日本では2017年に公開された、パク・チャヌク監督による韓国映画。ヴィクトリア朝を舞台にしたサラ・ウォーターズの小説『荊(いばら)の城』を、日本統治時代の朝鮮に設定変更して映画化した、異色のエロチック・サスペンスです。
映画通の間では高く評価され、すでに世界中で数々の映画賞を獲ってる作品ですから、今更ここでアカデミックなレビューをするつもりはありません。
というか、そんなスキルは持ち合わせてません。私に出来ることはただ1つ、レズビアン映画としての『お嬢さん』の素晴らしさを伝える事のみ。これは本当に素晴らしいレズビアン映画、そして純愛映画です。別に変態でなくても楽しめます。オススメ!
1939年、日本統治下の朝鮮半島で貧しい生活を送る少女=スッキ(キム・テリ)が、大富豪・上月家の令嬢=秀子(キム・ミニ)に仕える侍女として住み込むことになります。
実はスッキは詐欺集団に育てられた孤児で、藤原伯爵を名乗る詐欺師によって上月家に送り込まれた少女。そのニセ伯爵の目的は、秀子に近づいて結婚し、彼女を精神病院に送り込んで財産を持ち逃げすること。スッキはニセ伯爵と秀子を結びつけるキューピッド役を担ってるワケです。
ところが、スッキは美しい秀子に惹かれてしまい、まだ男を知らないと言う秀子に性のレッスンを施す内、つい興奮してチョメチョメしちゃう。やがて2人は本気で愛し合うようになるんだけど、ニセ伯爵の計画も着々と進んでいき……
この映画は三部構成になってて、第一部のラストで秀子が精神病院に送られるんだけど、ここで大どんでん返しがあります。オススメ映画なのでネタばらしはしませんが、甘美なレズ関係にすっかり酔いしれてた私は、呑んでたお茶を吹き出すと同時に鼻から牛乳を垂れ流しましたw
スッキの視点から語られてたストーリーが、第2部は秀子の視点から語られる……と書けば、だいたい察しはつくかと思います。
私は二転三転する類いのストーリーはあまり好きじゃないし、惹かれ合う秀子とスッキの心理描写やラブシーンにマジで酔いしれてましたから「そんなどんでん返しはいらん!」「そういう方向に話が進むならもう観たくない!」って、よっぽど視聴を中止しようかと思いました。
けど、素晴らしい二人の濡れ場をどうしてもブログに載せたいもんで、我慢して最後まで観ることにしました。そしたら、第3部で話がもう1回ひっくり返るんですよね! で、結局「最後まで観てホントに良かった!」ってw
日本のエロ映画みたいな哀しい安っぽさも無く、我らが三重県で撮影されたという映像はとても美しく豪華です。そして何より、主役の二人が二人ともキレイで魅力的! これはホントに大事なところ。
ただし過激なバイオレンスでも知られるパク・チャヌク監督ですから、ちょっとした残虐描写はありますが、必要以上に見せる悪趣味さはありません。
文字通り二転三転するストーリーも見事に練られてて、伏線の回収に爽快感があります。毒の効いたユーモアも滑ること無く、145分という尺が長く感じませんでした。
台詞の半分は日本語で、その上手いとも下手とも言えないビミョーな日本語がまた、なぜだか耳に心地好かったりします。
スッキが日本語で「とっても柔らかく、温かく、ぐっしょり濡れて……ひ、ひ、秀でた美しさでございます!」って言いながら、秀子のアソコをペロペロ舐めるんですよねw 監督さんは日本人をバカにしてるのかも知れませんw
しかも、スッキがこれから舐めようとする顔、そして舐めた後で口の周りを光らせてる顔を、わざわざアップで撮っちゃういやらしさ。こういうフェチシズムを日本のエロ映画はマジで見習うべし!
