古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

痛烈な「インパール作戦批判」(船戸与一/『満州国演義』八巻より)

2022年05月13日 23時23分06秒 | 古希からの田舎暮らし
「インパール」という文字を目にすると、自分が「あの戦争に征った」でもないのに、牟田口廉也/河辺正三/東条英機/たちの、日本の軍隊上層部の連中の愚劣さに、いまもこころが波立ちます。 
  今日は一日中雨でした。船戸与一の『満州国演義』(第八巻)を読みました。痛烈な「インパール作戦批判」が出てきます。
 あの作戦では、多くの兵士を、みじめに死なせました。生き残って敗戦後を生きた兵士の「心の平和」を、一生涯にわたって奪ってしまいました。
 この本では、これから「インパール作戦を断行する」というところで、作戦に参加する第五飛行師団の熟練操縦士が作戦を批判しています。こんな痛烈な文句を連ねた「批判」ははじめて読みます。
 小説と銘打っているから、兵隊の話したこととして、書ける。満州国や海外の戦地だから、こんなふうに話せる。実際の歴史や戦記ではここまで書きにくいでしょう。引用を縮めて思いを圧縮したくない。長くなってすみませんが、〈インパール批判〉を引用します。


 インパール作戦は二週間後に決行される予定なのだ。31歳になる夏樹勇人は熟練操縦士として参加する。彼は煙草を取り出しながら(次郎に……主人公の一人)声を掛けて来た。
「いまさら言っても詮のないことだが、インパール作戦は実に愚劣だ。愚劣なだけじゃない、皇国を滅亡に追いやる可能性もある」
 …… 勇人とは一昨夜明けがたまで飲んだが、強烈な東条英機批判者で、それを隠そうともしなかった。上官も平気で呼び棄てにし、その無能さを詰(な)じる言葉も遠慮がなく、 …… 次郎は無言のまま新たな言葉を待った。
「イギリス軍特殊部隊の指揮官オード・ウィンゲートがフーコン谷地(地名)を越えてミートキーナ周辺(ビルマの町の名)に滑空機を飛ばしているのは御存知でしょう、グライダーと呼ばれる発動機のない飛行機を。滑空機から空挺部隊が降下して来たわけじゃない。しかし、第18師団や第56師団(日本の軍隊)との戦闘に備えて、小火器や弾薬、それに食料を然るべきところに保管中なのだと見なきゃならない。そのことを牟田口廉也(インパール作戦の総指揮官)はまったくわかってないんだ。フーコン谷地から雲南省が主戦場になるとは想像もできずに50日でインパールを陥(おと)すとほざいてる。無能としか言いようがない」
 勇人は、煙草に火を点けてつづけた。
「牟田口はいわば小型東条英機と言ってもいい。やたらと精神論を振りまわすだけで、近代戦の何たるかがわかってない。盧溝橋事件(牟田口廉也が勝手に命令して〈支那事変=日中戦争〉の戦端をひらいた)やマレー進攻の際の自慢話に終始し、じぶんには天佑神助があると法螺を吹く。反対意見には耳も貸さず、理を唱えようとする参謀はすぐに更迭してしまう。東条英機が天皇の信任を楯に重臣たちの意見を無視するだけでなく参謀総長まで兼任したように、南洋での島嶼作戦の失敗を取り戻すべくチャンドラ・ボースの言葉に乗ってインド進攻を決定した東条の虎の威を借りてアラカン山系越えという無謀な作戦を成功させて大将に昇り詰めたがってる。昇進欲や権勢欲の亡者でしかない」
「ビルマ方面軍の河辺正三司令官(牟田口の上官)もインパール作戦に賛成だと聞いているが」(次郎がきいた)
「あいつは保身主義者です。確かに、河辺正三は盧溝橋事件のときに牟田口の上官だった。その縁でインパール作戦に賛成したと言われてるが、実際はちがう。ただただ保身のためだ、牟田口に逆らうことは東条に逆らうことだと考えたとしか言いようがない。ビルマ方面軍のなかにもインパール作戦に反対する参謀は何人もいた。代表的なのは高級参謀・片倉大佐です。満州事変に加担したあの大佐は兵站を考えればアラカン山系越えは絶対に無理だと何度も言い募った。しかし、河辺正三はそれを無視して牟田口を支持した。上官が部下の御機嫌を伺ったんです。2.26事件を憶いだして欲しい。あのとき、真崎甚三郎や荒木貞夫などの将軍が血気逸る尉官連中に阿(おもね)って蹶起事件へと発展していった。ビルマであれと同じことが起きるんです、統帥が機能しない事態がね」
 牟田口廉也第15軍司令長官が強引にインパール作戦を敢行しようとして来たことはいままで何度も耳にして来たが、これほど激烈な批判を次郎は聞いたことがなかった。アラカン山系越えの総指揮官を昇進欲・権勢欲の亡者とまで評したのだ。それも部外者が論じたのではない。インパール作戦に参加する第五飛行師団の大尉によってその言葉が吐かれた。

 ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。インパール作戦で戦死/病死/餓死/した多くの兵士。
 生き残って敗戦後、生涯にわたって、戦友の死、地獄を抱きながら高齢まで生きた元兵士たち。
 何十冊とインパール無名戦士の戦記を読みましたが、いまもこころは波立ちます。
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『満州国演義』(第八巻)を読んでいます。

2022年05月12日 20時25分14秒 | 古希からの田舎暮らし
 図書館で見かけて「試しに借りた第八巻」をまだ読んでいます。427ページの本の237ページまで読み進みました。ネットで『書評』を見たら「読み通そう」と決意して読みはじめ、3年目にかかって読了した人が感想を書いています。ぼくは、まさか3年もかからないでしょうが、読むのに相当な時間がかかります。この本は歴史ですから「筋はわかってます」。
 小説とあるから、いくらかフィクションもまじえて書いてあるでしょう。しかし歴史は変えられません。作者は「あの戦争の歴史」を変えるつもりはないでしょう。ただ「歴史に埋もれて、消えてしまう真実」を残したかった。その意志を感じながら読んでいます。
 2,3日したら図書館に行き、(一巻 ~ 三巻)を借ります。「一週間で一巻読む」ことでできたらいいですけど。
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バス停のベンチができました。

2022年05月11日 17時42分42秒 | 古希からの田舎暮らし

 材木を〈ビス止め〉して、サンドペーパーをかけて、キシラデコールを二度塗りしました。ベンチは完成です。
 完全に乾いてから、バス停の草を刈り、防草シートを敷いて、ベンチをすえます。

 船戸与一の『満州演義』八巻を読んでます。(借りたのが八巻だけだったのです。今度借りなおすときに第一巻から借りて、きちんと読みます)いま読んでるところに風船爆弾が出てきます。実際にアメリカに風船を飛ばす前に「実用になるかどうか」人間が乗ってソ連に落下した話がついてます。乗った人はソ連兵に殺されてしまいます。
 バカバカしい戦術です。米軍が上陸してくることをを想定して、竹槍でたたかう練習をした。本気でそんなことを考えたのでしょうか。あの時の日本人はどうかしてた。みんなおかしかった。なぜそんなことになったか、きちんと反省したか。〈一億総ざんげ〉で口をぬぐってしまったのか。
 
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こんな日はしあわせな気分です。

2022年05月10日 18時31分53秒 | 古希からの田舎暮らし
 夕方、仕事を終えてパソコンに向かい、ブログを書こうとしています。今日は何をして、どんな日だったか。
 朝、6時に起きて、スワイショウ/かかとトントン/仏さんを拝む/瞑想/朝食のあとすぐに軽トラで出かける/散髪(道子さんは買い物)/ホームセンターで買い物(バス停のベンチ用材木を買う)/昼食/昼寝/畑の水やり(道子さんは茂みをきれいにして蕎麦の苗を植える)/裏の小屋で、ベンチ用の木材をカットする/ …… これから夕食など。
 
 カットした木材をベンチのかたちにしてみました。
 作業で使った道具はその日のうちにしまいます。道具の住所が決まっているのでスイスイと片づきます。ほんとはあと2時間ほど作業をして、ベンチをビス止めして、サンダー/ペーパーをかけて、キシラデコールを塗るところまでやりたい気持ちです。でも、抑えて。抑えて。明日の仕事を思い浮かべながら夕食/就寝。
 こんな日は、しあわせな気分です。
 世の中は、いろいろです。おじいさんおばあさんにはどうしようもない、つらい、かなしい、ことがいっぱい。
 人生ってこんなふうに暮れていくのでしょうか。 
 
