古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

半藤一利さんの臨終のことば

2023年02月22日 11時57分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 我が家は朝日新聞をとっています。ぼくは〈見出し〉を見るだけで、記事はほとんど読まなくなりました。道子さんはわりとていねいに読んでるようです。コタツにあたっていたら、道子さんが「半藤さんのことが書いてあるよ」といいます。
『多事奏論』に書いている駒野剛さんの文から引用します。  ※ 朝日新聞2023年2月22日朝刊

 
 一昨年1月に90歳で亡くなった「歴史探偵」半藤一利さんは11歳で日米開戦を迎えた。今の小学5年にあたる。戦争記録に生涯を捧げて書き続けたきっかけは、1945年3月10日の東京大空襲の体験だった。
 B29爆撃機の大編隊が東京の下町地域に大量の焼夷弾をばらまき、死者10万人とも言われる地獄図の中に半藤少年はいた。
 東京・向島で育った半藤さんは「ただ事ではない」と父親にたたき起こされた。着ていた半纏に燃え移るほどの火中を逃げ回る。たどり着いた中川の岸は人でいっぱいだったが、川に落ちてしまう。水中でもがく中、近くの船に引き上げられ助かった。
 その後、近代史や戦記を書くようになり、「戦争にも行かないくせによく偉そうに戦争のことが書けるな」と揶揄されても「この野郎! 若すぎたから戦場に行かなかったけれど、俺だって戦争体験ぐらいあらー」と怒鳴り返していた。妻の末利子さんが、半藤さんの遺作「戦争というもの」の解説の中で書いている。
 半藤さんは亡くなる日の真夜中、「ねえ、ちょっと」と寝ていた末利子さんに声をかけた。体が弱っていた半藤さんを末利子さんは介助していた。「はあ」と答えると、「墨子(ぼくし)って知ってる」と話した。「はあ」と答えると、「あれ、読みなさい。2500年前の思想家だけど、その頃から戦争はいけないと言っていた。偉いだろう」。
 そう行った後、安心したのか、すっと寝入った。翌朝、気がつくと息はなかった。
      ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 戦争に反対した中国の思想家墨子を読めとは、末利子さんだけでなく日本人全体に与えた半藤さんの遺言だと私は思う。
 にわかに平和主義を忘れて専守防衛の旗を降ろし、敵基地攻撃したり外国で戦ったりすることに、昨今の日本人、とりわけ多くの若い人は違和感を持たないようだ。
 不戦の国から戦う国へ。ウクライナの子どもの悲劇が、日本の子どもにも人ごとでなくなる日が来ることを心底恐れる私がいる。
 生前、半藤さんは書いた。「人間の眼は、歴史を学ぶことではじめて開くものである」「戦争は、国家を豹変させる、歴史を学ぶ意味はそこになる」。今こそ戦争を知った子どもたちが伝える歴史を学ぶべきだ。


 ぼくは昭和12年に生まれました。昭和19年に6歳で国民学校(小学校)に入学し、敗戦の昭和20年8月には2年生でした。山陰の片田舎に住んでいたぼくは、戦争については何も知らないで大人になりました。
 昭和5年に生まれた半藤一利さんの本は、学校で習わなかった/近代日本の歴史/戦争の歴史/への眼をひらかせてくれました。『ノモンハンの夏』/『日本の一番長い日』/『昭和史』(戦前戦中編・戦後編)/などはくり返し読んでいます。





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