古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

花苗を植え込みました。

2018年11月14日 19時54分53秒 | 古希からの田舎暮らし
 先日ととのえた花壇に花苗を植え込みました。

 これから冬にかけて公民館を飾ってくれます。
 この土地はもともとプランターを置く場所でした。しかしプランターの間から草は生えるし、毎年7月と11月に市から花の苗が配られ、そのたびに土を入れ替えるし、面倒でした。
 それで、有り合わせのブロックなどで囲んで、プランターを廃止したのです。
 でもブロックでは花壇が味気ない。
 どんな枠がいいか、ホームセンターでさがしてみます。

 先日の「老人クラブ・昼食交流会」で、玄関上り口に踏み台を置きました。しかし、桟が邪魔になっていました。そこで桟を切り詰めて、踏み台を置けるようにしました。これで玄関もバッチリ。

 公民館の和式トイレに、洋式便座を置きました。でもペーパー・ホルダーが後ろになります。いままでと逆向きに腰掛けますから。また立ち上がるのに手すりがあるといい。これも近日中にホームセンターで
探してみます。タイルの壁だけど素人でできるかなあ。
 

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吉村昭『熊撃ち』を読みました。

2018年11月13日 06時00分51秒 | 古希からの田舎暮らし
 高齢になると本を読むのが遅くなります。数日かけて吉村昭の『熊撃ち』という小説を読みました。人間を襲って肉を食った羆(ひぐま)は、人間を襲うようになるのをはじめて知りました。
 この本は昭和54年の出版。ずいぶん古いです。しかし時間をかけて取材した事実が、引き締まった文章で書かれており、いまも圧倒的な迫真力をもっています。文庫本で長く読み継がれており、これからも生き残る本です。
 ぼくが吉村昭という作家と出会ったのは遅く、三木市に移り住んで、図書館で借りた大型活字本『破獄』を読んでからです。彼の「自分の書く対象」と向き合う姿勢に感動しました。大袈裟に持ち上げたり、軽く扱ったりしない。真正面から「一対一」で向き合う。
 
 吉村昭は昭和2年生れの作家です。日本が戦争に負けた年に〈18歳〉になっています。太平洋戦争(当時の呼び名は「大東亜戦争」)のはじまったときは13歳。(血湧き肉躍る)開戦の放送に熱狂したかどうか知りませんが、10代の魂に刻み込まれたあの戦争を生涯かかえて生きるしかありませんでした。
 ぼくより10歳年上の作家の人たちは、あの戦争をどのようにかかえながら生きたか。
 昭和2年生れの作家に、なぜか惹かれるものがあります。
 
   城山三郎 / 吉村昭 / 藤沢周平 / 結城昌治 / 

 「人間」と向き合う姿勢がちがう。「真摯な」向き合い方といえばいいか。
 こころをいろどるように、時間をかけて本を読んでいます。おもしろくなければひと休みしながら。
 

 
 
 
 
 
 
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村の防災訓練がありました。

2018年11月11日 17時45分29秒 | 古希からの田舎暮らし
 日曜日の朝、村の防災訓練がありました。公民館に行くと、大勢の村の人たちが集まっています。きのう草刈り/掃除をしておいてよかった。村の人たちが気付いたかどうかわからないけど。
 まず公民館裏で、土のう袋の作り方を学びました。

 東のお大師さんの小屋が見えます。その横で砂を袋に詰めて煉瓦のように積んでいく練習を、ちょっとだけしました。
 その後県道のほうにぞろぞろ移動して、消火水栓の説明をしてもらいました。マンホールを開けて、ホースを取り付ける作業の見学です。村の消防団の若い人たちが、やって見せてくれました。
 こんな場面を見るのはこの12年で初めてです。
 でも村の消防団の人たちは、こんな訓練を身につけているんですね。感心しました。

 お昼前に大志くん一家がやってきて、柿狩り/お昼ご飯/畑の材木燃やし/竹の杭片付け/遅いけど黒豆の枝豆狩り/などで手伝ってくれました。
 膝の調子がよくないので、ぼくはずっと家にいて、昼寝/漢字ナンクロ/テレビ/吉村昭の本『熊撃ち』(昭和54年初版・筑摩書房)を読む/ゆっくり入浴/ですごしました。
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昼食交流会で思ったこと

2018年11月11日 01時20分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうはうちの老人クラブで、昼食交流会をしました。
 まず公民館まわりの掃除や草刈り。奉仕活動ということで記念撮影。

 休憩してお茶を飲んだ後は『みっきー体操』や『パ・タ・カ・ラ』の歌を練習しました。
 血圧を測ってもらったり、健康について話し合ったりして昼食。
 次の写真を見てください。

