老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1323;介護の苦労

2019-12-20 07:20:47 | 老いの光影 第5章
介護の苦労

在宅訪問時に「入院する」ことを伝え
入院前に在宅訪問を終えた。

一昨日智恵婆さんの長男から電話が入った。
「急性心不全で救急搬送され入院した」

12月の上旬頃から胸痛、不整脈の症状がみられていた
デイサービスからも報告を受け
長男にも早く受診するよう話をしていたのだが
本人が胸の苦しみをひどくなり
長男は慌ててかかりつけ医に受診するも
患者が混んでいて20番目だった。

彼女は座ることもままならず
救急車を呼び市内の総合病院入院となった
心臓にも肺にも水が溜まっていた、と医師より話され
2週間ほどの入院となった。

長男は「急にこんなに悪くなるはずはない」と
デイサービスで気がつかなかったばかりの勢い。
普段介護にかかわっていない家族ほど、
何かあるとサービス事業所のせいにする

よく介護をされている家族は
介護の苦労を知っているからこそ
例え事業所でミスがあっても
「家の爺さん(婆さん)大変だからわかります。気にしなくていいですよ」と
ミスを許してくれる。
家族の言葉に甘えてはいけないのだが、ミスにも許されるミスと許されないミスがある。


同じ屋根の下に住み、智恵婆さんは2間の隠居部屋で暮らしている。
認知症の症状はあります、と話しても
長男は要介護度が軽くなった(要介護認定5から3、そして今回要介護2になった)から
認知症は治った。
かかりつけ医からも「認知症はない」と言われた。

長男から報告を受け
入院先の地域医療連携室に電話を入れ
担当ケースワーカーに自分が担当ケアマネジャーであることを告げた。
昨日 智恵婆さんの「入院時情報提供書」を書き
病院のコンビニからFAXを流した。




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1290; 「死にたい〜」

2019-11-21 09:56:29 | 老いの光影 第5章
「死にたい〜」

病院定期受診に向かう朝の風景


自分が「死にたい」のではなく
昨日在宅訪問した大正14年生まれの婆さん
息子につ付き添われ町医者に受診する

40才半ば過ぎの医師に向かい
明子婆さんは、「先生〜、死にたい〜」と呻るような言葉で話す
先生は苦笑するだけ

明子婆さんは続けて
「吐き気がする、頭が痛い、食欲がない」などと
症状を続け様に訴える

老母の顔を見ると
息子は口喧嘩になる
「死にたい」と言いながら医者にかかっている

「死にたい」は枕言葉で
本当は「生きたい〜」。
明子婆さんは日付け曜日もわからない

親子喧嘩しながらも
息子は毎朝、その日の薬を隠居宅に届けてくれる


自分は今日
定期受診で自治医科大学附属病院腎臓外科に来ている
いま循環器科、皮膚科、感染症科の診察も受け
師走10日以降に
一ヶ月以上の入院となる予定


在宅の爺さん婆さんのことを考えると
「入院はしたくない〜」と叫びたいのだが
入院するしかない

健康がいちばん
多病息災の我が躰
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1283;”もったいない”の世代

2019-11-14 17:21:12 | 老いの光影 第5章
”もったいない”の世代

大正、昭和一桁 に生れた老人たちは
”もったいない”精神が根づいている

物が溢れ、物を大切にしない風潮にある現代社会

デイサービスや在宅を訪問したとき
齢85歳を越える老人たちの”もったいない”精神に
笑うに笑えず 無言のまま過ぎ去ってしまう

もったいないは、下(排せつ)」に見られる。

女性老人に多い
用を済ませ、拭いたトイレットペーパーを
几帳面にたたみ洋服やズボンのポケットにしまう
食後に何気なくポケットからトイレットペーパーを取り出し口を拭く

在宅で日中 ひとり暮らしをしている老人
これは女性だけでなく男性も
尿失禁をした紙おむつ、紙パンツ、尿取りパットを部屋に干している
部屋中、言葉では表現できない尿臭がただよっている

乾いたら翌日それを穿きデイサービスに行く
乾いたとはいえ、尿臭は消えていない

もったいないも
ここまでくると大変
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1274;昔の石油ストーブは危険がいっぱい(再掲)

2019-11-07 20:00:22 | 老いの光影 第5章
yahooの画像より引用


昔の石油ストーブは危険がいっぱい(一部書き直しをしています)

「アクセスされたブログ」や「このブログの人気記事」に
『昔の石油ストーブは危険がいっぱい』の記事が 静かに読まれている(嬉しいかぎりである)
枯葉散る頃 寒くなり、暖房器具が恋人にように愛しく、暖房器具から離れることができなくなる
しかし 昔の石油スターブは 使い勝手がよく 温もりを感じるのだが・・・・


