古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『昔を伝える』 をテーマの一つにしよう。

2015年09月10日 05時34分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 このブログ『古希からの田舎暮らし』は10月5日で終わりにする、と書きました。でも、80歳への坂道(「喜寿」を通過して78歳になります)にさしかかっても発信はつづけたい。
 と思って『にほんブログ村』というのを見たら「シニアブログ」のリストがあって、『八十路(やそじ)なんとか』というようなブログが並んでいます。日常生活や昔の思い出が中心で、“アラ・フォー”×2倍の“アラ・エイティー”も結構盛んなようです。
 そうか。自分にとっては当たり前で、わざわざ書くようなことでなくても、ちがう世代の人は知らなかったり馴染みのないことがあるんだ。「昔を伝える」も一つのテーマにしよう。
 それから「“アラエイティー” まで生きてる人は、世の中の出来事をどう見、どう考えるか」を伝えたい。
 いままではどこか「年寄りぶってる」ところがあったと自分でも感じています。「まだまだ仕事もできるし、元気もある。今日明日にくたばったりするか」という力みがありました。新しいブログでは、その力みをとり、正直になって「素直な老い」を伝えたい。
 あれこれ、もうしばらく考えます。
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自宅で死ぬ = 在宅看取り  その②

2015年09月08日 04時07分13秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 うちのお向かいに『訪問看護ステーション』ができたことは、このブログでも書いてきました。超高齢の母がいるだけに、這って行けるくらい近いところにこんな施設があればこころ丈夫です。
 この看護ステーションはご夫妻とも看護師をしておられた方が定年後立ち上げられ、時代のニーズにかなうステーションとして活動してこられました。ところが理事長さんが病に倒れられ、この初夏に志半ばで亡くなられました。まだ60代半ばのラガーマンで、精神医療の看護に心を寄せておられた方です。
 先日奥さんや職員の方とお茶して、「母の在宅看取り」について話をききました。ご主人を「在宅看取り」されたことは葬儀のあいさつでふれられましたが、実際はとても苦労されていました。最新の医療に精通した看護師が、身内を在宅看取りするのは厳しいことだったでしょう。本人の遺志とご家族の意志でやり遂げられたことですし、医師のサポートがあってできたことです。かつての仲間の看護師の方に「やったよ!」と話されたそうで、達成感が伝わってきました。
 もうすぐ、若くして戦争で亡くなった世代がおわり、多くの高齢者が死亡する時代がやってきます。みんなが病院で死ぬことは不可能です。その時代を乗り切るために「在宅死 = 看取り」をサポートする医師と看護師が必要です。東条町の新しいクリニックの医師は、診療時間を朝 <7時30分 ~ 10時30分> として、訪問診療に時間を割いておられます。その医師のサポートがあって理事長さんは「在宅死=在宅看取り」ができました。 
 うちの母も、ぼくも、妻の道子さんも、ここのお医者さまにかかってつなぎをつけました。
 どうなるかわかりませんが、「自宅で死ぬ」ことをいま意識しています。
 
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『看取りの医者』(平野国美 著)を読みました。

2015年09月07日 02時49分32秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 平野国美というお医者さんの書いた『看取りの医者』という本を読みました。(2009年/小学館)この本から引用します。


 わがクリニックでは、高齢者やガン末期、その他の病気の終末期の患者さんが多い関係で、私は一般の開業医よりも死に立ち会うケースが多い。2002年4月の開業以来、わずか7年間で420例を超える死を看取ってきた。これは異常なほど多い。年平均で60例だから、1週間に1人以上の患者さんの死を看取ってきた計算になる。
 「看取りの医者」とは患者の最期を看取る医者という意味だが、それは単に死を看取るということだけでなく、患者さんの人生最後の日々を充実させる手助けをすることも意味している。 …… 死に立ち会うことが重要なのではない。そこに至るまでの「生きた日々」が大切なのだ。だから、痛みのコントロールなどの緩和ケアを重視している。


 「あなたは自宅で死にたいですか。病院で死にたいですか」ときかれたら、「自宅で死にたい」人が6割。と平野医師は書いています。でも実際に自宅で死ぬ人は1割だそうです。
 

