東京都現代美術館で『アートと音楽~新たな共感覚をもとめて』を
観てきました。総合アドバイザーは坂本龍一です。
坂本教授の音楽作品(特にYMO時代)には、幼少期?にどっぷり嵌りましたが、
"教授"の推すアート("教授"とアートの関係性)については、
正直、あまり興味が持てない・・・。
以前にワタリウム美術館について書いた際にも少し触れましたが、
どうしても「仲間内」「内輪受け」の感が否めない・・・。
特に「偶然性」や、自然(植物など)が発する信号などを音に変換したものなど、
試み、発想は面白いですけど、自分には芸術とは思えない。
<セイヨウイラクサの緊急信号>
セイヨウイラクサが葉を蝶の幼虫に食べられた時、
周りの"仲間?"に危険を知らせるために発する信号を音楽に変換したもの(の楽譜)
<without records>
レコードの無いプレーヤー(・・・の森?)
プレーヤーそのものが持つ"記憶?"がランダムに再生される
・・・どちらも「説明」が必要ですね。
坂本さんはかつてジョン・ケージの『4分33秒』に大きな衝撃を受けたそうです。
(会場に楽譜が展示してありました)
演奏者がピアノの前に座ったまま何も弾かずに最後まで(4分33秒間)沈黙を通す
その時、観客自身が発する音、あるいは周りから聞こえる音などが「音楽」である・・・
森に分け入り、ふと耳をすませば聞こえてくる鳥のさえずりや木々の葉音、小川のせせらぎ、
それらが既に音楽である、という発想です。
「art(アート)」はラテン語の「ars(アルス)」が語源だそうで、
そこには「自然」に対して、「人為的」「人工的」という意味があるようです。
自分が、偶然性や即興性を重視した作品をあまり好きではないのは
その辺に理由があるのかもしれません。
単純に観ていて面白いもの、観入ってしまうのものありましたし、
「アートと音楽による共感覚、またその境界領域を探る」
などと余計?な「お題目」を付けない方がよっぽどいいんじゃないんですかね。
カンディンスキーの絵を2枚観られたのはよかったです。
観てきました。総合アドバイザーは坂本龍一です。
坂本教授の音楽作品(特にYMO時代)には、幼少期?にどっぷり嵌りましたが、
"教授"の推すアート("教授"とアートの関係性)については、
正直、あまり興味が持てない・・・。
以前にワタリウム美術館について書いた際にも少し触れましたが、
どうしても「仲間内」「内輪受け」の感が否めない・・・。
特に「偶然性」や、自然(植物など)が発する信号などを音に変換したものなど、
試み、発想は面白いですけど、自分には芸術とは思えない。
<セイヨウイラクサの緊急信号>
セイヨウイラクサが葉を蝶の幼虫に食べられた時、
周りの"仲間?"に危険を知らせるために発する信号を音楽に変換したもの(の楽譜)
<without records>
レコードの無いプレーヤー(・・・の森?)
プレーヤーそのものが持つ"記憶?"がランダムに再生される
・・・どちらも「説明」が必要ですね。
坂本さんはかつてジョン・ケージの『4分33秒』に大きな衝撃を受けたそうです。
(会場に楽譜が展示してありました)
演奏者がピアノの前に座ったまま何も弾かずに最後まで(4分33秒間)沈黙を通す
その時、観客自身が発する音、あるいは周りから聞こえる音などが「音楽」である・・・
森に分け入り、ふと耳をすませば聞こえてくる鳥のさえずりや木々の葉音、小川のせせらぎ、
それらが既に音楽である、という発想です。
「art(アート)」はラテン語の「ars(アルス)」が語源だそうで、
そこには「自然」に対して、「人為的」「人工的」という意味があるようです。
自分が、偶然性や即興性を重視した作品をあまり好きではないのは
その辺に理由があるのかもしれません。
単純に観ていて面白いもの、観入ってしまうのものありましたし、
「アートと音楽による共感覚、またその境界領域を探る」
などと余計?な「お題目」を付けない方がよっぽどいいんじゃないんですかね。
カンディンスキーの絵を2枚観られたのはよかったです。
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