在宅訪問に行くと
俗に言う昔タイプの石油ストーブが
赤々と点いている
85歳以上のひとり暮らし老人や老夫婦暮らしでは
よく使われている

いまどきの温風ヒーターに比べ
石油ストーブは多機能の特徴性をもっており
便利なのだ

ストーブの上に「やかん」を乗せ
お湯を沸かすことができるし
湯気がでるので、加湿器の働きもする

味噌汁鍋や煮物が入った鍋を乗せたりして
煮炊きもできるのが最高

暮れから正月になると
網をのせ餅を焼いたりする

このように確かに便利であり
重宝がられている一方で
危険も隣り合わせにある


やかんなどが乗っていると
危険がいっぱい
心配が重なってしまう。

足元がふらついたとき
やかんのとってに手が触れ
やかんがひっくり返ったとき
熱湯で火傷! 
その場面を想像してしまうと
いてもたってもいられない

老人につい苦言してしまう
「できればやかんは乗せないほうがいいんだけどなあ~」
でも、その一言で終わってしまう

やかんを乗せなければ、乗せないで別の心配が出てくる
ふらついたときにストーブの熱い天板(上面)に手が着いてしまう
(人間の癖でバランスを崩したとき転ぶのを防ごうと手を着く習性がある)
これもまた大火傷の事故

火傷防止するということで金網で囲いをすると
ないよりは安全だが、それを手すり代わりにつかまると
囲いごと倒れ火傷,骨折の心配は残る

また囲いに洗濯した衣類をかけ
洗濯干しをする老人もいる
これもまた、火災の心配をしてしまう

温風ヒーターの方が危険のリスクはぐ~んと減る
「温風ヒーターに変えた方がいいな~」とは、老人には言えない

息子、娘たちが、ときどき実家を訪れたり、帰省したときに
息子、娘たちは、半ば強引に温風ヒーターを置き
旧式の石油ストーブを引き上げ、持ち返るくらいでないと
昔の石油ストーブは茶の間からは消えない


冬のニュース
それも毎年正月のニュースでは
火事で老人は焼死体として発見され、痛ましい事故に遭遇する
石油ストーブが出火原因であったりする

ひとり暮らしの老人が
石油タンクに灯油を入れるのは
本当に危なっかしい
こぼしたり溢れたり
またストーブを点けたまま灯油を入れたり
想像つかないようなことをしている

在宅訪問のときは
灯油が半分以下になっていたら
おせっかいやきになるが
灯油を入れて帰る

またデイサービスや訪問介護の事業所で協力を頂けるところは
送迎(送ったとき)時や訪問時に灯油の残量を確認し
少ないときは入れて頂いていいる

寒いと人間は 心がわびしく寂しくなるものだ
寒さと飢えほど残酷で辛すぎる
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1268; 化粧するあなたの姿

2019-11-03 15:02:54 | 老いの光影 第5章
化粧をするあなたの姿

化粧をする君の
その背中がとても
小さく見えて

イルカの『雨の物語』の一節
化粧をするあなたの後ろ姿
寂しさを感じる

女性にとり
化粧は命なのかもしれない
それ以上に自分を美しく魅せる


眠りについたご遺体
ふくみ綿を頬に入れ
ふくよかな顔に復元させ
最後の化粧を施す納棺師(おくりびと)

言葉をかければ
いまにも眼を開け返事が返ってくるのでは、と・・・・


お通夜の翌日は
薄日射す秋の朝


火葬場での釜の扉が閉まる音は冷たく響く
ほんとうにこれでサタおばちゃん(111歳)とお別れとなる
顔も躰も眼にすることもできない
白い煙となって青い空へ消えて逝く

こころのなかでは
「ありがとう」「おつかれさま」と、つぶやく



100歳近くまで結城紬の糸取りをしていた

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1263;長男が味噌汁を作ってくれたことが 一番うれしかった

2019-10-30 06:35:31 | 老いの光影 第5章
長男が味噌汁を作ってくれたことが 一番うれしかった


サタおばちゃんが話してくれたこと

 私は、108歳の頃まで
汗が流れるほど暑い夏の季節であっても、木枯らしが吹く寒い冬の季節であっても、
毎日欠かさずシルバーカーを押しながら1時間余り散歩することを楽しみにしてきた。

