古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

情緒にはまることを拒否します。

2014年01月24日 04時56分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 どこから書けばいいのかわかりませんが、「特攻隊」については言いたいことが山ほどあり、自分の中で突き詰めるとパンクしそうです。
 この国には「白バラの祈り」(2005年・ドイツの映画会社製作)という映画はつくれない。
 日本の特攻隊を映画にすれば情緒で包(くる)んでしまう。いま上映している映画も、かつての「蛍」という映画も。そんな情緒にはまることを、ぼくは拒否します。
 満蒙開拓青少年義勇軍の体験を数年「聞き取り」しました。昭和20年8月、もう、戦争に勝てるなんて思えないときに、当時の満州国でも、たくさんの男が総動員で兵隊に刈り出されました。兵隊として役立ちそうもない高齢の開拓団員も。青少年も。彼らは鉄砲さえ支給されず、爆弾を抱えてソ連軍の戦車の前に走り出て、戦車に轢かれ、爆弾の破裂で戦車を破壊する作戦の訓練をさせられました。そんな体験を語ってくれた人もありました。
 助かったのは爆弾の信管がまだ到着しなかったから。ソ連軍が攻め込んで一週間で日本は無条件降伏しましたから。そんなひどい作戦も、敗戦間近にベニヤ板でつくった人間魚雷も、根は特攻隊にあります。
 青年は遺書を残して飛び立ち、敵艦に突っ込みました。小泉純一郎は知覧の展示を見て涙に咽んだそうですが、「国をおもう至誠の献身」を強要し、「人間」を「鉄砲玉」にしてしまう国家という組織。その根もとの間違いを見逃して、批判を封じ、情緒にはめこもうとする。
 江崎誠到の『ルソンの谷間』という作品には、神風特別攻撃隊のエピソードが描かれています。ある隊員がいくら飛び立っても戻ってくる。それが数回つづいたのでとうとう上官の看視付きで出撃して戻って来なかった。あるいはレイテ島を米軍が艦砲射撃しているときに上官が艦艇に乗って逃げようとして米軍に撃沈されたエピソードが。2チャンネルの特攻隊の項では、飛行機の不調などて戻ってくる特攻隊員を叱り飛ばした上官が、敗戦後90歳を越えて生きたことも書いてありました。
 もう長い年月が過ぎたから特攻隊を美化しようとする人もあるようですが、「人間」を「鉄砲玉」に見られた者の恨みを軽く見ていませんか。50年や60年で消える恨みではありませんよ。
 ぼくのおじさんの友だちは特攻隊帰りで、敗戦後おかしくなったと村でうわさされていました。特攻隊で出撃できず敗戦後自殺した人がいたことも聞きました。
 
 「白バラの祈り」(ゾフィー・ショル 最期の日々)は、ナチスが支配した時代にミュンヘン大学の女学生がビラをまき、逮捕され、裁判にかけられ、5日目に処刑された出来事を、2005年に映画にしたものです。ドイツの若者の間では、いまも若い尊敬する人として彼女の名前がトップにあがるとネットで読んだことがあります。このことは前にもぼくのブログで書きましたが、「一億総懺悔」で、「みんながわるかった」ですませたことにするこの国とのちがいを、ため息をついて眺めます。
  
 まとまりませんが、老人になったぼくの心につかえたままのことを書きました。
コメント
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