☆第123話『孤独のゲーム』
(1974.11.22.OA/脚本=鎌田敏夫/監督=竹林 進)
天涯孤独のボス(石原裕次郎)の身を案じたテキサス(勝野 洋)が、いきつけの小料理屋の美人ママ=悠見子(佐藤友美)と引き合わせます。
悠見子は満更じゃなさそうなのに、ボスは「余計な事するな」とテキサスを叱ります。やっぱりボスはゲイなのか?w
そんな折り、連続殺人事件が起こります。殺されたのは、家族も友達もいない孤独な女性ばかり。
犯人は一係に殺人予告の電話を入れ、犯行の動機を「独りぼっちで生きててもツラいだろうから殺してやった」とうそぶきます。
やがて、殺された女性たちと結婚相談所で面識があった、やはり天涯孤独な中年男=河村(井上博一)に容疑が絞られます。
追い詰められた河村は爆弾を調達し、テレビ塔の展望台に立てこもり、またもや一係に予告電話を入れて来ます。孤独に耐えられないから、居合わせた観覧客たちと一緒に爆死してやる、と。
そんな河村に、ボスは「お前と会ってみたい」と切り返します。「俺も天涯孤独の身なんだ。お前と話がしたい」……それは勿論、ボスがゲイだからじゃなくて、現場に駆けつけるまで爆弾のスイッチを押させない、つまり時間稼ぎの措置なのですが……
そんなボスの作戦に、まんまと引っ掛かる河村がまた、哀れなんですよね。彼もやっぱり誰かと話したい、共感してくれる相手が欲しいワケです。
そして現場に駆けつけ、エレベーターで展望台に上がったボスは、今にも爆弾のスイッチを押しそうな河村に、こんな質問を投げかけます。
「河村、1つだけ聞かせてくれないか」
「なんだっ?」
「なぜ独りで生きて来た」
「えっ?」
その瞬間、ボスは愛銃=ルガーP08の引金を引き、河村を1発で射殺してしまう! 質問しておきながら、その答えを聞かずにズドン!ですよw 残酷大将=鎌田敏夫さんの描くボスは、ホントいつも、怖いぐらいに非情です。
なぜ、独りぼっちで生きて来たのか? その答えを、瞬時に返せる人間はいない事でしょう。それを計算して、ボスはあんな質問をぶつけたのか?
息絶えた河村を見下ろすボスの表情には、何とも言えない哀しみ、そして孤独が滲んでました。やっぱりボスは、河村に共感してた。あの質問は自分自身への問い掛けだったのかも知れません。
ところで、ボスとの交際を諦めた悠見子は、店を畳んで帰郷する事になりました。
「もう飽きましたもの……独りで暮らすのは」
悠見子もやはり、大都会の孤独に耐えられなかった。ボスとの出逢いに最後の希望を託してたんでしょう。
「なんで引き止めなかったんですかっ!?」
テキサスの質問は、ボスが河村に投げかけた質問と通じるものがあります。河村を射殺した事で、ボスはその答えを見つけたのかも知れません。
「俺は今まで、あまりにも多くの犯罪につき合って来た。人の憎しみや悲しみや不幸せにつき合って来た。だから、俺だけ幸せになる気持ちになれないんだよ」
「誰だって幸せになる権利はありますよ、ボス!」
「その時は、俺がデカを辞める時だ」
ボスに限らず、七曲署の刑事たちが幸せになれない、あるいは幸せの絶頂で生命を落としちゃう、その理由がボスの台詞に表れてます。
チョー生真面目でストイックな岡田チーフプロデューサーのポリシーなんですよね。岡田さんご自身が、それくらいの覚悟を持ってドラマ創りをされてたんでしょう。
だけど、ボスには家族がいる。七曲藤堂一家という、実にむさ苦しい家族が…… やっぱりゲイなのかw
悠見子を演じられた佐藤友美さんは、当時32歳。’60年代から2010年代に至るまで息長く活躍されてる女優さんで、見たことが無いと仰る方はいないでしょう。
最初にボスと良い雰囲気になった、第9話『鬼刑事の子守歌』の松岡きっこさんと、何となくタイプが似てますよね。裕次郎さんの好みなんでしょうか?
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