老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

542;老いたヒトデ

2017-11-15 00:27:55 | 文学からみた介護

 高見順 「老いたヒトデ」(『死の淵より』講談社文庫)


  老いたヒトデ
            高見順

踏みつぶすのも気持が悪い
海へ投げかえそうとおっしゃる
その慈悲深い侮蔑がたまらない
一時は海の星と謳うたわれたあたしだ

ハマグリを食い荒す憎い奴と
あなた方から嫌われ
食用にもならぬとうとまれたあたしが
今は憎まれも怨まれもしない

あたしも福徳円満
性格も丸くなって
すっかりカドが取れ
星形の五本の腕もボロボロだ

だのにうっかりアミにひっかかった
しまったと思ったが
いや待て これでいいのだ
このほうがいいと思い直したところだ

年老いて
歯がかけて好きな貝も食えず
重油くさい海藻などしゃぶって
生き恥をさらしていた

炎天の砂浜で
のたうち廻る苦しみのなかで
往年の栄光を思い出しながら
あたしはあたしの瀕死を迎えたい

宝石のような星が
夜空に輝いていたのも昔のことだ
今は白いシラミのような星が
きたない空にとっついている

海の星の尊厳も昔のことだ
海にかえさないでくれ
老いたヒトデに
泥まみれの死を与えてほしい


文庫本『死の淵より』のなかでラストに掲載されている詩である
28年前に「老いたヒトデ」を読み、寝たきり老人や認知症老人のことが頭に浮かんだ


長くなるかもしれませんが
最後までお付き合いいただければ幸いである


真夏の海水に裸足で入ったとき
裸足(あし)にヒトデが触れようものなら
若い娘は大変!

「踏みつぶすのも気持ちが悪い」と蔑まれるほど
人間様に嫌われてしまう老いたヒトデ
老いた人も同じく疎まれ嫌われている

「一時は海の星と謳われたあたしだ」
老いたヒトデもかつては海のスターと謳われていた

人間は、「ハマグリを食い荒らす憎い奴」とヒトデを嫌い
更に「食用にもならぬ」と蔑んでいた
ヒトデは呟く「海を荒らし、汚くしているのは人間である」

老いた人のなかには「福徳円満」な人もおり
穏やかな気持ちで老後を過ごされている人もいる
齢を重ね(嵩ね)るにつれ
「腕も足も体もボロボロ」になり転んだこともあった 
物忘れも目立ち ひどくなると自分が誰だかわからなくなる

食事中うっかり誤嚥してしまった
むせや咳がひどく発熱もでてきた
「しまったと思ったが」
入院せずこのまま死んでしまった方がいいと
思ったこともあった

年老いて
歯はなく好きな食べ物も食えず
自分の手で食べることもできず
全粥、超キザミを食べさせてもらい
「生き恥をさらしていた」

炎天の真夏
喉が渇き水を欲しても
水を飲むことがわからぬあたし
せん妄になり熱発しても気づく人は多くはなかった

過去においてあたしにも
「往年の栄光」があり
夜空の星のように輝いて時代もあった
結婚したとき
子どもが生れたとき
仕事で輝いていたこともあった
いまは死を待つだけの老いた身となり
尿で沁みついたベッドに臥せている

昔は不便だったが暮らしやすかった
「海にかえさないでくれ」という老いたヒトデの叫びは
老いた人にとっては「もう生かさないでくれ」と
こだまとなって返ってくる
延命治療は望まないけれど
死に際のとき
傍らに居て手を握ってくれるだけでいい









398;認知症老人と存在論 ⑤

2017-09-18 04:57:30 | 文学からみた介護
 認知症老人と存在論 ⑤
~ハイデガーの哲学から考える~


(4)「ある」ということばの意味
 
「ある」ということばを、『類語新辞典』(大野晋・浜西正人著、角川文庫)を紐解いてみると、
「有無」という箇所に当たり、[ありーそこに物があること]として、「有る」「在る」「居る」「存する」が列挙されている。
「有る」「在る」「居る」の存在は日常語として使われ、
「存する」の存在は文章語として使われている。

いまここに自分が「在る」ということは、
いまこうして自分が「生きている」ことであり、
いま生きているとは自分の「居る場所」(居場所)が「在る」のかということに連なる。