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今日は〈草刈りの日〉

2022年05月09日 20時54分54秒 | 古希からの田舎暮らし
〈裏山の草刈り〉を一日やりました。まず芝生。雑草が生えていますが、花が咲くので「しばらく待って」といわれていました。「OK」が出たので芝生のところを草刈りしました。雑草が一面に伸びて、芝生かどうかわかりませんでした。しかし雑草を刈ると芝生広場という感じになりました。
 道子さんは雑草を刈ったあとに、蕎麦の苗を植えます。蕎麦を植えると竹(笹)が弱って生えてこなくなるそうです。実際効果が出ています。茂みを刈ったあと、道子さんはていねいに草の根をとり、蕎麦を植えていきます。蕎麦は地面に播けばいいのですが、小鳥が蕎麦の実を食べてしまいます。だからプランターに蕎麦を播いて苗を作る。その苗を土に植える。根気のいる仕事に一生懸命でした。
 裏山の斜面も草刈りをしました。細い竹や木を切れるように、鋸目の細かい草刈り歯につけかえて刈りました。斜面を刈るのは久しぶりです。斜面を刈って、少しはすっきりしたかな。
 これから夏場は草がよく伸びますので、こまめに斜面も刈ることにします。
 今年の課題として、石垣の補修という「大きな仕事」があるのですが、それにはなかなか手がつかず、あれこれ別のことを考えます。
 今日考えたのは、山頂に展望台をつくることです。上まで登ると、見晴らしが相当よくなります。ベンチに腰掛けて「しばし眺めをめでる」のもいい。地面にベンチを置いたのでは低すぎて冴えない。1メートルほど高い台にベンチを置けば、ぐっと気分がよくなるだろう。
「腰を下ろしてしばし眺めをたのしむ」気分になるだろう。ようするに大工仕事ですが、たのしみです。
 そうだ! 「バス停のベンチを作る」ほうが先だった。
 明日は木材などの買い物に出かけます。
 
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〈母の日〉の赤いカーネーション

2022年05月08日 18時46分04秒 | 古希からの田舎暮らし

 母の日です。道子さんに娘が赤いカーネーションを持って、イチゴ摘みにやってきました。たっぷり摘んで帰りました。
 今日は空気が澄んでいるのでしょう。いつもの景色がくっきり見えます。どこにも行かないで、こんな景色ばかり見て暮らしていると、テレビに写る〈街の雑踏〉が異世界のように感じます。〈あの雑踏〉のなかにいたのはどんな感じだったかなあ。

 5月は田植え前の仕事がいろいろ。口吉川町はなだらかな谷間に田んぼがあります。田んぼごとに高低差があり、畔(あぜ)というより土手の斜面を草刈りしなければなりません。もうすぐ田植えの6月。田んぼを耕し、土手の草刈りをします。

 田に水をはるまえの草刈り。散髪したてのような風景が気持ちいいです。
 
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『満州国演義』を読む決心をしました。

2022年05月07日 20時33分35秒 | 古希からの田舎暮らし
 三木中央図書館で『満州国演義』という分厚い本を見掛けて、一冊だけ借りてきました。「満州」とあるので「どんな本だろう」と思ったのです。ネットで調べてみると、作家・船戸与一が〈命の最期の火をもやして書きつづけた〉大河小説です。400ページ超の本で全九巻。原稿用紙で7500枚とあります。借りた一冊(8巻目)を読みかけてみました。
 登場人物は実名の著名人や軍人とフィクションの人たちです。読み飛ばすようには読めません。膨大な人たちが出てきます。昭和6年の「満州事変」から昭和21年「日本の敗戦」までの歴史が書いてあります。歴史の本では書けない、しかし実際にあった日本軍の蛮行も、戦争の内幕も〈小説〉として書かれています。〈小説〉と銘打つから書ける。
 満州事変/支那事変/ノモンハン事件/2.26事件/大東亜戦争/満蒙開拓団/ソ連の侵攻/開拓団の棄民/アジア民衆への蛮行/軍隊の内幕/甘粕正彦も辻政信も出てくるだろう/など多くの出来事が〈小説〉としてなら書ける。
 去年、『小説 東条英機と米内光政』という大部な本を読みました。ぼくの知る歴史の知識に血を通わせる「いい本を読んだ」と思いました。『満州国演義』という大部な本の存在を知り、「読んでみよう」という気持ちがおこりかけました。
 でもこれだけの本を読むのは、気力のいることです。読みかけて途中でやめるなら読まないでおこう。しかし退職後の数年間、「満蒙開拓青少年義勇軍の聞き取り」に自分なりに打ち込んだ気持ちを大切にしたい。
 読むしかない。数ヶ月かかるだろう。ぶつかることにしました。
 
