古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

吉野万理子『連れ猫』を読みました。

2013年08月08日 02時37分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                    
 畑のスイカ・マクワ瓜・メロンは連日せっせと食べています。孫たちにも持ち帰らせました。ようやく残務整理の段階になったようで、きのう、スイカは小さいのもすべてひきあげました。
 マクワ瓜・メロンは皮を剥いて冷凍しておき、ミキサーでジュースにして飲んでいます。冷凍庫がいっぱいになるので順次収穫していきます。苗も畑もよくて、今年はたっぷり食べています。
 さて図書館で本を借りても、気が向いた本しか読みません。読まずに返却する本は「あの本とは縁が無かったんだ」と思うことにしています。それに近頃は本を読むのが遅くなり、文字の列がなかなかイメージとして頭に入りません。で、先日借りた本の中に吉野万理子の『連れ猫』という小説がありました。
 なぜこんな本を借りたか自分でもわかりません。本棚の間を歩いて、ふっと目が行き、手が伸びて本を借りたのですから。「縁があった」のでしょうね。
 読みやすい本でした。でもぼくは猫が好きではありませんから、なんでこんな本を終りまで読んだのかわかりません。読み終わって表紙の絵を見たら、2匹の猫の絵がついています。
「そうか。登場したのはこの2匹の猫か」とはじめて意識して絵を見ました。猫に話しかけたり、心を寄せることができないので、そもそもぼくが読む本でなかったのかも。
 年寄りが『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のようなワンパターンのドラマを見る気持ちがわかる年齢になりました。だれか応援する人を見つけて、その人に心を添わせながら読んだり見たりしたい。それなのに、この本ではだれにも心を添わせられない。そんな落ち着かない気持ちがあって、先へ先へと読ませたのでしょうか。
 読んでいくといやな人、へんな人が出てくるし、いじめはあるし、まともなのは「猫」だけど猫には心が入っていかないし。終わりのほうで話がだんだん甘くなってしまいましたが、猫の好きな人が読んだらいいかな。
 DVの男が出てきて、読むのがいやでした。本人もまわりも心穏やかに生きられないって辛いでしょうね。
 
コメント
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