 かつて死を身近に経験し、死を具体的に感じることによって培(つちか)われてきた “人生の終焉に対する覚悟” や “潔さ” や  “諦観” といった価値観が、この数十年間で日本人から徐々に失われてきたのではないか。 …… 肉体の長寿だけを願う “健康志向” や極度にセンチメンタルな “生命至上主義” が日本人を支配するようになった …… 。
 …… 死は本来、誰にも等しく訪れる自然現象である。日本人はかつて、それを“自然”としておおらかに受け入れる価値観を培ってきた。その文化的態度は日本人の心の奥深くに眠っている。死が近づくにつれて、ひとは悠久の昔から培われてきた価値観に目覚め、自然な死を迎えたいと願う。共同体の中で家族に囲まれながら、自分自身が “先祖” へと遷移することを願う。それが「最後の療養生活は自宅で送りたい」と希望する6割の人々の心底に横たわる伝統的な心性であろう。
 ところが、その周囲の家族は、死からの逃避という心理傾向に支配されている。本人と周囲のそのギャップが、とりもなおさず在宅死の希望(6割)と現実(1割)との落差になっているに違いない。


 米寿を祝った父は1997年3ヵ月余り入院して病院で亡くなりました。母の90歳代の弟は今年病院で亡くなりました。「身近な人の死」を思い出してみると自宅で死んだ人はほとんどいません。 (明日もこの項はつづく)
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まだこれから本気で生きる人生があるのかも。

2015年09月06日 05時45分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                     
 うちの村のゴミステーションを写しました。軽トラの向こうのブロック塀で囲んだところです。このアプローチ右の畦は草が伸びていましたので、金曜日の午後刈払い機で刈りました。刈った草が乾いているので、きのう土曜日の午後草を集めに行きました。きれいになったアプローチの写真です。
 ゴミステーションの中を見ると、燃えるゴミが回収し残してあります。指定の袋に入れてないのです。軽トラに指定袋を積んでいるのでそれに入れました。また段ボールがガムテープでとめて置いてあります。だれか古紙回収のつもりで出したのでしょうが、こんな段ボールは回収しません。雨に濡れてぼとぼとです。これも指定袋に入れて燃えるゴミにしておきました。
 塀の外にはビン回収の大きな缶が置いてありますが、先月回収したあとそのままです。つまり引っくり返して逆に置いてあります。その上になった缶の底にビンが置いてあります(まだ回収日でない)。ビンを全部下におろして、(風で飛ばないよう止めてある)綱をほどいて缶を逆さにして、ビンを入れなおしました。(風で飛ばないよう鉄筋を打ち込みロープでとめたのもぼくの仕業です)
 うちの班から村の役員に出たのはもう6年も前で、そのとき保健衛生委員ということになり、ゴミステーションの世話とかしました。それ以来ゴミ出しに行くたびになにかと気づかってきました。ささやかな奉仕をしていい気持ちです。

 
 このブログには、上のような 「村のお爺さんぶった」 自慢話を足掛け7年書いてきました。健康や境遇にそこそこめぐまれ、気持ちのいい田舎暮らしをしているので、自慢しながらレポートしてきました。
 で、平均寿命も近づき、目指した田舎暮らしも10年に近づき(12月で10年目に入ります)、「さーて、これから何をするか」と考えたとき、何というか「行き詰まり」のようなものを感じたのです。
 本来なら、あるいは、ひと昔前なら、そろそろ死に頃で、ここでブログの幕をとじて、一巻の終わりです。ところがいまの長寿社会、多くの人が「80の坂を越して」生きてます。ぼくの場合102歳になる母までくっついてます。
 家のまわりにはすることがいっぱいあります。裏山の手入れ。畑仕事。大工仕事。ツルハシを力いっぱい振り下ろす。竹の根を切る。力仕事は疲れるけどたのしい。達成感がある。読みたい本もある。行く音楽会もあってチケットを用意しています。ささやかな旅も「できればいいな」と思います。
 でもいつまでも 『田舎暮らしごっこ』 / 『年寄り(お爺さん)ごっこ』 をしていていいのか。
 ぼくの生きてることがこの世にどんなふうに役立つのか。 
 何もできないのに生意気なことを書きました。
 迷い、ゆれながら、しばらく考えます。
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「曼珠沙華さん、もう咲いても大丈夫ですよ」

