古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

まだこれから本気で生きる人生があるのかも。

2015年09月06日 05時45分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                     
 うちの村のゴミステーションを写しました。軽トラの向こうのブロック塀で囲んだところです。このアプローチ右の畦は草が伸びていましたので、金曜日の午後刈払い機で刈りました。刈った草が乾いているので、きのう土曜日の午後草を集めに行きました。きれいになったアプローチの写真です。
 ゴミステーションの中を見ると、燃えるゴミが回収し残してあります。指定の袋に入れてないのです。軽トラに指定袋を積んでいるのでそれに入れました。また段ボールがガムテープでとめて置いてあります。だれか古紙回収のつもりで出したのでしょうが、こんな段ボールは回収しません。雨に濡れてぼとぼとです。これも指定袋に入れて燃えるゴミにしておきました。
 塀の外にはビン回収の大きな缶が置いてありますが、先月回収したあとそのままです。つまり引っくり返して逆に置いてあります。その上になった缶の底にビンが置いてあります(まだ回収日でない)。ビンを全部下におろして、(風で飛ばないよう止めてある)綱をほどいて缶を逆さにして、ビンを入れなおしました。(風で飛ばないよう鉄筋を打ち込みロープでとめたのもぼくの仕業です)
 うちの班から村の役員に出たのはもう6年も前で、そのとき保健衛生委員ということになり、ゴミステーションの世話とかしました。それ以来ゴミ出しに行くたびになにかと気づかってきました。ささやかな奉仕をしていい気持ちです。

 
 このブログには、上のような 「村のお爺さんぶった」 自慢話を足掛け7年書いてきました。健康や境遇にそこそこめぐまれ、気持ちのいい田舎暮らしをしているので、自慢しながらレポートしてきました。
 で、平均寿命も近づき、目指した田舎暮らしも10年に近づき(12月で10年目に入ります)、「さーて、これから何をするか」と考えたとき、何というか「行き詰まり」のようなものを感じたのです。
 本来なら、あるいは、ひと昔前なら、そろそろ死に頃で、ここでブログの幕をとじて、一巻の終わりです。ところがいまの長寿社会、多くの人が「80の坂を越して」生きてます。ぼくの場合102歳になる母までくっついてます。
 家のまわりにはすることがいっぱいあります。裏山の手入れ。畑仕事。大工仕事。ツルハシを力いっぱい振り下ろす。竹の根を切る。力仕事は疲れるけどたのしい。達成感がある。読みたい本もある。行く音楽会もあってチケットを用意しています。ささやかな旅も「できればいいな」と思います。
 でもいつまでも 『田舎暮らしごっこ』 / 『年寄り(お爺さん)ごっこ』 をしていていいのか。
 ぼくの生きてることがこの世にどんなふうに役立つのか。 
 何もできないのに生意気なことを書きました。
 迷い、ゆれながら、しばらく考えます。
コメント
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