古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『逝く』という大仕事を考える。 …… その弐

2014年01月19日 06時53分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いま読んでいる本の題は『「自尊死」のすすめ』(和田 秀樹 著 / 2012年9月・アーク出版)です。その本をすすめる解説に、こんな文が書いてありました。


 ちょっとした「死に方の本ブーム」ですが、本書の場合は、息を引き取る、その瞬間の話ではありません。死を意識したり、老いを感じたときから、医療とどう関わり、どんな生き方を求め、どうすれば本人や家族が、納得できる死を迎えられるかについて提唱したものです。
 著者は精神科医である和田秀樹氏。東大の医学部を卒業して以来、老人医療に25年たずさわってきた専門家です。  (中略)  苦痛を伴う検査や手術、大量に投与される薬、チューブまみれの延命措置 …… それらは本当に必要なのでしょうか。人生の幕を「自分ならどう下ろすか」を考えるための1冊です。


 そういえば「エンディング・ノートの書き方」という講話があったり、そのノートが売られたり、尊厳死協会とかいうのがあったり、散骨とか樹木葬とかいう活字が新聞に踊っていたり、なんだか「死に方」のあたりがにぎやかです。
 母の読む大型活字本10冊と自分用の本10冊を三木市の図書館で借り、二週間たつとそれを返してまた新たに借りるのですが、母の新しく読む本はもうありません。母の読書は片寄っています。直木賞系の作家の本は読みません。でも大型活字本には直木賞系が多いのです。で、仕方がないから前に借りた本を順繰りに借りています。ぼくのほうは気まぐれで、本棚の間を歩いて「なんとなく」目についた本を借ります。
 このたびはどうしたことか「死に方」とか「ガンで死ぬ」とかいう本に片寄っているのに気づきました。新年早々読んだ本は。
○ 中野 孝次 『ガン日記』 (2004年2月8日ヨリ3月18日入院マデ) 2006年 文藝春秋社
 食道ガンが見つかり、診察・治療の経過が書いてあります。作家の簡潔な文体は、なんとよく伝わることか。
4ヶ月後に79歳で死亡。告知とか検査とか治療とか10年前の最前線の様子を、医療には素人の一般人がどう受けとめているかもわかります。
○ 細郷 秀雄 『わたしは尊厳死を選んだ』 ガンに生きた900日 (日本尊厳死協会推薦)1993年・講談社 
 この本は21年前に出ました。報知新聞文化部・部長だった細郷氏は食道ガンが見つかり、2年余の闘病生活をして53歳で死にました。その間には、手術、職場復帰、転移、入退院、治療方針をめぐる葛藤などがあり、その手記は報知新聞に連載され、後に本になりました。
 まず感じたのは『ガン』に対するわれわれの見方の変化です。
 彼のガンが発見された1989年(昭和64年・バブルの絶頂期)は、本人への《告知》をどうするか、《末期・余命》をどう伝えるか、が大問題でした。いまではたくさんの管につながれたスパゲッティ状態の延命措置よりホスピスを望むのが当たり前のようになっていますが、当時は「なんとしても一秒でも延命を」という考え方が一般的だったようです。(だからこの本が尊厳死協会推薦になったのでしょうが)
 次に「ガンに立向う」というか「闘病」というか〈ガンという病気と壮絶なたたかいをする〉気風が20年前は現在より強かったと思いました。この20年の間に、人間はガンという病気の存在を受容するようになり、どう付き合うか落ち着いて考えるようになった。

 ネットで調べたら「ガン死」の闘病記は大量に出ていますね。
 「ガン」は、そして「死ぬ」ことは、なんとすごい量の人間の叡智と衝突し、切り結ぶことか。
コメント (2)
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