画として、あるいは人間とは何ぞや?を考えさせられる哲学映画として、そして切ないラブストーリーとしても、一見の価値は充分に有り!とオススメしておきます。
 

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『ブレードランナー』

2018-10-03 10:11:20 | ハリソン・フォード










 
言わずと知れた1982年公開のリドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演によるSF映画のカルト大作にして金字塔。フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電子羊の夢を見るか?』を映画化した作品です。

舞台は2019年のロサンゼルス、なんと今から1年後というチョー近未来! もちろん1982年当時、ましてや原作が発表された'68年当時の感覚だと遠い遠い未来だったワケです。

それまでのSF映画で描かれた未来の地球は、文明が極度に発達した管理社会か、あるいは核戦争後のディストピアかの二種類だったんだけど、『ブレードランナー』はそのどちらにも属さない全く新しい未来世界を創り出しました。

それは根っからのビジュアリストであるスコット監督が、誰もやらない独自の世界観を構築する事にこだわり、東洋趣味を全開にさせた上、'30~'40年代の探偵小説やハードボイルド映画をモチーフにする事によって生まれた、究極のレトロ・フューチャー。

環境破壊の影響でずっと雨が降ってる荒廃した未来なのに、なぜか陰鬱な気分にならないのは、そんな暗くて混沌とした世界の中で「それでも、生きてゆく」人々の活気が感じられるのと、'30~'40年代を意識した映像に懐かしさを覚えるからかも知れません。

肉体労働や性的慰安の為に造られた人造人間=レプリカント達の一部が反乱を起こし、賞金稼ぎみたいな特捜刑事=ブレードランナーが彼らを捜索し、追跡、そして処分するという、ストーリー自体はごくシンプルなもの。

だけど、主人公のブレードランナー=リック・デッカード(ハリソン・フォード)が全然ヒロイックじゃないんですよね。拳銃が無いとレプリカントとマトモに闘えないし、丸腰で逃げる女性レプリカントを背後から撃ち殺すし、クライマックスは敵ボスとの一騎討ちかと思いきや、泣きそうな顔で逃げ回った挙げ句、ビルから落ちそうになった所を敵に助けてもらっちゃう始末。

私が『ブレードランナー』を初めて観たのは名画座の2本立て上映で、1984年頃。『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』を観て、ハリソンの格好良くて人間味溢れるヒーローぶりに惚れ込んだ直後だったもんで、デッカードのヘナチョコぶりには心底ガッカリしましたw

それが後にビデオソフトが発売され、2度、3度と観直す内に、多くの映画ファンがそうなったのと同じように、私も本作の深さと独自性に魅了されるようになりました。

前述の通り「未来なのに懐かしい」レトロ・フューチャーと、和洋折衷のヘンテコ世界が生みだす摩訶不思議な魅力。そして実はシンプルな刑事ドラマとしての面白さに加え、寿命を設定されたレプリカント達が訴えかける「生命の尊さ」という普遍的テーマ。

初公開時にはヒットせず、評価もされなかった作品がビデオの普及によってカルトな人気を集め、再評価され、実は'82年に公開された『ブレードランナー』はリドリー・スコット監督の本来目指した形とは違ってる事実も知られるようになり、ちょうど10年後の1992年に「ホントはこうしたかったんだ」バージョンの『ブレードランナー』すなわち「ディレクターズ・カット/最終版」が公開され、これも私は劇場で観賞しました。

そのバージョンでは、オリジナル版公開時に「ストーリーが解りにくい」というクレームにより後付けしたハリソンのナレーションが全て削除され、「ハッピーエンドにしろ」という注文に対応して追加撮影したエピローグもばっさりカット。そして主人公=デッカード自身も実はレプリカントだった!という裏設定を匂わせるカットが逆に追加されました。

で、CG技術の進化を受けて細かいアラをデジタル修正し、さらに一部を撮り直して完成させたスコット監督の執念の賜物が、2007年に公開された『ブレードランナー/ファイナル・カット』。私が新作『ブレードランナー2049』公開の直前、友人A君と一緒に台風のなか観に行ったホントの最終バージョンです。

個人的には、ナレーションがあった方が解り易く、フィルムノワールな雰囲気も強調されて良いような気がするし、デッカード自身がレプリカントであるという設定には面白みを感じないんだけど、監督が「これこそ真の『ブレードランナー』だ!」と仰るなら、それはそれで納得するしかありません。

そもそも本作の魅力は設定やストーリーとは違う部分にあるワケですから、より完成度の高い「ファイナル・カット」が究極の『ブレードランナー』であるという意見に異論はありません。

やっぱり、観れば観るほど味わい深い映画です。本当に何度観ても飽きません。『ブレードランナー』の未来描写を模倣した作品をさんざん観て来たにも関わらず、オリジナルの魅力は全く色褪せてません。

未見の方、あるいは一度観たけどよく解らなかったと仰る方には、あまり筋を追わず世界観を楽しむことに集中して、もう一度じっくり再見されることをオススメしたいです。

ただ、ハリソン・ファンとしては、デッカードにもうちょっとカッコいい見せ場があっても良かったのにって、いまだに思ったりはします。

ヒロインのショーン・ヤングといい、レプリカント役のルトガー・ハウアーやダリル・ハンナといい、皆さんそのキャリアの中で最も輝いてると言っても過言じゃないくらい、キャラクターが魅力的なんですよね。それだけに主役のハリソンだけ損してる感が強いw それでもやっぱ格好良いんですけどね。