ハイデガーは「ある」ということばは、
漠然とした理解ではなく、存在論の中心的な問題であり、
「自分の存在をどう理解するかは、自分がどう存在していくかと深く関わっており、自分の生きかたそのものを決定して」いくことである(31頁)。

自分自身の存在が大事であるということ、
それは自分の生きかた、
自分の人生そのものを大切にしていきたいと思い願っている。

それは自分だけでなく、
他者に対しても同じ人間として「自分自身の存在や人生、家族そのものの存在」も同様に大事なのである。
老人介護において、
ひとりの人間としての「老人の存在が大事」であり、
「存在をよりよく理解」しようと努力しているかである。
老人は、私たちに「ある」ということばの意味と理解について問題提起されていることを忘れてはならない。


※最後までお読みいただきありがとうございました。

383:認知症老人と存在論③

2017-09-13 04:25:08 | 文学からみた介護
 認知症老人と存在論 ②
~ハイデガーの哲学から考える~


(3)「存在の意味」と認知症老人
 
本節では認知症老人と「存在する」ことの意味について考えていきたい。
ハイデガーは、「存在の問い」のことを「存在の意味についての問い」とも呼び、
「存在の意味」は二重のことを指している(22頁)。

 
ひとつは、「ある」という言葉の意味である。
ふたつは、現実に私たちが生きる意味である。

まず前者の意味は哲学としての「ある」(在る)という存在論を解明していく理論の問題である。
他方(後者)の意味は、生きていく意味としての言葉であり、生きてきた成果や結果の意味での人生での問題を解明していくことにある。

ハイデガーは哲学の意味と人生の意味との両方の側面を区別せずに二重の意味として同じものとして捉えている。

彼は続けて「意味」の解明を更に試み、
「意味」とはなにかについて『存在と時間』のなかでこう述べている。

「意味とは、あることがわかっている場のことでる。それがわかって、それを解明できるとき、はっきりと口に出すことができるもの、それを意味と呼ぶ」(24頁)。

ハイデガーの存在論の中心課題は、いまここに生きている自分そのものをどう理解しているのか、ということだ
いま生きている自分の存在そのもの、存在している意味自体をどう捉えているのか。

存在している自分というひとりの人間は、他人の事ではなく、まさに私たちひとりひとりの問題であり、
誰人にも代わり得ることのできない「自分の問題」なのである。

だからこそケアという仕事は、
ひとりひとりの認知症老人を大切にすることであり、
個別性が重んじられなければならないのも、
こうしてハイデガーの存在の意味が重要な意味を帯びてくるのである。
誰もしも
自分を含め
そのひとりの人間の存在は
かけがえのない生命や人生であり
他者に代わり得ないからこそ
その人の存在があり
その人の人生史とは重ね合い
生きることの意味が問われてくるのである。
 

381;認知症老人と存在論 ②

2017-09-12 12:00:39 | 文学からみた介護
 認知症老人と存在論 ②
~ハイデガーの哲学から考える~

(2)自分自身への出会いと小宇宙への旅路


「現に存在しているなかで自分自身に出会うという哲学的な目覚め」が大切となってくる(前掲18頁 『存在論 事実性の解釈学』より)。
存在している自分と違う、
もう一人の自分自身に出会うことにより、
眠っている自分を目覚めさせることにある。

眠っている状態にあるということ、
それは自分の眼を閉じているため、
「隠れているもの」が見えていない。
隠れているものが見えるようになるには、
自分自身を知らなければならない。

すなわち、哲学的な目覚めを必要とするのである。
認知症老人の行動や言葉(呟き、独語)が不可解であり理解できない、と。
介護者は「痴呆(認知症)だから」「問題行動」「意味不明」というように判断を下し、
それで「よし」とし認知症老人を見てしまいがちである。
認知症老人はどうしてそのような言動を発したのか。
「いつものこと」だからとか、「またも同じ繰り返しをしている」のだからと認知症老人をみてしまう。
経験と慣れから、
認知症老人のことは、もうわかっているつもりになり、
介護者のペースで対応してしまう。
しかし、よくわかっているつもりでも、
いざ認知症老人がとった言動の意味は何であったのか、
と捉えなおしていくことにより、
「隠れているもの」が見え始め、
認知症老人との関係がとれるようになる。
 
