古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

スズメバチに刺されました。

2014年08月10日 02時50分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 8日早朝、台風に備えて黒豆の畝を守ろうと裏山で竹を伐っていました。握って指がまわるくらいの太さの杭を30本打ち込み、それにマイカ線を張って豆の倒伏を防ぎます。竹を倒したり切ったりしていたとき、手の甲に鋭い痛みを感じました。厚い軍手の上から何か刺した痛みです。手袋をぬいで刺した痕をさがしましたがわかりません。そのまま作業を続けました。
 ところが9日の朝見ると、手の甲がどす黒い色になり腫れて熱を持っています。痛くないけど痒い。その頃になってやっと「スズメバチに刺されたな」と自覚しました。畑ではスズメバチは虫(幼虫)をとってくれる働き者ですが、裏山では危ない! これから気をつけます。
 ところでお茶や入浴剤にしようとスベリヒユを摘んだのですが、5日くらい干しても乾きが悪いので包丁で刻みました。でも乾かない。きのう見たら刻んだスベリヒユから緑の芽が出ています。
                       
 他の草なら半日も干せばパリパリに乾くのに、なんということだ。あの草のパワーに敬服しました。でもお茶や入浴剤はつくるつもりです。もっと細かく刻んで夏の太陽に当ててみます。あるいはフライパンで炒ってみるかな。
 何度見ても「よかったなー」と思うのがウッドデッキです。
 2006年12月、引っ越してまずつくったのがウッドデッキでした。長さ4メートル余り・幅18センチ・厚さ4センチのSPF材で床を張り、1月になってやっと完成しました。「SPF材は水に弱くデッキには不向き」と書いてありましたが「毎年キシラデコールを塗るから大丈夫!」と思っていました。跳んでも跳ねてもビクともしませんし。
 しかし雨は降る。デッキの板は腐食してくる。雨水はたまり、さらに腐食が進み、そのうち板を踏み抜くことになるのが目に見えています。床を張り替えるしかありません。で、フィンランド・エコ・デッキ材と出会い、わりと簡単に張り替えられました。
                      
 きのうは台風に備えてテーブルやデッキチェアを片付け、オーニングを外しました。広いデッキのフロアを見て「張り替えてよかったなー」とつくづく思った写真です。
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野村萬斎・狂言の会を観ました。

2014年08月08日 06時00分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 台風11号がゆっくり近づいてきます。
 夏野菜は盛りを過ぎたし、かまわないとしても、黒豆・大豆・ゴマは強風にやられるかもしれません。毎年、黒豆は枝が落ちないように、杭を打ってマイカ線で囲むのですが、今年はまだ。これから花が咲くというのに、強くゆさぶられては根が駄目になります。
 できのうは急いで竹の杭をつくり、黒豆をマイカ線で囲みました。きょうは雨の予報ですが、もう少し補強します。

 夕方から野村萬斎の『狂言の会』を観ることになっていたので着替えて出掛けました。出し物は『萩大名』と『棒縛』。
 野村萬斎という人は不思議な空気をまとっています。数日前にBS放送で映画『のぼうの城』を見て感心したところでした。
 きのうも舞台に引き込まれました。
 月に一度は何かを観たい・聴きたいと思っており、9月は久しぶりに<テレマン・アンサンブル>の演奏会に出掛けます。
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「ウスベニオオノメイガ」をやっつけました。

2014年08月07日 02時11分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 畑の入口に、植えて5年目になる『クララ』が一株あります。いまでは根の太い大きな株になり、20本以上の茎が伸びて一叢(むら)になっています。このクララが蜘蛛の巣だらけになり、何かのムシが葉っぱを食べているようです。
「むかしは便所の側にクララを植えて、蛆虫退治のために枝を折ってツボに放り込んだりしたというのに、そんな葉っぱをどんな虫が食べるのだろう?」 クララは「絶滅危惧種の蝶『オオルリシジミ』が食べる」と思っていたのにほかにも葉っぱを食べるヤツがおるのか。
                      
 枝を折って持ち帰り写真を撮りました。 ひょっとして「クララが生えてるぞ!」とオオルリシジミが飛んできて卵を生んだか。そんなわけないな。ネットで調べてみました。すぐにわかりました
 この虫は『ウスベニオオノメイガ』の幼虫でした。
『○○○ノメイガ』というムシには碌なヤツがいません。『アワ・ノメイガ』の幼虫はトウモロコシの雄花 ⇒ 雌花に入って実を食い荒らしてしまうし、『アズキ・ノメイガ』の幼虫は、小豆にとりついてすべての鞘を食いさしにしてしまう。小豆をつくろうと道子さんが苦労してきた様子は、このブログでもお伝えしてきました。
 「すぐに駆除しなければなりません」と書いてあります。で、ぼくは踏み台を持ってきて(クララは2メートル以上に伸びてる)幼虫のいる枝を折って取り除きました。
 でも駆除しながら思いました。
「クララなんて草は、この近辺に生えてないのに、あの蛾(ウスベニオオノメイガ)はなんでわかったんだろう」
 今年はクララの苗づくりに成功して、うちの裏山にも畑の「グリーン・トンネル・シュエルター」にも植えました。それがみんな育って太い株になったら、蛾は卵を生みつけるか。苗を人にもあげました。そこにもこの蛾は行くか。
 そうそう、クララの茎に雨カエルが2匹、じっととまっていました。おそらく蛾とか幼虫を食べるのでしょう。蜂も飛んできました。ウスベニオオノメイガの幼虫を捕まえにきたのでしょう。
 また考えます。
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また「草刈り」をして疲れました。