2015年09月05日 04時05分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 うちの一反三畝(400坪)の畑のまわりは、ちょっと高い土手になっています。その土手の肩のところに(たぶん)6年前曼珠沙華を500球余り植えました。5球~10球ずつかためて植えたらよかったのですが、掘ってきた球根はそんなにありませんでしたから1球ずつ。
 曼珠沙華はほんとうは「球根」でなくて「鱗根」です。毎年増えて「塊り」になります。10年もすれば一つの鱗根が一抱えするほどの大きさになります。15年前に大豆畑トラスト畑の土手に50株ほど植えた塊りを3株掘り起こしてきて、分けて植えました。
 曼珠沙華は塊りになって咲きますが、あれは地中で鱗根が塊りになっているからです。しかも一つの鱗根は2年に一度咲きますから、鱗根は花の倍あります。
 さて今年も曼珠沙華の咲く季節になりました。夏が暑いとお彼岸に咲く曼珠沙華は開花が遅れますが、今年は雨が多かったし後半そんなに猛暑でなかったので10日過ぎには咲きそうです。せっかく咲いてくれる曼珠沙華が雑草まみれでは目立ちません。少し早めだったのですが、きのう土手の肩をぐるっと草刈りしました。
「曼珠沙華さん、もういつ咲いても大丈夫ですよ」
 ぼくがこの世を去って10年もすれば、この畑は秋に赤いベルトで飾られるでしょう。畑のそばの墓地にお墓参りにくる村の人たちが「おー、いいなあ」と土手を見上げてくれるでしょう。
 今年か来年、埼玉県の「巾着田」という曼珠沙華の名所を是非見たいと思います。全国で一番です。「曼珠沙華祭り」の期間には30万人の人が見に来るそうですが、それだけの人が押し寄せても負けないほどの曼珠沙華が咲き誇っているそうです。500万本といいますから。
 全国の他の「曼珠沙華名所」をネットの写真で見たのですが、あとはたいしたことない。ちょっとまとまって咲いているというだけです。金谷のローソン駐車場そばの「エノキ・お地蔵さん・曼珠沙華・稲」のほうが絵になる。東条町「とどろき荘」裏の畦もいい。口吉川町では笹原の旧道沿いの土手にまとまって咲いてるところがあります。
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東京オリンピックは「行け行けドンドン」と走っていいのか。

2015年09月04日 02時42分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 1940年(昭和15年)のオリンピックは東京で開くことになっていました。(ヒットラーによる欧州の戦争・日中戦争があって中止)「中止になった東京オリンピック」と「2020年東京オリンピック」の置かれた状況が似ているので「類似した状況にぞっとした」とあるブログが警告していました。解説してみます。


 1940年東京オリンピック

 災害 …… 1923年 関東大震災  言論弾圧・取締り・テロ …… 1925年に治安維持法 / 1936年に2.26事件
 1937年には日中戦争(支那事変)   1940年 東京オリンピック(中止)  1941年  太平洋戦争(真珠湾攻撃)


 2020年東京オリンピック

 災害 …… 2011年 東日本大震災   言論抑圧・集団的自衛権など …… 2013年に秘密保護法案  2015年に戦争法案 (集団的自衛権)   2020年 東京オリンピック   ……  その後(ここに何がくるか)

 2020東京オリンピックの決定にあたっては国際原子力団体が押したという説も紹介してありました。福島原子力発電所、自然災害(地震・噴火・異常気象など)、集団的自衛権という戦争への傾斜、「国家の秘密を守る」という言論抑圧、などの問題が噴出するかもしれません。
 昭和11年(1936年・関係ないけど「阿部定事件」のあった年)に起こった「2・26事件」は、日本の敗戦に至るまで「脅し」に徹底的に利用されました。高級軍人が「ワシは了承するけど、部下らが黙っとらんだろな」と他人事みたいにつぶやくだけで、立派な脅しになりました。「それを抑えるのがお前の立場・仕事ではないか」。
 