認知症老人の存在そのものから、
つまり認知症老人の言葉や行動に対して、
介護者は何を感じ、何を悩み、何を思い、どう関わっていきたいのか。
認知症老人から発せられたことに対し、
自分自身はどうすべきなのか、
自分自身の在り方(存在そのもの)が問われ、
自分ともう一人の自分との自己対話(思索活動)を為していく時間が求められる。

それは、ハイデガーの言葉で表現すると、
哲学的な目覚めであり、
「存在の問い」を反復することにある。
いまのままで「よし」とするのではなく、
認知症老人の行動やケアの在り方について
「こう考えてみたらどうだろうか」(20頁)
という「根源」を見据えることが大切である。
いまのままでいいという眠れる自分から眼を覚まし、
凝り固まってしまった介護観を
打ち砕いていくことが必要である。

358;“人生の短さ”と老人介護(4)

2017-09-03 04:52:13 | 文学からみた介護
“人生の短さ”と老人介護
 セネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫

(4)

「自分が他人に尽くすように生まれたことを理解し、
またそのゆえに生みの親の自然に感謝をささげる、
といったふうに生きたい。
自然は他のどんな仕方で、
これ以上に立派に私の仕事を導いてくれることができたであろうか。
『自然は一人の私を万人に与え、万人を一人の私に与えた』
(セネカ『人生の短さについて』-「幸福な人生について」-岩波文庫 156~157頁)。

自分が生まれてきたこと、
今日まで生きてこられたことに感謝し、
「自分が他人に尽くすように」
私の仕事に対する想いと行動(介護実践)にかかっている。

セネカは最後に語る。
「髪が白いとか皺(しわ)が寄っているといっても、
その人が長く生きたと考える理由にはならない。
長く生きたのではなく、長く有ったにすぎない」(25頁)。

ルソーも『エミール』のなかで同じことを述べている。
人生は長さではなく、人生の中身が問われると。

人生は短い。
しかし、良く使えば人生は長い。

宴会と快楽に楽しんだ時間は束の間であったが、
玉手箱を開けたら白髪になってしまったほど
時間は過ぎ去っていた、
日本昔話浦島太郎を思い出した。

355;“人生の短さ”と老人介護(3)

2017-09-02 05:00:03 | 文学からみた介護
“人生の短さ”と老人介護
 セネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫

(3)

砂時計のように老人に残された時間はわずかである。
認知症というハンディキャップを抱えながらも、
「いま(現在)」という時間を必死に生きておられる老人の後姿から、
わたしたち介護者は時間の大切さを学ばなければならない。
介護を通し老人とのかかわりのなかで、
ある時、ある所で、
あなたがある感動を受けたことは、
二度と繰りかえすことのできない、
その時の経験であり、
その時間は大きな意味をもってくる。


残り少ない老人の時間をわたしたち介護者は奪ってはいないか。
「時間がない」とこぼしながら多忙に施設のなかを動き回る介護は、
結果として老人を気遣うことはできないからである。
大集団生活であり、
その上多忙な介護業務は、
老人は意欲や時間を失い「生きる屍」のような状態になってしまう。
そうした状況は、
老人にとっても介護者にとっても、

いまという時間が如何に貴重なものかをわれわれは知っているのであろうか。
死が刻一刻と近づいている老人に向かって、
わたしたちは何を為すことができたのか

まだ来ぬ不確定な明日より、
現に手元にある今日を大切にし、
「最良の日」であるように尽くしていくことである。


「生きることは生涯かけて学ぶべきことである」
「生涯かけて学ぶべきことは死ぬことである」(22頁)。


27年間老人介護に関わりしみじみ感じたことは、
“生(お)い方は老い方である”
逆も言えて"老い方は生い方である”
駄洒落に聞こえたかもしれないが、どのように生きてきたかで、その人の老い方が決まる。
セネカが言うように老年になってから慌てても遅いのである。
日々、わたしたちは老人から「生きることを生涯かけて学ぶ」ことであり、
介護を通して「学ぶべきことは(老人の)死」である。
老人の生き方(老い方)から謙虚に学び、
自分の生い方(=生き方)をみつめ、
いまを大切に生きていく。

