ジョージ秋山さんの同名漫画を実写化した、榊 英雄 監督による2014年公開の日本映画。
「もう生きることに飽きた」と言う無職のロクデナシ独身男(大森南朋)が故郷へ帰り、笑顔で接してくれた弁当屋さんの店員(三輪ひとみ)と無理やりセックスしw、なし崩し的に同棲し結婚するも、ロクデナシはやっぱりロクデナシだったというお話w
とにかく不特定多数の観客(主に女性)を気持ち良くさせ、大ヒットに繋げることしか考えてない(ようにしか見えない)多くのメジャー日本映画とは正反対の作品です。
細かくは書きませんが、とにかくもう、どうしょうもない輩なんですね、大森さんがw 怠惰で、卑劣で、女性を見ればセックスのことしか考えない、男の中の男ですw
だけど、憎めない。これが人間だよなあって思えるから。そこにちゃんと魂が感じられるから。女性客を喜ばせる為のストーリーに合わせて造られた、都合の良いロボットみたいなキャラクターとは、これまた正反対なワケです。
あれで自分が正しいと信じて疑わないような主人公だったら嫌悪感しか抱けないけど、彼は決してそうじゃないんですよね。
自分が最低なダメ人間だと自覚し、だけど自分はそんな風にしか生きられないことも悟ってしまい、死ぬことも出来ず、出来るだけ他人と関わらないようにして、ただ生きてるだけの日々。
私自身にも、それに近いものがあります。彼はたぶん、周囲とうまく調和出来ないことにずっと苦しみ、そんな自分を変えようと努力したこともあるんだけど、それこそが死ぬよりもしんどい事だと気づき、諦めてしまったんだろうと思います。生きることに「飽きた」って言うのはせめてもの強がりで、要は「疲れた」んでしょう。
だからもう羞恥心も無く、ミニスカートの女性を見れば平気で身を屈めて覗き込んじゃう。私がブログにエッチな画像を載っける行為にも通じるものを感じます。他人にどう思われようが知ったこっちゃない。
それは自分に対する諦めであって、開き直りとはちょっと違う。その証拠に、ヒロインから妊娠を告げられた主人公は激怒するんですよね。「絶対おろせ!」って。「俺から産まれた子供が幸せになれるワケがない!」って。だったら避妊すりゃ良かったのにw
でも結局ヒロインはその子を産み、主人公もなんとか良い父親になろうと頑張るんだけど、やがて成長した息子に「どうして僕を生んだの?」「生まれたくなかったよ」って言われちゃう。やっぱり、そうなっちゃう。
ラストシーンで、主人公は海に向かって叫びます。「なんで、俺は俺なんですかっ!?」「俺は、なんで俺なんでしょうかっ!?」……その気持ちが、私には痛いほどよく解ります。
こんな人生でも、それでも生きてゆくしかない人間の業。この気持ち、人生うまくやれてる人には解らないだろうと思います。
いや、この気持ちが全く理解出来ないほど、人生すべて順調で明るく生きてる人なんか、多分この世には存在しないでしょう。
この主人公も私も、諦めることで何とか生きていられるんだと思います。自ら命を絶ってしまう人は、多分そんな自分が許せないんでしょう。
向上心を持て、目標を持て、諦めなければきっと夢は叶うって、成功した連中は無責任に言うけれど、そういった言葉がどれだけの人々を追い詰め、逆に生きる気力を奪ってるか、彼らには全く想像出来ないんでしょうか?
スター俳優だけじゃ映画は成立しません。脇役やエキストラがいればこそストーリーが成り立ち、彼らのお陰でスターが輝くワケです。世の中ってそんなもんですよね。
もちろん、脇役やエキストラたちもスターを目指してるワケだけど、大多数の人はどこかで諦めなきゃいけません。それが悪いことなんですか?って話です。
この映画は、私も含めそんな(本当の意味での)不特定多数の人たちに向けて創られた、応援メッセージなのかも知れません。
人は何の為に生まれ、何の為に生きていくのか? 究極、それはただ「生きる為」なんじゃないでしょうか。だって生きものなんだから。
「ただ生きてるだけ」で何が悪いと言うのか? いいじゃないですか。ただ生きてるだけで充分じゃないですか。ふたつでじゅうぶんですよ!
そう思えた方が、よっぽど「前向き」だと私は思うんだけど、如何なもんでしょう。
この作品は、多分そういうことを言いたかったんじゃないでしょうか。だから観て陰鬱な気分にはならない。成功ばかりがハッピーエンドじゃないんです。
画像はヒロインの三輪ひとみさん。その叔母を演じる美保 純さんは脱がないけど、三輪さんと内田 慈さんが素晴らしいヌード&濡れ場を披露してくれてます。
ほか、田口トモロヲさんや滝藤賢一さんも登場。主人公のみならず、登場人物全員がロクデナシのw、捨てがたき人々です。