私は、明治41年10月22日、茨城県(旧)下館市五所村に生まれました。
子どもの頃は、弟たちを背負い、着物と下駄で尋常小学校に通ったこともありました。
尋常小学校4年の2学期まで通いました。
その後17歳まで家事手伝い、18歳から農業を行ってきました。

19歳のときに安達善一のもとに嫁ぎ、農業に従事しました。
結婚後、1男5女の子宝に恵まれ幸せでした。

夫にも赤紙(召集令状)が届き、戦地に赴き(おもむき)ました。
留守を任されていた私の心は、いつも夫のことが心配であり無事を祈っていました。
しかし、南シナ海で敵の攻撃に遭い、昭和18年1月14日還らぬ人となり、目が真っ暗になりました。

これから女手一つで、上は13歳、下は父親の顔を見たこともない乳飲み子まで、
6人の子どもを育てなくてはならなかったのです。

それこそ毎日、朝から晩まで脇目もふらず必死に畑仕事をしてきました。
それでも何とか食べていける程度でした。
何より毎日畑に出なくてはならなかった私は、
子どもたちと出かけることは一度もできず、
本当に申し訳なく悔しかったことを覚えています。

ある冬の日のことです。
公用でどうしても役場に行かなくてはならず、用を済ませて家に帰ってきた私に、
長男が「母ちゃん、寒かったろう~」と、普段したこともない料理をして、お汁を作ってくれていたのです。
本当にうれしく泪(なみだ)がこぼれました。

日頃どんなに疲れていても子どもたちの笑顔をみると、
疲れは一瞬で吹き飛んでしまい、
長年頑張ることができました。
本当に子どもたちは私の大切な宝です。

生きてきたなかで一番思い悩んだのは、5人の娘たちのことでした。
恋愛結婚ならば、娘が自分で「良い男性(ひと)だと思って嫁ぐからよいのだが、
見合い結婚した娘の方が心配でした。
夫が傍にいれば相談もできたのだが、「あれでよかったかどうか悩んだ」こともありました。

どの娘の夫もアル中でもなく、夫婦円満に暮らしてきたので本当によかった、と思います。

現在、一番頭の長女は89歳、末っ子の五女(妻の母親)は76歳になります。
夫の月命日14日には、子どもたちそれぞれが、思い思いの手料理を持ち寄りながら実家に里帰りをしてくれます。
私を囲みながら賑やかに話をしたり食事をしたりなど楽しく過ごしてきました。
どの子どもも親孝行で、本当にありがたく思います。

長生きの秘訣は、腹八分ではなく腹七分、
のん気な気持ちで、いつまでもくよくよしないこと、
早寝早起きの生活(規則正しい生活)をしてきたことかな。 

昭和20年代後半の自転車は、現代でいうならば自動車のかわりでありました。
自転車があると実用性があって便利だったけれども、ケガをしたら大変だから乗りませんでした。

父親の役目もあり大黒柱だから、人生 自分の足で歩いてきたことが良かったのかな。
事故にも遭遇せず、今日まで生きて来れたことに「感謝」の一言です。
孫13人、曾孫23人、玄孫(やしゃご)11人います。      
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1254; 続 また明日・・・

2019-10-25 01:14:37 | 老いの光影 第5章
自治医大附属病院正面入口


続 また明日・・・

秋風が啼いている
時計は0時を過ぎ日捲りが破られた
昨日の事となった

自治医大附属病院外来受診のあと
サタおばちゃんの病室に寄った
額に手を当てると熱く
39.5℃の超高熱であった

食事摂取量の記録をみても
昨日の朝からほとんど摂っていなく
手指に浮腫や踵に鬱血の症状が見られてきた
心配になってきた・・・・

頑張って生きてきたサタおばちゃん
もうこれ以上頑張ってとは言えない

“また明日”ね、と呟きながら・・・・
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1253; また明日・・・・

2019-10-24 08:26:11 | 老いの光影 第5章
ひと月前の那須高原の風景 在宅訪問の帰途


また明日・・・・

“また明日”ね、と交わす言葉

ランドセルを背負った子どもの頃
昔は、寄り路が多く遊び歩いていた
秋になると
路端にランドセルを放り投げ

雑木林に足を踏み入れ
山葡萄、山栗、こくわの実等を食べ 遊び呆けた
別れ路に来ると
“また明日”ね、と手を振り
夕暮れのなか家路に向かった


東京で暮らしていたときのこと
渋谷、新宿、池袋などで
同僚と酒を飲んだ後
わびしく終電車に乗る

電車のドアが開くたびに
“また明日”ね、と
恋人たちが手を振る


111歳を迎えた翌日
サタおばちゃんの病室を訪れた
体調が悪く38.3℃の熱発
肩で呼吸していて苦しそうな表情

“おばちゃん”と呼びかけるwifeの言葉に反応してくれた
細い眼をあけ見渡し
誰の聲なのか、と様子を探る
末娘(五女、wifeの母親)とwifeは近寄り
痩せ細ったおばちゃんの手指を握る