さて、2017年、まさかの続編『ブレードランナー2049』が公開されました。主役は『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴズリングだけど、ハリソンも30年後のデッカードとして再登場してくれます。その感想は、また次回に。
 

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『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』

2018-10-03 00:00:30 | ハリソン・フォード









 
これは久々にワクワクしながら公開を待ちました。前夜は仕事でヘロヘロだったにも関わらず熟睡ままならず、映画館に行きそびれる悪夢で何度も目が覚めた程ですw(実話)

やっぱりルーク(マーク・ハミル)、レイア(キャリー・フィッシャー)、そしてハン・ソロ(ハリソン・フォード)が活躍した『スター・ウォーズ』旧三部作の未来が描かれ、32年ぶりにその3人と再会出来る事の喜び。

そして前回書いた通り、我々と同じように旧三部作に熱狂し、同じようにガッカリもしたであろう世代の1人=J.J.エイブラムス監督が新たな創造主に就任した事で、必ずや我々が本当に見たい『スター・ウォーズ』を具現化してくれるハズ!っていう期待。

エイブラムス監督と言えば、やや迷走しつつあった『ミッション:インポッシブル(スパイ大作戦)』シリーズや『スタートレック(宇宙大作戦)』シリーズを見事に軌道修正し、スピルバーグ監督にオマージュを捧げた『スーパー8』では本物のスピルバーグ以上にスピルバーグらしい演出を見せてくれた人です。

そう言うとただリメイクやモノマネが上手いだけのクリエーターみたいだけど、もしそうだったら喜ぶのはマニア層だけで、あんなに作品が軒並みヒットする事はあり得ません。面白い映画を創る才能がある上に、モノマネも上手いクリエーターなワケです。

実は! 誰も気づいてないでしょうけど私はハリソン・フォードのファンでして、ハリソンの全盛期に様々な映画雑誌に掲載されたインタビュー記事をファイルにまとめてあるんだけど、その中に無名時代のエイブラムス監督がハリソンにインタビューした珍しい記事があったりします。

当時は「ジェフリー・エイブラムス」の名前で脚本家をされており、マイク・ニコルズ監督作品『心の旅』(’91)の脚本を担当して主演のハリソンと親しくなり、なぜかインタビューの仕事を任されたワケです。

だけど本職とは違うインタビュー業の勝手が分からず、困ったエイちゃんは無作為に選んだ50名の一般人にいきなり電話して「ハリソン・フォードに何を尋ねたい?」と質問、その回答をハリソンの自宅に持ち込んでインタビューするんですね。

そうやってファンの目線に立ち、ファンの気持ちを代弁する事が自然に出来ちゃう人なんです。だから『スター・ウォーズ』新シリーズも、きっとファンを喜ばせる事を最優先に創ってくれるって、私は確信してました。

ちなみにそのインタビュー記事は、最後にハリソンが「君は次回作の脚本を書けるのか?(オファーはあるのか?)」って、逆質問してエイちゃんを撃沈させちゃうというw、ユニークなやり取りで締めくくられてます。

当時、そんな心配をされるほど駆け出し者だったエイちゃんが、今や『スター・ウォーズ』の製作・脚本・監督を任され、ハリソンに演技指導してるワケですから、両者とも感慨深いものがあるんじゃないでしょうか。

さて、実際に観た『フォースの覚醒』は、期待を裏切らない内容でした。人によって『スター・ウォーズ』への想いはそれぞれ違うでしょうから、賛否両論に岐れるかも知れないけど、少なくとも私は大満足です。

特にやっぱり、ミレニアム・ファルコン号やハン・ソロ&チューバッカが、初めて画面に映った瞬間には本当に涙が溢れました。いずれも意表を突いた登場のさせ方で、さすがはエイちゃん、ツボを心得てます。

新キャラクターもみんな魅力的だけど、ただジョージ・ルーカス特有の緩さや寒いギャグが無くなったのは、これまた好みが岐れるところかも知れません。(私はちょっと寂しかった)

でも、行方不明になったルークを探すという、シンプルでありながら全ての『スター・ウォーズ』ファンが気にせずにいられないテーマを柱に置いたのは、やっぱりさすがとしか言いようありません。

そして、何より私が(そして多くのファンが)嬉しかったのは、ハン・ソロが予想を超えて大活躍してくれた事です。今回は「ハン・ソロの回」と言っても過言じゃない位、重要な役割をハリソンが担ってました。

以下、ネタばらしはしないけど、『スター・ウォーズ』をよく知る人なら展開が予想出来ちゃう事を書きますので、ファンで未見の方は読まないで下さいm(_ _)m




ハン・ソロの出番が予想を遥かに超えて多い事には、重大な意味があります。映画を観ながら、私はハリソンの大活躍に眼を細めると同時に、お馴染みのセリフ「イヤな予感がするぜ」を心中で呟いてました。

ダース・ベイダーがルークに「ボクがキミのパパなんだ」と告白すること以上にショッキングな出来事が、クライマックスに待ち構えてる事を、ファンであればあるほど予想出来ちゃうワケです。

たぶん、ハリソンが出演すると判った時点で覚悟を決めたファンも、少なくないんじゃないでしょうか? 私自身はと言えば、ハリソンはゲスト出演に過ぎないと勝手に思い込んでたもんで、本編を観ながら「うわっ……こ、これはヤバい」ってw

だから、観終わって物凄く複雑な気分です。世界中で何十万、何千万人という観客が、同じように複雑な気分を味わってる事でしょう。

それもひっくるめて、エイブラムス監督は見事に『スター・ウォーズ』を再生してくれたと私は思います。今後の展開も楽しみです!
 
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