2009年3月に発信しはじめた『古希からの田舎暮らし』が、きょう8月22日のこの「ブログ」で997回になります。「古希からの」と題しましたが「古希」はとうに過ぎてしまいました。10月になれば満76歳。もう「古希」でなく「喜寿」を祝う年です。
よくも1000回近くまで発信しつづけたものです。ことさら何かが発展したり、サクセス・ストーリーのように成長するでなく、高齢者の、心身のだんだんとおとろえゆく様子をお伝えするのがメイン・テーマでしたが。
でも一つだけ言えます。
街に暮らしてたら、個人的な身辺雑記をお伝えするにしても、こんなに続かなかったでしょう。街の暮らしだって日々の生活の変化はあり、書くことはいろいろあったでしょう。でも個人的なことばかりで普遍性がない。心の原風景のような広がりがない。
田舎に移住して、まわりの人や景色に新鮮な目を向けることができたから、それを発信することができました。広い畑を耕作し、裏山の竹薮を切り拓き、村の老人会仲間と付き合いを深め、三木という新しい土地になじもうとする力が、自分の感覚や感性を磨いてくれました。
定年退職して、次第にしょぼくれてゆくはずの日々が、「田舎暮らし」を志向したことによって、みずみずしく広がり、ブログ発信することができました。
いまではこの発信が、自分の生きる証しみたいになっています。
いままでブログを訪問していただき、ありがとうございました。
これからもお付き合いを、よろしくお願いいたします。
よくも1000回近くまで発信しつづけたものです。ことさら何かが発展したり、サクセス・ストーリーのように成長するでなく、高齢者の、心身のだんだんとおとろえゆく様子をお伝えするのがメイン・テーマでしたが。
でも一つだけ言えます。
街に暮らしてたら、個人的な身辺雑記をお伝えするにしても、こんなに続かなかったでしょう。街の暮らしだって日々の生活の変化はあり、書くことはいろいろあったでしょう。でも個人的なことばかりで普遍性がない。心の原風景のような広がりがない。
田舎に移住して、まわりの人や景色に新鮮な目を向けることができたから、それを発信することができました。広い畑を耕作し、裏山の竹薮を切り拓き、村の老人会仲間と付き合いを深め、三木という新しい土地になじもうとする力が、自分の感覚や感性を磨いてくれました。
定年退職して、次第にしょぼくれてゆくはずの日々が、「田舎暮らし」を志向したことによって、みずみずしく広がり、ブログ発信することができました。
いまではこの発信が、自分の生きる証しみたいになっています。
いままでブログを訪問していただき、ありがとうございました。
これからもお付き合いを、よろしくお願いいたします。