古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

時代小説を読んで感じたこと

2022年11月04日 19時39分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 神戸から道子さんのお友だちが訪ねてきました。ぼくは裏山のたき火場で焼き芋をしました。たき火のお守りをしながら、テントハウスを掃き、パラソルを広げて傾け、花見デッキの落ち葉を掃き、テーブルカバーをととのえ、ハンモックを吊りました。

 たまにお客さんもいいですね。参観日のまえ、掃除や掲示にあれこれ気をつかう担任の気分でした。

『ナバロンの要塞』という映画は1961年(昭和36年)に公開され、ぼくは映画館で見ました。おもしろい映画でした。いまでもテレビで放映されます。ところがコマーシャルの関係からかフィルムをカットして、短くなっています。それを見ると面白くない。筋を追うだけになっています。
 さて『ナバロンの要塞』は大ヒットしました。そこで製作者は続編『ナバロンの嵐』という映画をつくりました。前作がおもしろかったので、ぼくは期待して見に行きました。ところが全然おもしろくない。凝り過ぎて、信頼できる人間が「実は敵のまわし者だったりして」だれを信じていいのかわからない。映画では戦争に勝つためにダムを破壊するという筋です。「ダム破壊が下流の人にどんな被害をもたらすか」。なんという「バカな作戦」。イヤな映画を見た気がしました。
 実は鳥羽亮の『隠猿(おんざる)の剣』という時代劇の小説を読みました。善玉だと思う人がコロコロかわって、正義の味方はわからなくなってしまう。凝りすぎです。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のような時代劇は単純すぎますが、複雑すぎるのもなじめません。読者は、作中人物のだれかを応援して読みすすめます。
コメント
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