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『保護者・参観日』を思い出しながら掃除しました。

2022年05月06日 18時04分08秒 | 古希からの田舎暮らし
 明日はお向かいの看護ステーションでうちの村の『女性部会』があります。その後「裏山を歩いてみよう」と声が掛かるそうです。久しぶりに人が裏山に来る。きれいにしなくっちゃ。
 自慢したいオオデマリは、花の勢いがなくなり、散り頃になりました。でもいろんな花が咲いてますから散歩してもらえるかな。ぼくは、まずテントハウスを掃除しました。床に吹き込んでいる落ち葉を掃き、テーブルを拭き、イスをととのえました。
 それから花見デッキのほうもきれいにしました。みなさんが「花見デッキに上がってくるか」。わかりません。でもデッキ床に積もった落ち葉を掃き、テーブルをきれいにして、イスを引き出してきました。

「BBQにも適した花見デッキですよ。またどうぞ」と声を掛けたいところです。
 道子さんは玄関先のほうをきれいにしました。
 そうそう、前の「アルインコ・電動ウォーカー」は50キロ超あり、なんとか玄関先まで持ち出して半年くらい置いていました。捨てるとすれば、軽トラに積んで、三木市のゴミ・センターまで持っていくしかありませんが、軽トラに積むのが難儀です。危ない。目障りでも仕方がない。
 数日前、新聞に機械類などを回収するチラシが入っていました。電話すると「うがかいます」。今朝来てもらい、持っていってもらいました。助かった! ありがとうございました。
 サツマイモで枯死している苗がありますが、水やりには時間がかかりました。ソラマメ/エンドウ豆/ジャガイモ/夏野菜の苗/それにイチゴ・ネットハウス/にも水やりをしました。乾燥がひどいので一時間以上かけて水をやりました。
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サツマイモはやっぱり「連休明け」がよかったかな。

2022年05月05日 17時43分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 夜の最低気温が10度を下まわる日がつづきました。サツマイモはやっぱり寒さがこたえたようです。水をやり黒マルチをかけて地温を上げたのですが、枯れた苗がかなり。5月20日ごろになってから、苗を買ったり/苗をとったり/して捕植します。
 昨日はバス停のベンチがどうなってるか見に行きました。あの事故でバラバラになっていました。
 それを軽トラに回収して持ち帰りました。脚はこわれていますが、上の板は大丈夫です。杉板にキシラデコールを塗っていたのでまだ使えます。そこで足場のわるいところ用に桟をつくりました。クレオソートを塗り、黒くなってます。

 140センチの板4本でベンチを作ったのですが、一本は見当たりませんでした。事故った車に刺さったのか。回収されたのか。
 板三本の桟を足場のわるいところに渡せばいいかな。
 道子さんがこれを見て、「山の上にベンチがほしいから、これに脚をつけてよ」。
 ベンチだったら、材木を足して、ふつうのベンチんしたほうがいい。こういう仕事が好きなぼくは、チョンチョンして仕事にかかりました。できたのがこのベンチです。

 サンダーでクレオソートをはかして、キシラデコールを塗りました。
 明日、山の上に持ってあがります。
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バス停のベンチを作ります。

2022年05月04日 10時36分54秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日、ゴミ・ステーションの草刈りをすませて帰ってきたら、家の前にパトカーが止まっています。立派な服装の警察官が二人。
「村の人にきいたら、バス停のベンチを作ったそうですね」
「はい」
「そのベンチが事故で壊れたんです。自動車が畑に突っ込んで。バス停の標識は無事だったけど、ベンチは自動車と畑に落ちて」
 住所/名前/電話/などをきかれて、「壊した人に弁償を請求しますか」。/「いいえ、古くなってましたし」。
 ということで、警官は帰りました。
 そうか。ベンチが無くなったんだ。古くなってたし、新しいベンチを作ろう。ぼくがつくるようになって、三代目のベンチになります。バス停の草刈りとベンチの塗り直しはささやかなボランティアでした。
 長もちする〈しっかりしたベンチ〉を作りたいな。連休が終わったら材料を買いにいこう。

 そして今日のニュース。パソコンでテニスの試合を見ていたら、道子さんが「カメラカメラ!」と声を掛けました。ウッドデッキに出てみると、見なれない小鳥がいます。

「日本野鳥の会」に入ろうか、と思案したことのある道子さんが図鑑で調べました。『アトリ』という小鳥だそうです。日の当たる向こうにまわって写真を撮ろうとしたけど、飛び立ってしまいました。この小鳥、ぼくははじめて見ました。
 イチゴが採れるようになりました。今年はひと畝なので、二人の娘が交代で採りに来ます。

 オーニングを繰り出して、まずは母・娘の〈コーヒー・おしゃべりタイム〉。
 イチゴはよく採れました。

 

