雨でしばらく畑仕事ができず、遠藤周作の『ピアノ協奏曲21番』をていねいに読みました。久しぶりに遠藤周作を読んで、心に喰い込んでくる彼の <文の力> を、あらためて感じました。
『ピアノ協奏曲21番』は、10編の短編小説集です。そのうちの7編はあの『戦争』となんらかのかかわりがあります。テーマが、心に棲む悪魔であったり、罪であったり、奇跡であったり、愛であったりする短編ですが、<「神」と切り結ぶ>したたかな「人間」が大地に脚を踏ん張っています。
わたしたちは、ふだんは、道ばたの祠でも神社でもお寺でも龍神でも手を合わせて拝む善男善女です。
しかしいざ戦争となれば、人間という生き物はそんなに単純な存在でなくなります。いまの日本の何千倍何万倍の「悪」が、平穏に生きれば<鉢合わせ>しないで一生を終えられる「悪」が、人々の心を引っ掻きまわします。
たしか『アウシュビッツは終わらない』という本で読んだと記憶しているのですが、こんなエピソードがあります。
ユダヤ人強制収容所の副所長として、その残虐さを恐れられた青年がいました。戦後彼が裁判で処刑されることになったとき、青年の郷土の村人はこぞって声をあげました。
「彼は、村の人にやさしく、子どもたちに慕われ、虫も殺せない心根の青年だった。そんな残虐なことをするわけがない。人違いだ」
関係者が再度調べられ、間違いではありませんでした。処刑されました。
ぼくはこれを読んで思いました。
「何が彼の心の蓋を開けてしまったのか。もし戦争というものがなかったら、彼がそんな立場に立つことがなかったら、彼は、村人にやさしくし、みんなに親しまれて、一生を終えたであろうに」
残虐さがいまも伝わる中国戦線の日本兵も、帰還して善男善女の仲間に戻って、平穏に一生を終えたでしょうか。
だれにも言えない深い闇をかかえたまま生きるしかなかったのではないか。
人間が人間の矜持をまもるために、戦争をしてはいけないのです。
わずか10年あまり後に生まれたために戦争をせず、平穏な心で生きてこられた、77歳のおじいさんはつくづく思います。
『ピアノ協奏曲21番』は、10編の短編小説集です。そのうちの7編はあの『戦争』となんらかのかかわりがあります。テーマが、心に棲む悪魔であったり、罪であったり、奇跡であったり、愛であったりする短編ですが、<「神」と切り結ぶ>したたかな「人間」が大地に脚を踏ん張っています。
わたしたちは、ふだんは、道ばたの祠でも神社でもお寺でも龍神でも手を合わせて拝む善男善女です。
しかしいざ戦争となれば、人間という生き物はそんなに単純な存在でなくなります。いまの日本の何千倍何万倍の「悪」が、平穏に生きれば<鉢合わせ>しないで一生を終えられる「悪」が、人々の心を引っ掻きまわします。
たしか『アウシュビッツは終わらない』という本で読んだと記憶しているのですが、こんなエピソードがあります。
ユダヤ人強制収容所の副所長として、その残虐さを恐れられた青年がいました。戦後彼が裁判で処刑されることになったとき、青年の郷土の村人はこぞって声をあげました。
「彼は、村の人にやさしく、子どもたちに慕われ、虫も殺せない心根の青年だった。そんな残虐なことをするわけがない。人違いだ」
関係者が再度調べられ、間違いではありませんでした。処刑されました。
ぼくはこれを読んで思いました。
「何が彼の心の蓋を開けてしまったのか。もし戦争というものがなかったら、彼がそんな立場に立つことがなかったら、彼は、村人にやさしくし、みんなに親しまれて、一生を終えたであろうに」
残虐さがいまも伝わる中国戦線の日本兵も、帰還して善男善女の仲間に戻って、平穏に一生を終えたでしょうか。
だれにも言えない深い闇をかかえたまま生きるしかなかったのではないか。
人間が人間の矜持をまもるために、戦争をしてはいけないのです。
わずか10年あまり後に生まれたために戦争をせず、平穏な心で生きてこられた、77歳のおじいさんはつくづく思います。