353;“人生の短さ”と老人介護(2)

2017-09-01 04:52:00 | 文学からみた介護
“人生の短さ”と老人介護
 セネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫

(2)

「大部分の人間たちは死すべき身でありながら、
・・・(略)・・・われわれが短い一生に生まれついているうえ、
われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまう」
の書き出しで、
『人生の短さについて』が始まる(9頁)。

「われわれは短い人生を受けているのではなく、
われわれが短くしているのである」。


「人生は使い方を知れば長い」(10頁)

人間は生まれた瞬間から、死に向かって生き始める「死すべき」存在である。
誰にも平等に与えられた時間をどう使っていくのかによって、
その人の生き方が決まる。
自分の一生涯において行なった仕事は何であったのか。
「飽くことのない欲望」や「こびへつらいの付き合い」「酒や快楽」に溺れ、大切な時間を失っていないか。

われわれの存在と関係なく時間は永久にあるが、
われわれは必ず「死すべき身」であることに気づきにくい。


何歳になれば、これからの老後やその先の死を意識するのだろう。

「すでにどれほどの時間が過ぎ去っているかに諸君は注意しない。
充ち溢れる湯水でも使うように諸君は時間を浪費している」(15頁)。

われわれの目には時間は映らないものであり、
無形のようなものであるだけに、
時間の価値というものを見失っている





350;“人生の短さ”と老人介護(1)

2017-08-30 17:31:33 | 文学からみた介護
“人生の短さ”と老人介護(1)
 セネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫

(1)
哲学者ハイデガーは、
「今此処に生きている」
自分とは一体何者なのか。

生きているかどうか意識しようが意識しまいが、
自分はこうしていま「存在」している事実は否定することができない。
その「存在」は、“いま(現在)”という「時間」に在る。
ハイデガーは「存在」と「時間」という二つのキーワードから
人生について内なる対話を展開。

ハイデガーと同じく、
セネカも、人生において「時間」のもつ意味が如何に重要であるか、
書物『人生の短さについて』を通し後世に遺している。
今回はセネカの思想から
人生の短さと老人介護との関連づけながら
「読書ノート」を書いていくとしよう。
喉頭癌により人生にピリオドを打った
作家高見順の詩集『死の淵より』のなかに、
ある詩の一節を思い出した。
指のすきまから砂がこぼれるように時間が流れていく
(blogのなかで何度か引用した)、
普段私たちは時間に対しては無頓着であり、
時間は永遠に在るものとして意識することもなく過ごしているのではないだろうか。
介護施設でよく介護者は
「忙しくて時間がない」とつい口にしがちである。
よくよく考えてみると
「時間がない」のは、
介護者ではなく死期が迫っている老人の方である。

その「時間」というものについて、
私たち介護者はどう捉えなければならないのか。
自分自身の人生の在り方そのものを考え直し、
セネカが語っている「人生の短さ」とは何を意味するのか、
探っていきたい。

321;北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(4)

2017-08-21 11:48:53 | 文学からみた介護
北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(4)<
編集委員 大岡信 大谷藤郎 加賀乙彦 鶴見俊輔『ハンセン文学全集』1(小説)皓星社:北條民雄「いのちの初夜」3~28頁


(4)

隔離収容施設に入所し、最初の夜(初夜)を迎え悪夢から目が覚めた尾田、
全身に冷たい汗をぐっしょりかき、胸の鼓動が激しかった。
深夜の病室を見渡すと、「二列の寝台には見るに堪へない重症患者」の光景が眼に映り(22頁)、
癩菌は容赦なく体を食い荒らし死にきれずにいる癩病患者の生き様に、
尾田は「これでも人間と信じていいのか」と感じ、まさに「化物屋敷」であると(23頁)。
小説を書いていた佐柄木は、筆を止め「尾田さん。」と呼ぶのであった。
同室の癩病者(男性患者)は、癩菌が神経に食い込んで炎症を起していて、一晩中呻きやうな切なさですすり泣いている。
「どんなに痛んでも死なない、どんなに外面が崩れても死なない。癩の特徴ですね」と、佐柄木は話す。(25頁)
ある癩病患者(男)は、咽喉に穴があいていて、その穴から呼吸しながら五年生き延びてきた。
頚部には二、三歳の小児のような涎掛けがぶらさがっていた。
癩重病患者が棲む(住む)隔離収容施設(病院)の内部は、異常であり怪奇な人間の姿が繰り広げられていた。