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「東京オリンピックやめたらどないや」とだれも言わないのだろうか。

2015年09月03日 02時42分07秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 2020年の「東京オリンピック」が決まり、テレビの報道番組を見ていたらこんな場面がありました。福島の原発で避難しているおばあさんが、オリンピック決定でわき返る画面を見て、「あんなによろこんでなさる。どこの国の人たちだろうと思った」と言ってました。
 テレビのコメンテーターは、競技場がどうとか、エンブレムがどうとか、あれこれ言いますが、「こんなケチが次々つくんならオリンピックやめたらどないや」と一人ぐらい言ってもええのに、だれも言いません。言ったらホサレてしまうでしょうけど。
 ぼくの知ってる97歳のおばあさんは「オリンピック見てから死にたい」と生きる目標にしているそうです。そんな老人がちょこちょこいるかも。でもあと2~3年でなく、ちょっと間があるから頑張って生きるのはしんどいかも。
 全体としてマスコミは「スポーツは素晴らしい。選手の努力精進は素晴らしい。オリンピック目指して頑張るのは立派なことだ」というトーンで、「オリンピック近し」気分をあおっています。時間はまだかなりあるんだけど。
 なにがなんでも、無事に、立派に、たくさんメダルをとって、オリンピックを成功させなくてはならない。地震や噴火や天候の災害なんかに負けられない。
 これからの5年を国民がそんな気分で過ごすのはしんどいですぜ。
 立派なオリンピック目指さんでもええ。「エエカゲン」にしたらええ。
 エエカゲン=「ちょうどよい加減」や。
 
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運転免許の『高齢者講習』を受けました。

2015年09月02日 03時16分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 「高齢者講習を受けなさい」というハガキはかなり前に届いていたのですが、「自動車学校にはそのうち行くことにしよう」となんとなく放置していました。そのまま数か月が過ぎて、「運転免許更新の10月が迫ったし、8月になったから高齢者講習を受けようか」と前回も講習を受けた近くの加東自動車学校に電話を入れました。応答を聞いてびっくり。
「誕生日はいつですか」 / 「10月6日です」 / 「うちでは来年の1月まで『空き』がありません。更新の期限を過ぎてしまいますから、どこか他の教習所にあたってみてください」。
 だったらもっと田舎のほうなら『空き』があるかな。秋になるし篠山に行ってみようか。
 篠山の自動車教習所に電話を入れたら「お誕生日は過ぎますが10月20日だったらとれます」。
 ひと汗かいてとりあえずそこを予約しました。
 でも誕生日を過ぎるし、何が起こるかわからん。どこか空きはないか。三木の広野自動車学校に電話を入れてみました。
「9月1日に一つ空いてます。あとはずーっと空きがありません」
 その『空き』に飛びついて、きのう無事に講習をすませることができました。よかった。
 今度の更新は、はがきが来たらすぐ予約しよう。 
 それにしても世の中は高齢者がいっぱいいるんだなー。
   
 
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「世の中というのはこんなもんだな」 …… 年寄りのつぶやきです。

2015年09月01日 04時06分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 早く寝て12時前に起きて、WOWOWで全米オープン(テニス)の錦織圭の試合を見ました。いま午前3時40分。「今度こそいよいよ優勝するか」と応援しながら見たのに、負けてしまいました。試合を見ながら「あれだけ日本中あおりまくったのに、一回戦で負けてしまうかもしれんな」とチラッと思いました。なんというか試合のプレーに「冴え」がなかった。
 長いこと生きてるとこんな場面は何度も何度もあり、そのたびに「世の中というのはこんなもんだな」と学習を重ねます。
 このたびも「世の中というのはこんなもんだな」とおじいさんはつぶやく次第になりました。
 
 ブログを書籍化しようと編集に取り掛かったのですが、考えてみるとパソコンには全部入ってるし、本にする意味もわかりません。やめます。前に宣言したように、このブログは10月5日で終わり、翌日から新しい題名(未定)でブログをはじめます。でもどんな方針で、どんな内容のブログにするか、思案中です。ご隠居が自分の日常茶飯事をつづるブログでなく、少しでも世の役に立ちたい気持ちです。そんなことできるかな。
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