国民は「平和」をのぞむのに、政治は「戦争へ戦争へ」と草木をなびかせようとする。
大学の卒業式にも「日の丸を掲げ、君が代を歌え」と大臣が発言したり、学校の先生が卒業式で「君が代」を歌うとき起立しているか(起立してなければ懲戒処分)、ちゃんと口を動かして歌っているかビデオを撮って点検したり(東京の例)、教科書採択にあたって「侵略の歴史」を隠した教科書を採択するように圧力をかけたり、国民はそんなことが報道されても他所事のように受け流したり、日本全体が、国民の意識が右傾化しているかは別として、世の流れは戦争へ、戦争へと流れていく気がします。
いま『日本戦後史論』という本を読んでいます。<内田樹×白井聰> の対談です。(徳間書店 2015年2月発行)
ホンネで話しているので実態が浮き上がってきます。一部引用してみます。
内田: 彼ら(安倍ら)が無意識のうちに待望しているシナリオは、尖閣をめぐって衝突が起こって、日本人みんなが逆上するケースです。「さあ、中国と一戦交えるぞ!」という話になって、国民が狂躁(きょうそう)的な興奮状態になる。もちろん日本国民は当然日米安保条約第5条が適用されて米軍が出動し、自衛隊とともに人民解放軍と戦ってくれるものだと期待する。けれども、もちろん米軍は出てきません。何が悲しくてあんな岩礁一つのためにアメリカの兵士が死ななければいけないのか理由がありませんから。でも、日本人は怒りますよ。「尖閣は安保条約の適用範囲だと前に言ったじゃないか!」と……。でも、アメリカはそういうふうに言っておけば中国が軍事的進出を控えるだろうと思って、ハッタリで言っただけで、本気で適用する気なんかはじめからない。だから、「むろんお約束通り、安保条約は発動する気持ちは十分にあるが、いざ対中戦争ということになると議会の議決がいる。中国市場に依存する企業や中国に生産拠点のある企業には『みなさんの会社の収益が激減し、在外資産も消えますけど、それでいいですか?』とお訊ねしなければならない。国内世論を『戦争してもいい』という方向にとりまとめるためにはだいぶ時間がかかるんです」と理屈をつけて、出兵をずるずる先送りにする。日本人は怒り出す。「なんでアメリカは軍を出さないんだ。70年間も基地を提供し、『思いやり予算』でさんざんムダ飯を食わせてやったのに、あげくがこの仕打ちか!」ということになります。
アメリカがいちばん恐れているのはそのシナリオです。 中略 アメリカには中国と戦争して得られるメリットなんか何もありませんから。でも、アメリカが対中宣戦布告しなければ、次は日本国内の世論が一夜にして『反米』に染まってしまう。 …… 久しく抑圧され隠蔽されてきた日本人の反米感情が一気に噴出する。「安保即時廃棄、駐留米軍即時撤去、自主核武装」といった威勢の良いスローガンを喚き散らす人たちが出てくる。日米安保が空語だったということがひとたび露呈してしまったら、このスローガンに反論することはもう不可能です。こうなったら世界中全部敵だ、中国でも韓国でも北朝鮮でもアメリカでも、どこからでもかかって来い。こうなったらまとめて戦争だ、というような常軌を逸した言葉に国民が熱狂し始める。別にそれほど奇矯な話じゃありません。すぐ横に北朝鮮というモデルがあるじゃないですか。 中略 「どうですみなさん、日本を北朝鮮みたいな国にしたら。民主制なんか要らないでしょ。 中略 核武装して、徴兵制を実施して、周りのアジアの国々をまた踏みにじってやろうじゃないですか。そうしたらもう二度とどこからも侮られることはありませんよ」というような妄言を耳にしたら、ふらふらとそれに頷く人たちが出てくるに違いない。 中略 安倍さんが夢見ているのは、そういう「強面」な日本の未来じゃないですかね。
