古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

熊谷達也『調律師』を読みました。

2013年08月14日 01時43分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                    
 お向かいの訪問看護ステーションがかなり出来てきました。木材・サイディングの切れ端を捨てる鉄の箱が置いてあります。ぼくは大工さんや建築主にことわって、毎朝鉄の箱を物色し、さしあたって使う当てのない材料でも、小屋や軒下に取り込んでいます。山の小道に雑草防止のために敷くとか、土止めに敷くとか、また別の使い道も考えます。
 写真手前は我が家のウッドデッキです。夏休みで孫たちが来てるのですが、今夜も花火をするのでおじいさんがベニヤ板を2枚敷いてセッティングしました。去年から、花火は玄関先に出ずに、ウッドデッキですることにしました。見物の大人はデッキチェアにすわれるし、蚊取り線香もあちこちに置けるし。

 東条の図書館で借りた『調律師』という小説を読みました。読むのが遅くなったぼくでも一気に読んだので、おもしろかったということです。いまは森浩美という「売れっ子作詞家」の小説『家族の言い訳』を読んでいますが、やっぱり「本当の」小説家と「文」がちがう。そして「つくり」がちがい、「強度」がちがいます。
 前にもこんな体験をしました。
 2013年3月20日のブログに、作品の一部を引用した小説家・森山啓の『谷間の女たち』です。彼の「小説」の「強度」に圧倒されながら読みました。
 ちょうどその本を読んでいたとき、テレビドラマ化・映画化された『東京タワー ~オカンとぼくと、時々オトン』という小説も読みかけていました。この本はつい最近のむかし、200万部を越すベストセラーでした。でも、あまりの「文」・「小説的強度」の違いに読むのをやめました。
 熊谷達也という小説家を知りませんでしたが、直木賞作家の彼には「マタギ」をテーマにした『邂逅の森』という作品があるらしく、読みたくなりました。
 マタギといえば小説家・志茂田景樹に『黄色い牙』という優れた小説があります。彼は髪の毛をヘンな色に染めてテレビに出てたりしましたが、『黄色い牙』は小説的強度のがっしりしたマタギ世界を描いた作品です。
『邂逅の森』を読むのが、たのしみです。 

 
コメント
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