佐柄木は、癩病者として生きていくことへの思いを、興奮しながら尾田に語るのである。

「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。
・・・・ただ、生命だけが、ぴくぴくと生きているのです」
「廃人なんです。けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。
新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復るのです」(26頁)。


佐柄木が尾田に熱心に語ったところは、この小説の核心部分である。
癩病患者としての苦悩や絶望から抜け切れないのは、過去の自分を探し求めているからだ。
癩病に罹ってしまった自分は、
(もう)人間ではなく、「癩病に成り切る」ことで、再び人間として不死鳥の如く蘇る。
尾田は癩病を宣告され、病室に案内された後も死のうと思い松林の中に行ったものの死に切れない。
同室の重病癩者から見れば、(現在の)尾田はまだ軽症ではあるが、彼らの姿はやがて自分も同じく癩菌により体が蝕まれていく。
死への不安、苦悩、絶望を抱き、悶々としながら癩病者が棲む病院で、
初日の夜を迎えた彼は、
黙々と重病患者に対し献身的に尽くす佐柄木から、
癩病者であっても「いのちそのものなんです」「癩病者に成り切ることです」「きっと生きる道はありますよ」と話しかけられた。
尾田は、癩病者として「生きて見ること」を思いながら、夜明けを迎えた。


「苦悩、それは死ぬまでつきまとって来るでせう」(28頁)。
佐柄木は盲目になるのがわかっていても癩病者として生きている人間の「いのちそのもの」を、
新しい思想、新しい眼で捉え、書けなくなるまでペンを持つと語る言葉に、
尾田と同じくこれからどう生きていけねばらないのか考えさせられた。

癩病が進行しこの世とは思えない「人間ではない」姿になっても、それでもなお生きており、「いのちそのもの」であること
そして再び人間として生きていく癩病者の「いのちそのもの」を感じとった初めての夜、尾田にしてみればまさに『いのちの初夜』であった

318;北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(3)

2017-08-20 11:56:57 | 文学からみた介護
北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(3)
編集委員 大岡信 大谷藤郎 加賀乙彦 鶴見俊輔『ハンセン文学全集』1(小説)皓星社:北條民雄「いのちの初夜」3~28頁

(3)

重病者に献身的に尽くしている佐柄木の姿を目の当たりにしながら、
尾田は彼に親しみと同時に嫌悪を感じながら、
病室から飛び出し、病院の裏にある松林へ這入った。
枝に巻き着けた帯に首を引っ掛け死のうとする。
歩く人の足音が聞こえてきたので、
あわてて帯から首を引っ込めようとしたとたんに、
穿いていた下駄がひっくり返り危く死に損なった。
「尾田さん」と「不意に呼ぶ佐柄木の声に尾田はどきんと一つ大きな鼓動」を打ち、
危険く転びそうになる体を支えた。
佐柄木は、「死んではいけない」と咎めることもなく
「僕、失礼ですけど、すっかり見ましたよ」
「・・・・やっぱり死に切れないらしですね。ははは」(16頁)、
「止める気がしませんでしたのでじっと見ていました」(17頁)。

続けて佐柄木は優しさを含めた声で彼に話かける。
「尾田さん、僕には、あなたの気持ちがよく解る気がします。
・・・・僕がここへ来たのは五年前です。
五年前のその時の僕の気持ちを、
いや、それ以上の苦悩を、あなたは今味っていられるのです。
ほんとうにあなたの気持、よく解ります。
でも、尾田さん、きっと生きられますよ。
きっと生きる道はありますよ。
どこまで行っても人生には抜路があると思ふのです。
もっともっと自己に対して、自らの生命に謙虚になりませう」(17頁)。

