「インパール」という文字を目にすると、自分が「あの戦争に征った」でもないのに、牟田口廉也/河辺正三/東条英機/たちの、日本の軍隊上層部の連中の愚劣さに、いまもこころが波立ちます。
今日は一日中雨でした。船戸与一の『満州国演義』(第八巻)を読みました。痛烈な「インパール作戦批判」が出てきます。
あの作戦では、多くの兵士を、みじめに死なせました。生き残って敗戦後を生きた兵士の「心の平和」を、一生涯にわたって奪ってしまいました。
この本では、これから「インパール作戦を断行する」というところで、作戦に参加する第五飛行師団の熟練操縦士が作戦を批判しています。こんな痛烈な文句を連ねた「批判」ははじめて読みます。
小説と銘打っているから、兵隊の話したこととして、書ける。満州国や海外の戦地だから、こんなふうに話せる。実際の歴史や戦記ではここまで書きにくいでしょう。引用を縮めて思いを圧縮したくない。長くなってすみませんが、〈インパール批判〉を引用します。
インパール作戦は二週間後に決行される予定なのだ。31歳になる夏樹勇人は熟練操縦士として参加する。彼は煙草を取り出しながら(次郎に……主人公の一人)声を掛けて来た。
「いまさら言っても詮のないことだが、インパール作戦は実に愚劣だ。愚劣なだけじゃない、皇国を滅亡に追いやる可能性もある」
…… 勇人とは一昨夜明けがたまで飲んだが、強烈な東条英機批判者で、それを隠そうともしなかった。上官も平気で呼び棄てにし、その無能さを詰(な)じる言葉も遠慮がなく、 …… 次郎は無言のまま新たな言葉を待った。
「イギリス軍特殊部隊の指揮官オード・ウィンゲートがフーコン谷地(地名)を越えてミートキーナ周辺(ビルマの町の名)に滑空機を飛ばしているのは御存知でしょう、グライダーと呼ばれる発動機のない飛行機を。滑空機から空挺部隊が降下して来たわけじゃない。しかし、第18師団や第56師団(日本の軍隊)との戦闘に備えて、小火器や弾薬、それに食料を然るべきところに保管中なのだと見なきゃならない。そのことを牟田口廉也(インパール作戦の総指揮官)はまったくわかってないんだ。フーコン谷地から雲南省が主戦場になるとは想像もできずに50日でインパールを陥(おと)すとほざいてる。無能としか言いようがない」
勇人は、煙草に火を点けてつづけた。
「牟田口はいわば小型東条英機と言ってもいい。やたらと精神論を振りまわすだけで、近代戦の何たるかがわかってない。盧溝橋事件(牟田口廉也が勝手に命令して〈支那事変=日中戦争〉の戦端をひらいた)やマレー進攻の際の自慢話に終始し、じぶんには天佑神助があると法螺を吹く。反対意見には耳も貸さず、理を唱えようとする参謀はすぐに更迭してしまう。東条英機が天皇の信任を楯に重臣たちの意見を無視するだけでなく参謀総長まで兼任したように、南洋での島嶼作戦の失敗を取り戻すべくチャンドラ・ボースの言葉に乗ってインド進攻を決定した東条の虎の威を借りてアラカン山系越えという無謀な作戦を成功させて大将に昇り詰めたがってる。昇進欲や権勢欲の亡者でしかない」
「ビルマ方面軍の河辺正三司令官(牟田口の上官)もインパール作戦に賛成だと聞いているが」(次郎がきいた)
「あいつは保身主義者です。確かに、河辺正三は盧溝橋事件のときに牟田口の上官だった。その縁でインパール作戦に賛成したと言われてるが、実際はちがう。ただただ保身のためだ、牟田口に逆らうことは東条に逆らうことだと考えたとしか言いようがない。ビルマ方面軍のなかにもインパール作戦に反対する参謀は何人もいた。代表的なのは高級参謀・片倉大佐です。満州事変に加担したあの大佐は兵站を考えればアラカン山系越えは絶対に無理だと何度も言い募った。しかし、河辺正三はそれを無視して牟田口を支持した。上官が部下の御機嫌を伺ったんです。2.26事件を憶いだして欲しい。あのとき、真崎甚三郎や荒木貞夫などの将軍が血気逸る尉官連中に阿(おもね)って蹶起事件へと発展していった。ビルマであれと同じことが起きるんです、統帥が機能しない事態がね」
牟田口廉也第15軍司令長官が強引にインパール作戦を敢行しようとして来たことはいままで何度も耳にして来たが、これほど激烈な批判を次郎は聞いたことがなかった。アラカン山系越えの総指揮官を昇進欲・権勢欲の亡者とまで評したのだ。それも部外者が論じたのではない。インパール作戦に参加する第五飛行師団の大尉によってその言葉が吐かれた。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。インパール作戦で戦死/病死/餓死/した多くの兵士。
生き残って敗戦後、生涯にわたって、戦友の死、地獄を抱きながら高齢まで生きた元兵士たち。
