ヨーゼフ・クリップス指揮、ウィーン・フィル演奏の
チャイコフスキー交響曲第5番ホ短調を聴きました。
1958年のステレオ録音です。
ヨーゼフ・クリップスという指揮者は、前にも書きましたが
ディスクユニオンスタッフ、中馬和博さんの『猫丸しりいず』で知りました。
そのとき聴いたモーツァルトの交響曲第40番がとてもよかったので、
今回のCDをブックオフの「500円コーナー」で見つけて即購入!
チャイコフスキーの後期交響曲の中では第5番が最も好きです。
魅力的な旋律に溢れていますし、第1楽章冒頭の「運命の動機」が他の楽章にも現れて、
曲全体に統一感もありますし。
ただ・・・
どこがどう・・・というわけではないのですが、
第4番の力強さや第6番の完璧さに比べて、この第5番はなんというか
「不安定さ」というか「割り切れなさ」というか、そういう"モヤモヤ"した何かを感じます。
(そこが魅力でもあるのですが)
物識り"ウィキ"さんによると、チャイコフスキー自身、
第5番について「こしらえ物の不誠実さがある」と言ったとか。
う~ん、さすがにうまい表現です(作った本人だから当然か)。
そんな曲のせいか、色々な演奏を聴いていますが、
「お気に入りはこれ!」というものもない代わりに皆それなりに楽しめる?
と、言いつつも、例えばムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの
「どうだ!これが本物!!」ってな演奏もあまり食指が動かず、
かといって情感たっぷり、お涙頂戴の演歌的な演奏も鬱陶しいし・・・。
(インバル盤が比較的好きなのですが、オケがもう少し上手ければ・・ね)
そんな中、クリップス師匠の登場です。
『猫丸しりいず』の影響で、そういう聴き方をしているせいかもしれませんが、
まさに「普通は非凡なり」。
派手さや奇をてらったところがなく、でも「いい曲」に仕上げています。
「そうそう!この曲はこういう演奏が一番!」
50年以上前の演奏とは思えないDECCAの素晴らしい録音にも満足です。
永らく"空席"だった第5番の「愛聴盤」になりそうです。
チャイコフスキー交響曲第5番ホ短調を聴きました。
1958年のステレオ録音です。
ヨーゼフ・クリップスという指揮者は、前にも書きましたが
ディスクユニオンスタッフ、中馬和博さんの『猫丸しりいず』で知りました。
そのとき聴いたモーツァルトの交響曲第40番がとてもよかったので、
今回のCDをブックオフの「500円コーナー」で見つけて即購入!
チャイコフスキーの後期交響曲の中では第5番が最も好きです。
魅力的な旋律に溢れていますし、第1楽章冒頭の「運命の動機」が他の楽章にも現れて、
曲全体に統一感もありますし。
ただ・・・
どこがどう・・・というわけではないのですが、
第4番の力強さや第6番の完璧さに比べて、この第5番はなんというか
「不安定さ」というか「割り切れなさ」というか、そういう"モヤモヤ"した何かを感じます。
(そこが魅力でもあるのですが)
物識り"ウィキ"さんによると、チャイコフスキー自身、
第5番について「こしらえ物の不誠実さがある」と言ったとか。
う~ん、さすがにうまい表現です(作った本人だから当然か)。
そんな曲のせいか、色々な演奏を聴いていますが、
「お気に入りはこれ!」というものもない代わりに皆それなりに楽しめる?
と、言いつつも、例えばムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの
「どうだ!これが本物!!」ってな演奏もあまり食指が動かず、
かといって情感たっぷり、お涙頂戴の演歌的な演奏も鬱陶しいし・・・。
(インバル盤が比較的好きなのですが、オケがもう少し上手ければ・・ね)
そんな中、クリップス師匠の登場です。
『猫丸しりいず』の影響で、そういう聴き方をしているせいかもしれませんが、
まさに「普通は非凡なり」。
派手さや奇をてらったところがなく、でも「いい曲」に仕上げています。
「そうそう!この曲はこういう演奏が一番!」
50年以上前の演奏とは思えないDECCAの素晴らしい録音にも満足です。
永らく"空席"だった第5番の「愛聴盤」になりそうです。
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