彼は尾田に「癩病に成り切ること」で「生きる道」が見つかると励ましながら、
佐柄木は重病者の介護に当たるのであった。
ここでもまた佐柄木の言葉から、生きるとは、介護とは、何かを教えられるのであった。

「じょうべんがしたい」と訴える重病者の訴えに、
佐柄木は「小便だな、よしよし。
便所へ行くか、シービンにするか、どっちがいいんだ」と問いかけるのである

彼の言葉(彼の排せつケア)から、あなたは何を感じましたか。
重病者は両膝の下は足がなく、歩くことができないこともあり、
「しょうべんがしたい」と患者から訴えられたら、
何も考えずに当然の如く尿瓶をもっていき排せつ介助を行なうのが普通である。

佐柄木は相手に「便所へ行くか、シービンにするか、どっちがいいんだ」と選択肢を与え自己決定を促していることである。
援助とは何か、援助のあり方について、佐柄木を通して北條民雄は教えてくれている。
「佐柄木は馴れ切った調子で男を背負ひ、廊下へ出て行った。
背後から見ると、負はれた男は二本とも足が無く、膝小僧のあたりに繃帯らしい白いものが覗いていた」(18頁)。

「なんといふもの凄い世界だろう」。
この中で佐柄木をはじめ多くの癩病者が「生きるといふのだ」と尾田は胸に掌をあて、何もかも奪はれてしまって、唯一つ、生命だけが取り残されたのだった」(18頁)と感じるのであった

313;北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(2)

2017-08-19 05:02:09 | 文学からみた介護
北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論
編集委員 大岡信 大谷藤郎 加賀乙彦 鶴見俊輔『ハンセン文学全集』1
(小説)皓星社:北條民雄「いのちの初夜」3~28頁

              (2)
 病棟に足を踏みいれると、顔からさっと血の引くのを覚えた。
「奇怪な貌(顔)」があり、
「泥のやうに色艶が全くなく、
ちょっとつつけば膿汁が飛び出すかと思はれる程
ぶくぶく張らんで」いた(9頁)。

看護師は尾田に、同病である佐柄木を紹介され、
この方がこれからあなたの附添人であると説明を受けた。
初対面の挨拶をして間もなく彼は佐柄木に連れられて初めて重病室に入った。
そのときの光景を見た彼は驚愕してしまった。

重病室の光景は
「鼻の潰れた男や口の歪んだ女や骸骨のやうに目玉のない男などが
眼先にちらついてならなかった。
・・・・・膿がしみ込んで黄色くなった繃帯やガーゼが散らばった中で
黙々と重病人を世話している佐柄木の姿」(11頁)に、
尾田は考え込んでしまう。
尾田をベッドに就かせた後も
佐柄木は、重病者の世話(介護)を続ける。

引用が長くなってしまうが彼がどのような介護を為しているのか、紹介していきたい。
佐柄木の為す介護姿に学ぶべき多くのことを感じたからである。

「佐柄木は忙しく室内を行ったり来たりして立働いた。
手足の不自由なものには繃帯を巻いてやり、
便をとってやり、
食事の世話すらもしてやるのであった

けれどもその様子を静かに眺めていると、
彼がそれ等を真剣にやって病人達をいたはっているのではないと察せられるふしが多かった。
それかと言ってつらく当っているとは勿論思へないのであるが、
何となく傲然としているやうに見受けられた。
崩れかかった重病者の股間に首を突込んで絆創膏を貼っているやうな時でも、
決して嫌な貌を見せない彼は、
嫌な貌になるのを忘れているらしいのであった

初めて見る尾田の眼に異常な姿として映っても、
佐柄木にとっては、恐らくは日常事の小さな波の上下であらう」。

尾田が感じた重病室は異様な光景であり、
彼の附添人である佐柄木は重病室のなかで息つく暇もなく介護をしている。
重病者の介護をしている佐柄木の後姿は、
同情や憐憫の情でしているのでもなく、
重病者につらく当たり愚痴をこぼしているわけでもなく、
黙々と立働いている。
そうした介護は「日常事の小さな波」の如く普通の行為として為されている。