できることなら熱が下がるまで傍に居たいけど
帰り際、“また明日来るね”、と聲をかける

サタさんは、また明日来るねの言葉に深く頷く

サタさんにとって
明日を迎える時間は
長〜く 暗闇のトンネルのなかで待つような気持ちなのかな、と
想ってしまう自分にも

サタさんは、何かを伝えようと
聲ならぬ言葉を発してくれた
彼女の言葉の意味を聴き取ることはできなかった
腎臓外科外来受診を終えたあと
サタおばちゃんの病室に寄り路をしよう、と思っている

(自治医科大学附属病院腎臓外科外来待合室で記す)


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1249; 生命を削るように……

2019-10-23 04:49:22 | 老いの光影 第5章
111歳を迎えた“おばちゃん” 言葉をかける一番下の孫は45歳


生命(いのち)を削るように生きる

微熱の繰り返し
誤嚥性肺炎の心配
ペースト食になり
自分で食べたり介助を受けたり

一年前の秋頃であろうか
療養型病床病棟に入所となった

年を越せるか
桜の花が観れるか
新しい年号 令和元年を迎えられるか
心配をしてきた

そして
今日 令和元年10月22日
111歳を迎えた

健脚であった脚は
拘縮し痛々しく感じるけれど
老いた子どもたちや孫たちの訪れを待っている

そのときの調子で
眠り姫のように眠った状態のときもある
調子がよいときは
“気をつけて帰ってね”と気遣う言葉

これから晩秋を迎え
Xmas、そして除夜の鐘を聴けるかは わからない
いま食べること 呼吸すること 眠ること
生命を削るような感じで生きている

残された時間
残された生命
砂時計のよう

“使命”という言葉
ふと、思い浮かんだ

使命とは、生命を使う
生命を使う
それは生命を削ること

生命を削る物語
夕鶴を思い出した

残された時間
自分は何に生命を削り使うか
反省しきり


帰り路 鬼怒川橋から虹が見えた

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1218;ショックなのは

2019-08-21 20:34:29 | 老いの光影 第5章
ショックなのは

さくらさくらデイサービスでの会話の一コマ

大川文乃婆さんは
もう少し南瓜(かぼちゃ)を収穫し
食べようと思っていたら
猪が南瓜畑を荒らし回り
南瓜を食べてしまった

自分の姉を亡くしたことよりも
猪に南瓜を食べられたことの方が
ショックで悲しかった

実の姉が亡くなったことよりも悲しいのは、何故、と聴きかえすと
彼女は、姉は年だから亡くなった
南瓜は食べようと楽しみにしてことを奪われたから
余計に悲しかった
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1211;退院した歩惟婆さん

2019-07-23 04:37:51 | 老いの光影 第5章
退院した歩惟婆さん

昨日、南陸奥総合病院5階東病棟から退院した

咳嗽(がいそう、咳)、痰貯留、胎動困難、肺雑音、発熱、と主症状が「退院情報記録書」に記載されてあった。
主病名は、ウィルス性気管支炎

歩惟婆さんも自分と同じく多疾患持ちである
高血圧症、心不全、高脂血症、骨粗鬆症。右副腎腺腫、子宮癌の既往歴がある

チョッと硬い言葉が続いたが

家に着く頃を見計らい在宅訪問をし
歩惟婆さんに「おかえりなさい」と言葉をかける
彼女はにこっと笑い「家がやっぱりいいね」と呟く

自分より1歳下の次男 千明さんは
昨年の5月 歩惟婆さんを訪問した帰り路
松戸駅を降りたところで脳出血のため左半身不全麻痺の障がいを負った
懸命にリハビリに取り組み、杖歩行までできるまでに快復した