白井: 私は彼にそこまでの根性があるとは思えないですよね。ほんとうは尖閣でドンパチが起こって、自衛隊が出て交戦状態に入ったとき、それを首相が記者会見で発表する。安倍さんはそんな感じで将軍気分を味わいたいだけじゃないか。つまり幼児性です。そんな事態が生じたら、中長期的にどうなるのかという問題は、彼の知性の身の丈には余る事柄でしょうし。 中略 問題は何かというと、安倍さんとか石破さんがやっているのは、子どもの戦争ごっこのノリにすぎないんではないかということです。閣議決定で解釈改憲して集団的自衛権行使を容認するという無茶苦茶なことをやったわけですが、その意図しうるところは何なのか。 中略
アメリカ軍のやる戦争にどこでも付いて行かなくちゃならないということになると、 …… 自衛隊員から犠牲者が出ることになる。その棺に日章旗が被せられて羽田に帰ってくる。そこで首相として鎮痛な面持ちでスピーチをしてみたい。厳粛そのものという雰囲気の中で。そのシーンはたしかに政治家のキャリアのハイライトになるでしょう。戦後日本の政治家の誰も経験することのなかったシーンですから。彼らは、中国の台頭だの、アメリカの覇権の揺らぎだの、テロとの闘いの必要性だの、大国の責任だのともっともらしいことを言いますけれど、ほんとうにやりたいのはこれでしょう。だから幼児的だというのです。
日本国民の安全を本気で守りたいと思っているのなら、国際的緊張を高めるような政策一本槍で行動するはずなどありません。だから、こういうもっともらしい発言は、全部建前です。ほんとうの欲望は違う。
改憲して戦争へじゃなくて、まず戦争してそれから改憲へというのが、彼等の作ろうとしているルートです。 自衛隊が戦争に出ていって、死人まで出しているという状態になったら、もう憲法9条は守られていない状態ができる。となると、改憲のハードルは著しく低くなる。既成事実を認めるだけのことになりますから。
大学の卒業式にも「日の丸を掲げ、君が代を歌え」と大臣が発言したり、学校の先生が卒業式で「君が代」を歌うとき起立しているか(起立してなければ懲戒処分)、ちゃんと口を動かして歌っているかビデオを撮って点検したり(東京の例)、教科書採択にあたって「侵略の歴史」を隠した教科書を採択するように圧力をかけたり、国民はそんなことが報道されても他所事のように受け流したり、日本全体が、国民の意識が右傾化しているかは別として、世の流れは戦争へ、戦争へと流れていく気がします。
いま『日本戦後史論』という本を読んでいます。<内田樹×白井聰> の対談です。(徳間書店 2015年2月発行)
ホンネで話しているので実態が浮き上がってきます。一部引用してみます。
内田: 彼ら(安倍ら)が無意識のうちに待望しているシナリオは、尖閣をめぐって衝突が起こって、日本人みんなが逆上するケースです。「さあ、中国と一戦交えるぞ!」という話になって、国民が狂躁(きょうそう)的な興奮状態になる。もちろん日本国民は当然日米安保条約第5条が適用されて米軍が出動し、自衛隊とともに人民解放軍と戦ってくれるものだと期待する。けれども、もちろん米軍は出てきません。何が悲しくてあんな岩礁一つのためにアメリカの兵士が死ななければいけないのか理由がありませんから。でも、日本人は怒りますよ。「尖閣は安保条約の適用範囲だと前に言ったじゃないか!」と……。でも、アメリカはそういうふうに言っておけば中国が軍事的進出を控えるだろうと思って、ハッタリで言っただけで、本気で適用する気なんかはじめからない。だから、「むろんお約束通り、安保条約は発動する気持ちは十分にあるが、いざ対中戦争ということになると議会の議決がいる。中国市場に依存する企業や中国に生産拠点のある企業には『みなさんの会社の収益が激減し、在外資産も消えますけど、それでいいですか?』とお訊ねしなければならない。国内世論を『戦争してもいい』という方向にとりまとめるためにはだいぶ時間がかかるんです」と理屈をつけて、出兵をずるずる先送りにする。日本人は怒り出す。「なんでアメリカは軍を出さないんだ。70年間も基地を提供し、『思いやり予算』でさんざんムダ飯を食わせてやったのに、あげくがこの仕打ちか!」ということになります。