いま、特別養護老人ホームは、要介護5の状態の入所者が多くなってきており、
介護保険型医療施設では気管切開や胃ろう増設などの患者が占め、
佐柄木のような介護がなされているのだろうか。

依然、筆者は東京板橋区にあるT老人病院に看護助手(介護員)として
3ヶ月研修に通っていたときのことである。
老いた男性患者が四肢(両手両足)が拘縮しベッドに一日中寝ていた。
オムツ交換時のことである。
話すことができないと思っていた看護師は、
多量の軟便失禁をした彼を叱り、
拘縮した両足を力まかせに開き小言を言いなが雑に臀部を拭きオムツを取り換えたのである

彼にしてみれば凄い痛みや屈辱的な「介護」を為されても無言の抵抗で介護者を睨んだままであった(実は彼は話ができるのである)。

「崩れかかった重病者の股間に首を突込んで絆創膏を貼っているような時でも」、
佐柄木は決して患者に当たらず嫌な顔もみせなかった。
手がかかるような多量の下痢便や軟便失禁をしたとき、
つい小言を吐き、「介護してあげている」介護に陥ってはいないか、
佐柄木の介護を通し自問自答(反省)してみる必要がある。
介護とは何か・・・・

312;北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(1)

2017-08-18 10:00:08 | 文学からみた介護
北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論
編集委員 大岡信 大谷藤郎 加賀乙彦 鶴見俊輔『ハンセン文学全集』1
(小説)皓星社:北條民雄「いのちの初夜」3~28頁

北條民雄『いのちの初夜』の文庫本を手にしたのは、
高校2年生のときであった
この本を教室で読んでいたとき
『いのちの初夜』という書名を女の子に見られ
好奇な目で嘲笑された苦い体験があった
このとき、私自身なぜ北條民雄が『いのちの初夜』というタイトルにしたか
理解できないでいた。
暫くこの文庫本は、書棚に眠っていた。
老人介護の世界に入り
ふと『いのちの初夜』を思い出し手にしたのは
29年前、36歳のときであった。

(1)
 癩病(らいびょう)はハンセン病とも言われている。
癩病はどんな症状であるのか、
『いのちの初夜』(15頁)に分かりやすく書かれている。
「どれもこれも癩(くづ)れかかった人々ばかりで」
というように表現されているように、
皮膚、筋肉が癩れ(崩れ)膿汁がしみだしている状態にある。
半年前に癩病であることを医師から宣告を受けた尾田高雄は、
ぽくぽくと歩きながら病院(隔離収容施設)へ向かう。
その途上で彼は
「一体俺は死にたいのだらうか、
生きたいのだらうか、
俺に死ぬ気が本当にあるのだらうか、
ないだらうか」
と自ら質(ただ)して見るのだが、
決心がつかないまま(4頁)、

病院の正門をくぐってしまう。
診察を受けた後、
看護師の風呂場に連れて行かれ、そこでは「消毒しますから・・・」
と言われ、
脱衣室とは口にも言えず、
「脱衣籠もなく、唯、片隅に薄汚い蓙(ござ)が一枚敷かれてあるきりで」(8頁)、
尾田は激しい怒りと悲しみを覚えた。
消毒液が入った浴槽から出た後、
棒縞の着物を着せられ
「なんといふ見すぼらしく滑稽な姿」
に苦笑している間もなく、
所持していたお金は病院内だけしか通用しない金券に交換されてしまった。
「親爪をもぎとられた蟹のように」なった自分の惨めさであり、
そこは監獄のような地獄のような世界であった

303;ぼけた脳を洗濯してみる

2017-08-15 19:13:33 | 文学からみた介護
ぼけた脳を洗濯してみる 
川端康成『山の音』新潮文庫


長男の嫁菊子に語り掛ける。
わたしはね、このごろ頭がひどくぼやけたせいで、日まわりを見ても、頭のことを考えるらしいな。
あの花のように頭がきれいにならんかね。
さっき電車のなかでも、頭だけ洗濯か修繕かに出せん物ものかしらと考えたんだよ。
首をちょんぎって、というと荒っぽいが、頭をちょっと胴からはずして、洗濯ものみたいに、はい、これ頼みますよと言って、大学病院へでも預けられんものかね。
病院で脳を洗ったり、悪いところを修繕したりしているあいだに、三日でも一週間でも、胴はぐっすり寝てるのさ。
寝返りもしないで、夢もみないでね。」(32頁)