とにかく映画としての完成度が高く、その上で素晴らしいレズプレイを見せてくれるんだから貶す理由がありません。
エロくて面白いという理想的な映画で、現在の日本映画界じゃとうてい創れないであろう代物です。もしかしたら女性の方が楽しめる映画かも知れないけど、われら変態仲間にも自信を持ってオススメ出来ます。
私はテレビ放映(WOWOW)で観たもんで、ボカシが入りまくって非常に観づらかったです。DVDやBlu-ray(もちろん可能なら劇場)での観賞をオススメします。
2013年にカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した、アブデラティフ・ケシシュ監督によるフランス映画です。gonbeさんのレビューで興味を引かれました。
同性愛をモチーフにした青春映画かと思いきや、本格的な愛欲ドラマ(しかも3時間!)で驚きました。
私は前のブログで、思春期の同性愛について「卒業と共に消滅しちゃう儚さがいい」って書いた事がありますが、この映画のカップルは社会人になっても続いて行くんですよね!w
アデル(アデル・エグザルコプロス)は普通に男子とデートし、セックスセックスもするんだけど、何かが違うと感じてる。
そんな時に、髪をブルーに染めたレズビアンのエマ(レア・セドゥー)と街ですれ違う。お互い、思わず振り返るほどビビっと来ちゃう。
とにかく2人の女優が本当に魅力的で、一目で惹かれ合う描写に説得力があるんですよね。私が仮に女性でも、アデルやエマを見たらやっぱビビっと来て、身体の一部が Hot! Hot!! になっちゃうかも知れません。
で、アデルは自分にレズの素質がある事に気づき、湧き上がる欲望を抑え切れずにエマを探し、ゲイバーで再会する。
そのいきさつを観てると、こっちまでドキドキするんですよね。かつてアメリカの同性愛ドラマ『Lの世界』を観た時もそうだったけど、男女の恋愛と同じ過程を踏んでても、それが女性どうしってだけでドキドキしちゃう。
男女の恋愛なんか、もうつまんないです。所詮はオスとメス、種族保存の本能(あるいは打算)ですから。
その点、レズは違います。最近は緩くなったにせよ偏見とか背徳感があるし、それを乗り越えるだけの熱い衝動、動物の本能や打算とは違う何かがあるワケですから。
2人が明らかに惹かれ合いながら、簡単にくっつかないのがまた良いんですよね。初めてのキスに至るまでの過程が凄く丁寧に描かれてて、こちらのドキドキを持続させてくれます。
そしてアデルの実家における、声を潜めながらのセックスシーン。いやらしさよりも、心底から愛する相手と結ばれる高揚感と幸福感で、観てる我々まで胸が熱くなっちゃいます。そしてやっぱり身体の一部も Hot! Hot!! になります。
ところが、育った環境と受け継いだ血筋の違い(アデルは堅実な公務員ファミリー、エマは奔放な芸術家ファミリー)が価値観の違いを生み、すれ違いへと繋がって行く。
で、寂しさを紛らわせる為にアデルが男とセックスセックスしちゃった事が、決定的な破局を招いちゃう。
奔放な筈のエマが異常なほど怒り、頑としてアデルを許さなかったのは、浮気相手が男だったからかも知れません。生粋のレズであるエマに対して、アデルはバイセクシャルなんですよね。そこんとこの違いにエマは絶望したのかも?
それはともかく、儚いどころか、アデルはいつまで経ってもエマが忘れられず、胸にポッカリ空いた穴が埋められない。実はエマも同じだったようで、数年後にアデルから復縁を迫られた時にはかなり動揺しちゃう。
女性って切り替えが早い筈なのに、同性愛の場合はまた違うんでしょうか? あるいは、それ程までにアデルとエマは運命的な出逢いだったのか?
最終的にエマがアデルを振り切ったのは、やっぱ色んな意味で棲む世界が違う=必ずまた決裂しちゃう事が目に見えてるから……なのかも知れません。
これが男女の恋愛だったら、私は「好きにしなはれ」の一言で片づけちゃうし、そもそも3時間近くも付き合ってられないんだけど、レズは違いますね。真実の愛を感じます。(ホモは知りませんw)
ラストシーンでようやく、エマとは結ばれようがない現実をアデルは悟ったみたいだけど、胸に空いたままの穴をどうやって埋めて行くのか、答えを示さないまま映画は終わっちゃいます。
そこんとこがフランス映画ですよねw アメリカや日本の映画なら、良くも悪くも救いを入れずにいられないでしょう。
だけど本当に面白い映画って、筋じゃないんですよね。ハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうが、観てる間どっぷり世界観に浸り、主人公の生き様に併走出来れば、それが面白い映画なんです。
3時間弱がちっとも長く感じなかった『アデル、ブルーは熱い色』は、間違いなく面白い映画です。