古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「縁があったんやなあ」と思い出します。

2022年11月02日 21時58分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 映画『遥かなる甲子園』は、1990年につくられました。中学校の人権教材としてよく見られた映画です。ぼくは係をしていたので、中学校の体育館で全校生に見せる段取りをつけました。
 10年勤務した明石の中学校で、上映・鑑賞の計画・交渉・準備をしたのですが、当日は出張が入って見られませんでした。生徒にあとできいたら「先生、ええ映画だった。感動した」。
 次の年、明石の別の中学校に転勤して、やはり人権教育の係になりました。自分が「あの映画を見たい」と思い、全校生鑑賞の段取りをつけました。当日は朝から体育館の暗幕を引き、準備しましたが、ぼくは出張が入っており、見られませんでした。
 60歳の定年まであと3年というところで「最後は田舎の小さな中学校で、ひとつの学年の生徒全員に英語の授業をして3年間育てたい」と思い、田舎の中学校に転勤しました。それまでは大きな中学校ばかりに勤めていたので、学年の一部の生徒にしか授業できませんでしたから。
 現・丹波篠山市の、全校生150人ほどの小さな中学校に転勤できました。そこでもまた人権教育の係になり、町民体育館で映画を上映するように段取りをつけました。保護者のみなさん、町民のみなさんにも見てもらいました。
 ぼくも映画『遥かなる甲子園』をちゃんと見ることができました。
 そんな26年も前のことですが、寝ていてフッと思い出しました。
 あの映画とは「縁があったんやなあ」。

 少し映画の内容を。
 昭和39年(1964年 東京オリンピックのあった年)沖縄では風疹が大流行し、聴覚障害の子どもが多く生まれました。この子たちが成長して高校に行くようになったとき、沖縄に3年間だけの聾唖高等学校がつくられました。この学校の生徒たちは「自分たちも甲子園をめざしたい」と願い、野球部をつくり、練習し、沖縄大会に出場しました。その汗と涙の物語です。
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