『山の音』は、昭和29年に出版された作品である。
尾形真吾は62歳、物忘れの症状がではじめてきている。

「真吾は失われてゆく人生を感じるかのようであった。」(7頁)
この小説の感想は省くとするが、
昭和20年代は50歳から60歳で亡くなっていた時代である。
小説の冒頭に登場する真吾は、ぼけてきたことに不安、悩みを、面白い発想で表現されている。
ぼけた頭を、胴体から外し、洗濯ものみたいに脳を洗い、修繕(治療)していく。
ぼけは、昔からあったが、いまほど社会問題とはなってはいなかった。

73;紅葉と老人

2017-05-06 01:09:12 | 文学からみた介護
桜デイサービスセンターの庭に咲いた花
ご訪問いただき、ありがとうございます 

新緑の季節なのに
今日のブログは紅葉の話も登場します

『葉っぱのフレディ』(レオ・バスカーリア作 あらい なな訳)は、
子どもから大人まで読める絵本で、
紅葉の季節になるとこの絵本が頭に浮かんできます。
葉っぱのフレディにダニエルは話す。
「生まれたときは同じ色でも、
いる場所がちがえば太陽に向かう角度がちがう。
風の通り具合もちがう。
月の光、星明かり、
一日の気温、
なにひとつ同じ条件はないんだ。
だから黄色や赤になど、
みんなちがう色に変わってしまうのさ」。

紅葉はみんな色がちがう。
老人の顔も歩き方もちがうように、
樹の葉っぱも老人も同じだ。
人それぞれ、
葉っぱもそれぞれであり、
個性がある。
『葉っぱのフレディ』の副題に
「いのちの旅」がつけられています。
いのちは循環します。
“わたしたちはどこから来て、どこへ行くのだろう。
生きるとはどういうことだろう。
死とは何だろう。
人は生きているかぎりこうした問いを問いつづけます”
(童話屋 編集長 田中和雄)。


在宅や介護施設で生活されている老人のなかに、
生きる望みを捨てて死を待つ老人もいます。
一方では、病み老いても限りあるいのちを自覚しながら
生きている老人もいます。
背後から死が忍び寄り 
いつ死が訪れるのか 
その不安を抱きながら生きている老人もいます。
老人の死をを見送る家人の不安や葛藤もあります。

紅葉は最期に枯葉となって
「孤独の寂しさのなかへ落ちていく・・・
けれどもただひとり
この落下を限りなくやさしく
両手で受け止めて下さる方がいる」(リルケ『形象集』より“Herbst”山形孝夫訳)。

人は、老い、病み、
そして誰もがまだ経験しない死後の世界に不安と恐れを持つ。
死への不安を「やさしく両手で受け止める」役を背負うのは、
在宅介護者であったり、
介護従事者であったり
微力ながら私であったりします。

67;エトルリアの涙壺

2017-05-03 18:18:18 | 文学からみた介護
ご訪問いただき、ありがとうございます 
阿武隈川が流れる流域では 田んぼに水を張り まもなく田植えが始まる

古代イタリアのその国では 
だれの家にも陶製の小振り壺があった
人に言えない辛さや寂しさの涙を
この壺に密かに注ぐ
それは「エトルリアの涙壺」と言われていた
お蔭で、エトルリアの人々はいつも元気で 
朗らかだったそうです

先日 道尾秀介著『光媒の花』(集英社文庫 2012、10、25発行)のなかの
「第1章 隠れ鬼」という連作短編小説を読んだ
母の認知症は「日向(ひなた)に落とした飴玉のように、ゆっくりと溶けていった」(12㌻)
という表現は流石(さすが)作家だなと感心した
認知症の母とひっそり暮らす息子の心情を描く
「いつか母が死に、自分が死んだら、父の遺したこの店(いえ)はどうなるのだろうか」(15㌻)
老いた母親と老いの門をくぐり始めた息子との二人暮らしは
高齢社会を垣間(かいま)見る思いであった


燕(つばめ)が低く飛ぶと
雨になると言われている