 弁当を片付け、湯飲みを片付け、紙コップでコーヒーを飲んで、「これでおしまい」という場面ですが、そんな空気は写っていません。うちとけて、日常のことをおしゃべりしている時間が写っています。街ではこうなりません。みんな、「さ、帰ろ」という空気が写ります。
 今年一年、5月/7月/11月/と老人クラブの昼食交流会をやってみて、「こんな人のつながりが底にあるんだな」と感じました。
 子どもの頃から同じところで暮らして、学び、土を耕し、青春をむかえ、大人になり、家庭をもち、老いて、ずっとこの地に根が生えているという安心感。
 こんなふうに人のつながるところには、どんな老人クラブが似合うのだろう。
 
 
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老人会の準備あれこれに忙しい日でした。

2018年11月09日 21時44分50秒 | 古希からの田舎暮らし
 明日・第二土曜日(奇数月の)は、うちの村の『老人クラブ・昼食交流会』です。今年から村の老人会行事としてはじめました。
 生まれたときから互いによく知っている長い歴史の村に、似合いませんが、老人会の行事を盛り上げようと、道子さんやぼくは、チラシを配ったり電話で参加を呼び掛けたりしました。そしてなんとか14名の参加者で、昼食会を開くことができます。
 明日はまず公民館周辺の掃除をします。
 その作業にあまり時間をとられないように、ぼくは今日公民館の中庭の草をあらかじめ刈りました。ナイロン・コードで小石をはね飛ばしながら。明日は掃き寄せればいい。あと何年こんな手助けができるか。せいぜい3年か。などと考えながら。
 道子さんは休憩のときのおやつをととのえたり、昼食会のお茶をどうするか考えたり。
 田舎でも近年人と人の付き合いがうすくなっているのを感じる時があります。でも村の人たちの「付き合い」や「からみ合い」は「ひとつの文」で言い表せるほど単純ではありません。根無し草のような街の人たちから見ると「生まれたときからのつながりは、やっぱり違うなあ」と感心することがあります。
 なんとか老人会の活動が、盛り上がりますように。
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片付ければ片付けるほど仕事が出てきます。

2018年11月07日 00時54分18秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは一日「下の畑」を片付けました。足を引きずりながらの仕事ですから、ゆっくりゆっくり。それにしても「片付ければ片付けるほど仕事が出てくる」感じです。
 まず道沿いの土手(谷間)をきれいに仕上げました。

 前の日に刈った草が乾いたので、レーキで溝に集めます。それを四角の袋に入れて三度焼却炉へ引きずっていきます。道沿いのこの谷は、この11年、毎月の草刈りで一番最後になっていました。左右の土手を刈って、草を集めて、運ぶのに手がかかり、「後まわし」にしたい土手でした。
 最後の草刈りをして「よくやってきたな」と声をかけたい気分です。
 もうすぐ、この谷は落ち葉で埋もれます。山のクヌギやコナラの落ち葉が道路に落ち、谷間に1メートル超つもります。そのまま燃やして片づけます。
 道子さんは午前中は「黒豆の葉落とし」に出動。午後は落花生を掘りました。落花生は地面から引きはがすように掘るのですが、田んぼの土ではそれができません。一粒一粒掘り出して、ざっと水をかけて洗います。そのあと干して、殻の固い粒だけ収穫します。これも手のかかる仕事です。
 夕方疲れて焼却炉の前にすわり、しばらく火を見ていました。ヘッセの『デミアン』みたいに。

 材木はかなり燃やして、減ってきました。田舎だからこんな火も燃やせます。ありがたい。
 
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二人とも大働きの日でした。

2018年11月06日 00時49分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは道子さんも、ぼくも、大働きの日でした。
 道子さんは、頼まれていた「黒豆の葉落とし」に午前中出動しました。実働3時間。だれかとペアになって、黒豆の畝にとりつき、両側から黒豆の葉っぱをちぎっていきます。腰を曲げ、膝をついたりしながら、横に移動するのですが、100メートル(黒豆200本)もやるとイヤになる。それを営農の人たちは朝から晩まで延々とやるのですから頭が下がります。晴れの日がつづきますから、「葉落とし」の効果は大きく、緑の黒豆のサヤが茶色になってきます。
 ぼくは、畑で草を集めて燃やしました。土手の草も畑の草も勢いがなくなってきました。「枯れ色になった草は刈らなくても燃えてくれるかな」と火を点けてみましたが駄目。やっぱり刈って、干してから。
 午後は二人とも畑の片付け仕事をしました。仕事は、とにかく、ひたすら、燃やす。黒大豆の枝豆をもぎった枝葉、小芋や落花生を掘った枝葉、サツマイモのツル、それにネットハウスをこわした材木を燃やしました。
 また道沿いの土手の草刈りをしました。12月に「仕上げ刈り」をするつもりでしたが、いまの作業を最後の草刈りとします。燃やして草木灰ができても、もう「灰入れ」はいっぱいだし、家のほうの畑にはあまりいらないし、なるべく刈ったその場で燃やします。
 
 今年は干し柿が順調にできました。アライグマ対策は去年からばっちりで、夜は難攻不落の空間に入れ、昼はウッドデッキでたっぷり秋の陽を浴びさせました。固くなるまで干すことはせず、甘くなったところで冷凍します。冬にコタツにあたりながらそれを食べる。いいですねえ。
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エクラホールで音楽を聴きました。