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ボランティア=ゴミ・ステーションの草刈り

2022年05月03日 21時47分21秒 | 古希からの田舎暮らし
〈田植えまえ〉の休日、田舎では、畔の草刈りが盛んです。ゴミ・ステーションの草も伸びてきました。ツボミオオバコが群生しています。「いつの間にこんなに増えたのだろう」と思うけど、とにかく「刈る」しかありません。今日は午後、軽トラで草刈りに行きました。草を刈ったゴミ・ステーションの写真を撮るのを忘れました。いつもアップしてる写真ですけど。
 
 今日の午後はまず、段ボールや新聞などの紙を軽トラに積んで出かけ、リサイクル・コンテナに投入しました。

 通販が増えているので、段ボールがたまります。新聞や広告もたまっています。軒下にストックする場所はあるのですが、ときどき捨てに行きます。田舎は〈あのコンテナ〉があちこちにあって便利です。

 ゴミ・ステーションの草を刈りながら「85歳になったら〈このボランティア・草刈り〉はやめる」とブログに書いたことを思います。
今日は刈りながら、「あと5ヶ月で85歳になる。でもゴミ・ステーションの草を刈る元気はまだありそうだ。85歳でやめなくてもいいか」と思いました。自分で決めることですから、まだ時間はあります。しかし、草刈りの〈後継ぎ〉がはっきりあればすぐにでもやめます。「元気なのはありがたい」けど「共に懸命に生きた朋友たちは逝ってしまった」という気持ちが、いつもついてまわります。


 これは草刈り機用のナイロンコードです。写真の円盤に、4本ずつつけて草を刈ります。一体どれくらい残ってるのか、ナイロンコードを全部切って、32本ずつに束ねてみました。一度に4本のコードをつけて刈ります。32本で8回分。それが5束。40回分あります。ナイロンコードで刈るのは春先の草がやわらかいときだけ。一生(残り少ない)かかっても使いきれません。バッテリー式草刈り機とともにどなたかに使ってもらうしかありません。

 草刈りを終えて福地池まわりで帰る途中、軽トラをとめて裏山をしばし眺めました。何もないこの景色。
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今夜から枕を高くして好きなだけ寝ます。

2022年05月02日 03時45分22秒 | 古希からの田舎暮らし
 マドリード・オープンのテニスで、大阪なおみが負けました。今夜から枕を高くして寝ます。
 ぼやきたくなるけど、何を言っても仕方がない。「仕方がない」はいい言葉ですね。 アーア。
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パソコンにさわるのが不安なときがあります。

2022年05月01日 18時01分56秒 | 古希からの田舎暮らし
 ぼくの今生の人生では、定年退職した60歳のときは「パソコンはさわらない」「文章はワープロで書く」と決めていました。ところが同窓会の係になったり、老人大学のクラブ役員になったりして、パソコンにさわるようになりました。
 69歳になった2007年には田舎暮らしをはじめ、2009年3月からはブログを書きはじめ、次第にパソコンを愛用するようになりました。写真を取り込んでプリントできるのがうれしかった。
 田舎暮らしをはじめて15年目になり、通販で買い物もできるし、必要な情報は簡単に手に入るし、「84歳になっても便利なもんだ」とパソコンは重宝していました。ところがこのたび、ニセの「ウイルスに感染した。すぐに退治してください。パソコンがダメになる」という警告が執拗に画面に現れ、消しても消しても現れ、ついに不安になって「マカフィーに加入してウイルスを退治してもらうんだ」とカード情報を入れてしまいました。それからパソコンでお世話になっている方に尋ねて、ニセ・サイトとわかり、慌ててカードを変更しました。メールには、マカフィーの会社から『あなたの情報が盗まれました。すぐに対処してください』と警告が入ってくるし、「おー、マカフィーの会社が手当てしてくれるのか」と思ったりしました。しかし、それもニセ・サイトと教えられ、ますます不安になりました。
 こんな便利なものができたのはうれしいけど、それを使って人をだますのか。なんか、情けないなあ。
 
 世の中には「だます」悪い人もいるけど、「いいアイディアでパソコンでお金儲けをしよう(悪いことをしないで)」と思う人もいるでしょうね。you tuberとか。その人たちは企業として成功する人もあるけど、うまくいかない人のほうが、圧倒的に多いでしょうね。
 そんなことしないで、植物を育てたり、野菜をつくったり、モノをつくったり、したほうが心が落ち着くか。
 なんか、世の中、こんな風潮でいいのかなあ。
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