2014年08月06日 03時20分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                       
 写真はうちの村の <ゴミステーション> (少し先に見えるブロック塀の囲い)に行く空き地です。数年前に村の保健衛生委員をしてからというもの、なんとなく道ばたの草を刈っていたのですが、先月はどなたか刈ってくださり、うれしかったです。でもまた伸びてきたのできのう刈りました。
                       
 草を刈って片づけた写真です。「変わり映え」しませんかねー。
 特に6月から8月にかけては草の勢いがすごく、田舎は草刈りが大変です。しかし口吉川町はどの村も精勤に草刈りをしており、ドライブしてまわると刈り立ての土手が清清しく見えます。
 この村に引っ越してきた8年前、どの田んぼもきれいに草刈りをされるので感心しました。というか「土手の草を刈らねばならないという特別な掟(おきて)があるのだろうか」と思いました。それでぼくも土手の草は、見苦しくならないように毎月刈ることにしています。
 きのうは、ついでに村のバス停に行って草を刈り、ささやかなボアンティアをした「いい気分」で畑仕事に戻りました。
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あの『戦争』の大きさを感じました。

2014年08月05日 02時29分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 雨でしばらく畑仕事ができず、遠藤周作の『ピアノ協奏曲21番』をていねいに読みました。久しぶりに遠藤周作を読んで、心に喰い込んでくる彼の <文の力> を、あらためて感じました。
 『ピアノ協奏曲21番』は、10編の短編小説集です。そのうちの7編はあの『戦争』となんらかのかかわりがあります。テーマが、心に棲む悪魔であったり、罪であったり、奇跡であったり、愛であったりする短編ですが、<「神」と切り結ぶ>したたかな「人間」が大地に脚を踏ん張っています。
 わたしたちは、ふだんは、道ばたの祠でも神社でもお寺でも龍神でも手を合わせて拝む善男善女です。
 しかしいざ戦争となれば、人間という生き物はそんなに単純な存在でなくなります。いまの日本の何千倍何万倍の「悪」が、平穏に生きれば<鉢合わせ>しないで一生を終えられる「悪」が、人々の心を引っ掻きまわします。

 たしか『アウシュビッツは終わらない』という本で読んだと記憶しているのですが、こんなエピソードがあります。
 ユダヤ人強制収容所の副所長として、その残虐さを恐れられた青年がいました。戦後彼が裁判で処刑されることになったとき、青年の郷土の村人はこぞって声をあげました。
「彼は、村の人にやさしく、子どもたちに慕われ、虫も殺せない心根の青年だった。そんな残虐なことをするわけがない。人違いだ」
 関係者が再度調べられ、間違いではありませんでした。処刑されました。

 ぼくはこれを読んで思いました。
「何が彼の心の蓋を開けてしまったのか。もし戦争というものがなかったら、彼がそんな立場に立つことがなかったら、彼は、村人にやさしくし、みんなに親しまれて、一生を終えたであろうに」
 残虐さがいまも伝わる中国戦線の日本兵も、帰還して善男善女の仲間に戻って、平穏に一生を終えたでしょうか。
 だれにも言えない深い闇をかかえたまま生きるしかなかったのではないか。
 人間が人間の矜持をまもるために、戦争をしてはいけないのです。
 わずか10年あまり後に生まれたために戦争をせず、平穏な心で生きてこられた、77歳のおじいさんはつくづく思います。
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ほんとにありがたい雨でした。

2014年08月02日 23時40分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 天気予報を見て「雨はまだか。それでは今日は小芋と小豆に水やりしよう。それと裏山のキウイ棚に植えたクララも水やりしなくては」と毎日水やりのことを心配していました。予報には傘マークはついてないのに、今日のようにしっかり降ってくれると実にうれしいです。
 裏山にも畑にも、ほんとにありがたい雨でした。そういえば龍神さまに近頃ずっとご無沙汰しています。ほどよく降ってもらうよう近いうちにお参りします。
 道子さんが読んでた本に「やたらに何でも拝む人は無神論者です」と書いてあったそうです。そういえばぼくも道子さんも、やたらに何でも拝む習性がありますな。ま、無神論者でもいいです。「ご利益ねらい」と思われてもいいです。「遊び半分に拝んでる」と思われてもいいです。自然に拝む気持ちになり、素直に頭を垂れて拝めるときは、これからも拝むことにします。
 夕方、口吉川町の公民館で盆踊り大会があり、ちょっとだけ顔を出しました。
 
 今日は雨で思わぬ休養日になり、図書館で借りた遠藤周作の『ピアノ協奏曲21番』という短編小説集を読んですごしました。
 藤沢周平・松本清張・遠藤周作・出久根達郎などの文章は、それぞれに味があり、しかも切れ味がよくて、スーッと文の流れが入ってきます。だから好んで読むのですが、遠藤周作は久しぶりでした。
 やっぱりいい。
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