2018年11月04日 19時19分14秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は、小野市のエクラホールで音楽を聴きました。
『三木室内管弦楽団』の定期演奏会《オール・ベートーベン・プログラム》です。ピアノ協奏曲第3番・交響曲第3番『英雄』と大曲にチャレンジされ、たのしませてもらいました。
 楽団員は30人ほどで10人余りの賛助出演が加わりますが、しっかりした音で、気持ちの入った演奏でした。
三木は古くからの小さな町ですが、我が市の名前を冠する管弦楽団の見事な演奏を、誇りに思います。
 三木市は昨日・今日と『金物祭り』をしています。三木市にとっては年間・最大のイベントです。文化会館もいろんなイベントに使われています。それで小野市のエクラホールでの演奏会になったのでしょうか。
 エクラホールは10年も来ていません。新しい、音楽のよく響く、ホールになっていました。心地よく音楽が聴けました。かつてのホールは市民の憩いのロビーになっています。

 三木の文化会館・ロビーは暗くて、居心地よくありません。小野市のこんなロビーならちょっと寄ってみたくなるでしょうね。

 道子さんが「イタヤカエデの紅葉がきれいよ」というので、裏山をのぞいてみました。いい色になっています。

 畑のほうに気がいって、裏山には何もしていません。これから落ち葉の季節。畑のことや膝のことが気になって、「秋の情緒をたのしむ」こころがどこかに行っていました。田舎暮らしのこころをとりもどして、たのしく生きたいと思います。
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冬のハンモックもわるくない。

2018年11月03日 01時34分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 ハンモックで昼寝することがありますが、つつまれた感じがなかなかいい。しかし寒い季節にむかうのに風邪を引かないか。
 ホームセンターで見たら、防寒グッズに長い座布団があります。去年までは座布団2枚の長さでしたが、今年は3枚分・180センチ超の長座布団も。試しにその長座布団を買ってハンモックにのせてみたら、ちょうどいい。クッションを枕に長座布団に寝て、上から毛布を掛ければ気持ちよく眠れます。
 セットしたところを写真に撮ってみました。

「手すり」は道子さんの要望でつけました。老人は乗り降りに便利です。壁ぎわの下に垂れているのが寝てから上に掛ける毛布です。
 稲刈りがすんで黄金色が消えました。でも、セイタカアワダチソウが花盛りです。

 蛇が池の堰堤です。数年前はもっと背が高くなり、びっしり黄色の土手でした。いまは背が低くなり、黄色も控え目ですが、それでも晩秋の景色に色をそえてくれます。
 前日に畑の土手の草刈りをがんばったので、きのうは外仕事はお休みにしました。
 膝のご機嫌をうかがいながら、無理しないように生活します。

 村の営農組合は黒豆を4町歩つくって出荷する予定です。何度も台風がきて、黒豆の木はかなり傷めつけられています。大きく減収でしょう。
 しかし、早く出荷するために、1日から「黒豆の葉落とし」にかかりました。腰の痛くなる作業ですが、みなさん頑張っておられます。道子さんも頼まれて、きのう半日お手伝いに出ました。
 ごくろうさん。無理しないでね。
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土手の仕上げ「草刈り」をはじめました。

2018年11月02日 03時02分50秒 | 古希からの田舎暮らし
 11年前。2008年4月22日夕方、大豆畑トラスト「むーな村」から三木の家に帰る車中で。
「あの畑、『使こてんか』って、言われたんやけど」
「広すぎるし、半分もつくれないわ」
「だけど、もし使うんやったら、早よ言わんと。向こうも何に使うか、予定あるだろうし」
「おばあさんの話でしょ。息子さんはどう思ってるかきいてみないと」
 おばあさんにもう一度声を掛けて帰宅。すると10分後、草を刈っていた息子さんが、息せき切って自転車で来られました。
「あの田んぼ使ってください。営農のトラクターで畝立てしますから」
 すぐに畑に案内してもらい、つくらせてもらう話になりました。

 次の日は朝一番に、ホームセンター・「ナンバ」に草刈り機を買いに行きました。
 むーな村で使っていた「我が家初代の草刈り機」は8年使って古くなっていたし、エンジンが20CCでパワー不足でした。
 26CCの新鋭機を買って、まず畑の草を刈りました。
 畑の平面を刈ったら次は土手。足場はありませんが、土手の上と下から刈り、斜面に立って、バランスをとりながら残ったところを刈りました。
 あの時は70歳になったばかりで、筋力もバランス感覚もまだしっかりしていました。
 いまの草刈り機は3代目です。11年刈ってきました。そして最後の土手の草刈り。81歳になって、もうこんな土手の草刈りは「おしまい」にします。
 畑は12月にお返しするので、11月20日頃に土手の草刈りをするつもりでした。しかし畑の片付けをしていると、草も「仕上げ刈り」をしてしまいたい気持ちになります。
 で、きのうから「土手の草刈り」にとりかかりました。
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