古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

過疎の村。

2013年08月07日 05時17分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 西粟倉村・国民宿舎の横を流れる谷川沿いに10分ほど上ると、写真の民家前に着きます。これで民家はおしまい。あとは舗装してない、軽トラ一台がやっと通れる細い山道になります。道に草が繁り、蛇か蝮が潜む気配に先に行ってみようという気が失せます。
 今年6月、なぜこんな民家を再訪したか。
「立派な民家が空き家らしかったけど、その後どうなったか」
 気になって、雨の中をここまで走ってみたのです。ここは去年の秋、柿の実が色づくころに来てみました。車を止めて写真を撮っていると軽トラがやってきました。
「こちらの方ですか」
「いや、わしは鳥取県から温泉に入りに来た。まだ開くまでに時間があったで、ちょっと走ってみたんや」
「この家は空き家みたいですね。柿の木は折れて、草ぼうぼうで荒れた感じだし」
「あれは熊の仕業や。甘柿を食おうと登って、木を折ったんや。熊は力が強いけのう」
 そんなやりとりを思い出して、しばし付近を歩いてみました。
 それから智頭急行の『粟倉温泉駅』に引き返して駅舎に入ってみました。
 駅前に新しい建築の民家が数軒建っています。手前の二軒は空き家状態に見えます。ネットで調べるとここは数年前に村が売り出した宅地で、100坪300万円でした。それが売れ残ったのか。買った人が放置しているのか。空地のまま。家を建てた人も別のところに暮らすのでしょう。
 過疎というのは、大きな力が作用している気がします。
 
コメント (2)
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