アメリカがいちばん恐れているのはそのシナリオです。 中略 アメリカには中国と戦争して得られるメリットなんか何もありませんから。でも、アメリカが対中宣戦布告しなければ、次は日本国内の世論が一夜にして『反米』に染まってしまう。 …… 久しく抑圧され隠蔽されてきた日本人の反米感情が一気に噴出する。「安保即時廃棄、駐留米軍即時撤去、自主核武装」といった威勢の良いスローガンを喚き散らす人たちが出てくる。日米安保が空語だったということがひとたび露呈してしまったら、このスローガンに反論することはもう不可能です。こうなったら世界中全部敵だ、中国でも韓国でも北朝鮮でもアメリカでも、どこからでもかかって来い。こうなったらまとめて戦争だ、というような常軌を逸した言葉に国民が熱狂し始める。別にそれほど奇矯な話じゃありません。すぐ横に北朝鮮というモデルがあるじゃないですか。 中略 「どうですみなさん、日本を北朝鮮みたいな国にしたら。民主制なんか要らないでしょ。 中略 核武装して、徴兵制を実施して、周りのアジアの国々をまた踏みにじってやろうじゃないですか。そうしたらもう二度とどこからも侮られることはありませんよ」というような妄言を耳にしたら、ふらふらとそれに頷く人たちが出てくるに違いない。 中略 安倍さんが夢見ているのは、そういう「強面」な日本の未来じゃないですかね。
白井: 私は彼にそこまでの根性があるとは思えないですよね。ほんとうは尖閣でドンパチが起こって、自衛隊が出て交戦状態に入ったとき、それを首相が記者会見で発表する。安倍さんはそんな感じで将軍気分を味わいたいだけじゃないか。つまり幼児性です。そんな事態が生じたら、中長期的にどうなるのかという問題は、彼の知性の身の丈には余る事柄でしょうし。 中略 問題は何かというと、安倍さんとか石破さんがやっているのは、子どもの戦争ごっこのノリにすぎないんではないかということです。閣議決定で解釈改憲して集団的自衛権行使を容認するという無茶苦茶なことをやったわけですが、その意図しうるところは何なのか。 中略
アメリカ軍のやる戦争にどこでも付いて行かなくちゃならないということになると、 …… 自衛隊員から犠牲者が出ることになる。その棺に日章旗が被せられて羽田に帰ってくる。そこで首相として鎮痛な面持ちでスピーチをしてみたい。厳粛そのものという雰囲気の中で。そのシーンはたしかに政治家のキャリアのハイライトになるでしょう。戦後日本の政治家の誰も経験することのなかったシーンですから。彼らは、中国の台頭だの、アメリカの覇権の揺らぎだの、テロとの闘いの必要性だの、大国の責任だのともっともらしいことを言いますけれど、ほんとうにやりたいのはこれでしょう。だから幼児的だというのです。
日本国民の安全を本気で守りたいと思っているのなら、国際的緊張を高めるような政策一本槍で行動するはずなどありません。だから、こういうもっともらしい発言は、全部建前です。ほんとうの欲望は違う。
改憲して戦争へじゃなくて、まず戦争してそれから改憲へというのが、彼等の作ろうとしているルートです。 自衛隊が戦争に出ていって、死人まで出しているという状態になったら、もう憲法9条は守られていない状態ができる。となると、改憲のハードルは著しく低くなる。既成事実を認めるだけのことになりますから。