N響定期公演に行ってきました。
曲目は
ウォルトン チェロ協奏曲
エルガー 交響曲第3番(ペイン補筆完成版)
指揮:尾高忠明
チェロ:スティーヴン・イッサーリス
BBCウェールズ交響楽団の首席指揮者を務めた経験もあり、
イギリス音楽を得意とする尾高さんらしいプログラムです。
渋いというか、マイナーというか・・・。
イギリスの作曲家というと、昨年聴いたブリテンの他、
ホルスト、ヴォーン・ウィリアムズ、ディーリアスなどが思い出されますが、
どれも聴きやすいというか、素朴、わかり易い、といったイメージです。
(ヘンデル大先生はドイツからの帰化なので除きます)
ウォルトンは昔、CDですが戴冠式行進曲や交響曲第1番を聴いたことがあります。
あんまりよく覚えていませんが、面白かった(わかり易かった)記憶が・・・。
ですが、1956年に作られたチェロ協奏曲は大分印象が違いました。
なんとも"捉えどころ"のない曲、といっては失礼かもしれませんが。
現代曲というような"難解さ"とまではいかず、
かといって親しみ易い、明快な旋律が登場するでもなく、
緊張感や静謐さ、というものでもない。
終楽章(第3楽章)は変奏曲ですが、
第2、第4変奏はカデンツァのようなチェロ独奏、対して第3変奏はオーケストラのみ。
何かよく"変奏"がわかりません。
曲冒頭と最後に出てくるヴィブラフォンが幻想的な雰囲気を醸し出しましが、
全体としては(繰り返しになりますが)なんとも"捉えどころ"がない・・・。
エルガーの交響曲第3番は1932年に作曲が開始されましたが、
翌年にはエルガーは病床につき、1934年に亡くなった時に残されたのは127枚のスケッチのみ。
それをイギリスの作曲家ペインが1997年に補筆完成させました。
遺稿による作曲の進み具合からすると第2楽章以外は
「遺稿の断片と他のエルガー作品流用によるペインの創作」とするのが正しいそうですが、
結構演奏される機会が多いようです。
聴いた印象はというと、こちらも"捉えどころ"がないというか・・・。
各楽章ごとの"風景"の違いはありますが、一つの楽章の中でのメリハリがなく、
始まったら最後まで同じような調子で進んでいきます。
第3楽章アダージョ・ソレンネでは、久々に睡魔に襲われました。
ところで・・・
長年、N響を聴いていて今回のような演奏会(曲)の時、思うことがあります。
(何か傍証があるわけでもなく、またうまく言葉で表現できないのですが)
それは「こういう曲をN響は実に"上手"に演奏するなあ」ということです。
まあ、滅多に聴かない(聴こうと思わない)曲なので、他の演奏と比較のしようがないのですが・・・。
曲目は
ウォルトン チェロ協奏曲
エルガー 交響曲第3番(ペイン補筆完成版)
指揮:尾高忠明
チェロ:スティーヴン・イッサーリス
BBCウェールズ交響楽団の首席指揮者を務めた経験もあり、
イギリス音楽を得意とする尾高さんらしいプログラムです。
渋いというか、マイナーというか・・・。
イギリスの作曲家というと、昨年聴いたブリテンの他、
ホルスト、ヴォーン・ウィリアムズ、ディーリアスなどが思い出されますが、
どれも聴きやすいというか、素朴、わかり易い、といったイメージです。
(ヘンデル大先生はドイツからの帰化なので除きます)
ウォルトンは昔、CDですが戴冠式行進曲や交響曲第1番を聴いたことがあります。
あんまりよく覚えていませんが、面白かった(わかり易かった)記憶が・・・。
ですが、1956年に作られたチェロ協奏曲は大分印象が違いました。
なんとも"捉えどころ"のない曲、といっては失礼かもしれませんが。
現代曲というような"難解さ"とまではいかず、
かといって親しみ易い、明快な旋律が登場するでもなく、
緊張感や静謐さ、というものでもない。
終楽章(第3楽章)は変奏曲ですが、
第2、第4変奏はカデンツァのようなチェロ独奏、対して第3変奏はオーケストラのみ。
何かよく"変奏"がわかりません。
曲冒頭と最後に出てくるヴィブラフォンが幻想的な雰囲気を醸し出しましが、
全体としては(繰り返しになりますが)なんとも"捉えどころ"がない・・・。
エルガーの交響曲第3番は1932年に作曲が開始されましたが、
翌年にはエルガーは病床につき、1934年に亡くなった時に残されたのは127枚のスケッチのみ。
それをイギリスの作曲家ペインが1997年に補筆完成させました。
遺稿による作曲の進み具合からすると第2楽章以外は
「遺稿の断片と他のエルガー作品流用によるペインの創作」とするのが正しいそうですが、
結構演奏される機会が多いようです。
聴いた印象はというと、こちらも"捉えどころ"がないというか・・・。
各楽章ごとの"風景"の違いはありますが、一つの楽章の中でのメリハリがなく、
始まったら最後まで同じような調子で進んでいきます。
第3楽章アダージョ・ソレンネでは、久々に睡魔に襲われました。
ところで・・・
長年、N響を聴いていて今回のような演奏会(曲)の時、思うことがあります。
(何か傍証があるわけでもなく、またうまく言葉で表現できないのですが)
それは「こういう曲をN響は実に"上手"に演奏するなあ」ということです。
まあ、滅多に聴かない(聴こうと思わない)曲なので、他の演奏と比較のしようがないのですが・・・。