何十冊とインパール無名戦士の戦記を読みましたが、いまもこころは波立ちます。
今日は一日中雨でした。船戸与一の『満州国演義』(第八巻)を読みました。痛烈な「インパール作戦批判」が出てきます。
あの作戦では、多くの兵士を、みじめに死なせました。生き残って敗戦後を生きた兵士の「心の平和」を、一生涯にわたって奪ってしまいました。
この本では、これから「インパール作戦を断行する」というところで、作戦に参加する第五飛行師団の熟練操縦士が作戦を批判しています。こんな痛烈な文句を連ねた「批判」ははじめて読みます。
小説と銘打っているから、兵隊の話したこととして、書ける。満州国や海外の戦地だから、こんなふうに話せる。実際の歴史や戦記ではここまで書きにくいでしょう。引用を縮めて思いを圧縮したくない。長くなってすみませんが、〈インパール批判〉を引用します。
インパール作戦は二週間後に決行される予定なのだ。31歳になる夏樹勇人は熟練操縦士として参加する。彼は煙草を取り出しながら(次郎に……主人公の一人)声を掛けて来た。
「いまさら言っても詮のないことだが、インパール作戦は実に愚劣だ。愚劣なだけじゃない、皇国を滅亡に追いやる可能性もある」
…… 勇人とは一昨夜明けがたまで飲んだが、強烈な東条英機批判者で、それを隠そうともしなかった。上官も平気で呼び棄てにし、その無能さを詰(な)じる言葉も遠慮がなく、 …… 次郎は無言のまま新たな言葉を待った。
「イギリス軍特殊部隊の指揮官オード・ウィンゲートがフーコン谷地(地名)を越えてミートキーナ周辺(ビルマの町の名)に滑空機を飛ばしているのは御存知でしょう、グライダーと呼ばれる発動機のない飛行機を。滑空機から空挺部隊が降下して来たわけじゃない。しかし、第18師団や第56師団(日本の軍隊)との戦闘に備えて、小火器や弾薬、それに食料を然るべきところに保管中なのだと見なきゃならない。そのことを牟田口廉也(インパール作戦の総指揮官)はまったくわかってないんだ。フーコン谷地から雲南省が主戦場になるとは想像もできずに50日でインパールを陥(おと)すとほざいてる。無能としか言いようがない」
勇人は、煙草に火を点けてつづけた。
「牟田口はいわば小型東条英機と言ってもいい。やたらと精神論を振りまわすだけで、近代戦の何たるかがわかってない。盧溝橋事件(牟田口廉也が勝手に命令して〈支那事変=日中戦争〉の戦端をひらいた)やマレー進攻の際の自慢話に終始し、じぶんには天佑神助があると法螺を吹く。反対意見には耳も貸さず、理を唱えようとする参謀はすぐに更迭してしまう。東条英機が天皇の信任を楯に重臣たちの意見を無視するだけでなく参謀総長まで兼任したように、南洋での島嶼作戦の失敗を取り戻すべくチャンドラ・ボースの言葉に乗ってインド進攻を決定した東条の虎の威を借りてアラカン山系越えという無謀な作戦を成功させて大将に昇り詰めたがってる。昇進欲や権勢欲の亡者でしかない」
「ビルマ方面軍の河辺正三司令官(牟田口の上官)もインパール作戦に賛成だと聞いているが」(次郎がきいた)
「あいつは保身主義者です。確かに、河辺正三は盧溝橋事件のときに牟田口の上官だった。その縁でインパール作戦に賛成したと言われてるが、実際はちがう。ただただ保身のためだ、牟田口に逆らうことは東条に逆らうことだと考えたとしか言いようがない。ビルマ方面軍のなかにもインパール作戦に反対する参謀は何人もいた。代表的なのは高級参謀・片倉大佐です。満州事変に加担したあの大佐は兵站を考えればアラカン山系越えは絶対に無理だと何度も言い募った。しかし、河辺正三はそれを無視して牟田口を支持した。上官が部下の御機嫌を伺ったんです。2.26事件を憶いだして欲しい。あのとき、真崎甚三郎や荒木貞夫などの将軍が血気逸る尉官連中に阿(おもね)って蹶起事件へと発展していった。ビルマであれと同じことが起きるんです、統帥が機能しない事態がね」
牟田口廉也第15軍司令長官が強引にインパール作戦を敢行しようとして来たことはいままで何度も耳にして来たが、これほど激烈な批判を次郎は聞いたことがなかった。アラカン山系越えの総指揮官を昇進欲・権勢欲の亡者とまで評したのだ。それも部外者が論じたのではない。インパール作戦に参加する第五飛行師団の大尉によってその言葉が吐かれた。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。インパール作戦で戦死/病死/餓死/した多くの兵士。
生き残って敗戦後、生涯にわたって、戦友の死、地獄を抱きながら高齢まで生きた元兵士たち。
何十冊とインパール無名戦士の戦記を読みましたが、いまもこころは波立ちます。