次男の足が遠のいたことで、歩惟婆さんの物忘れが始まった

一人で新幹線に乗り、南陸奥にある実家に帰ってきた
1年ぶりに老母との再会

自分にとり、次男さんとの初めての出会い
先週の土曜日に来て、今週の木曜日まで滞在する

松戸に帰るまでには、もう一度訪問し次男さんと話が出来れば、と思っている

歩惟さんにとり 親子水入らずの夜を迎える



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1208 ; 何処で暮らすかは、自分が決める

2019-07-20 05:01:22 | 老いの光影 第5章
何処で暮らすかは、自分が決める

先日、救急で搬送されたあい婆さん
退院許可が出た

妹夫婦は、「夜、一人でいることが心配、施設入所しかない」
介護施設に入所できれば安心

それは誰にとっての安心してなのかな、と
一人暮らしよりは、介護施設で過ごす方が
「安全」を得るが、失うものもまた大きい

魚には申し訳ないけど
腐った魚のような目になり、 認知症が進む
介護施設の入所
人それぞれで
幸福な老人もいれば不幸な老人もいる

問題は
当の本人が
住み慣れた家で暮らしたいのか
介護施設を選ぶのか
またはサービス付き高齢者住宅にするのか
それは本人が決めることである

最期の生きる場所を変えるということは
この世に生まれて来るよりも
困難なことである
大勢のみず知らずの他人と出会い、そこで暮らすことになる
なによりも「自由」な時空間が奪われることである
自由な時空間は自分らしさを創ってくれる





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1204;救急搬送

2019-07-16 03:24:09 | 老いの光影 第5章
救急搬送

93になる一人暮らしの歩惟婆さん
救急車に搬送され 21時過ぎ南陸奥総合病院に入院となり
ほっとした。

16時過ぎさくらデイサービスセンターから電話が入る。
朝、ヘルパーが訪れたとき 体調が悪く咳込んでいた。
炬燵の上には市販薬パブロンがあり、服用した殻があった。
風邪だと自己判断しパブロンのような市販薬を服用するのは危険
彼女は心疾患もあるだけに余計に心配である

体調不良の独居老人を「一人」にしてはおけない
さくらデイサービスに連れていき、静養室で様子観察をしながら
状態によっては救急車を呼び救急外来受診させるしかない
デイサービスに到着したときは 37,3の微熱
食欲はあり完食され、水分も摂られ まずはホッとした

16時頃熱は 38,3度まで上がり
自宅に送り ヘルパーに通院等乗降介助と通院付添をお願いしたが
手が回らず ヘルパーによる支援は無理となった

自分も歩惟婆さんの家に駆けつける
さくらデイサービスセンター長が居て世話(ケア)をしていた
38,8度の熱があり、足はこてこてで歩くことができない
このまま夜 ひとりで自宅に置くことはできないし

肝心の医療保険証がない騒ぎ
いつもは本人のカバンにあるのだが、「ない」
5つある引き出しを探すが見つからない
もう一度カバンのなかを見てみると 今度は「あった」

トイレに行きたいと訴える
歩くことはできない
這いながらトイレまで何とか辿り着き用を足す
こんなとき 男性のケアマネジャーは「用足らず」
女性センター長がいたので助かった

医療保険証と南陸奥総合病院の診察券があったので
救急車を呼ぶ
5分後には到着
10分程度で南陸奥総合病院の受入がOKとなり
ピ~ポ~、ピ~ポ~と鳴らしながら救急車は走る

自分もその後を着いてゆくが
赤の信号を走る訳には行かず一時停止
病院には13分程度で到着

二つ先の隣り町に住む妹夫婦にも電話連絡を入れた
病院にか駆けつけてくれ、経過をを説明する

祭日の病院は
平日に比べスタッフの数は少ない
どうしてだか日曜とか祭日の夕方は
急患が多い

日曜、祭日は急患を受け入れてくれない
今日はラッキーだった
救急搬送を受け入れてくれるべたランの斎藤医師
歩惟婆さんが独居であり一人ではおけず
入院をお願いしたところ快く手配をしてくれた

採血などの検査結果待ちと他の急患診察もあり
入院が決まるまで3時間を要した

今日、歩惟さんの入院時情報提供書を作成し
病院に届け、歩惟婆さんの顔を見るとしよう

認知症がありながらも
ヘルパーやデイサービスを利用しながら
こうしてひとりで
暮らしている
凄いな~と思う

ぎりぎりまで一人暮らしができるよう
本人の気持ちに応えていきたい

要介護1の認定を受けているが
認知症状が進み要介護認定区分変更の申請を行い、認定審査結果待ち












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1188;老人同士の会話

2019-07-03 21:01:43 | 老いの光影 第5章
老人同士の笑える会話


爺さん/ 心臓が悪いからペースメーカが入っている(植込みをしている)

婆さん/ それってヘルスメーカー(正しくはヘルスメーター)のことかい

爺さん/ ヘルスメーターなんかでかくて、体に入らないよ

婆さん/ ・・・・・

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1185;水を飲め、飲め、と言われても

2019-07-02 07:13:38 | 老いの光影 第5章
水を飲め、飲め、と言われても

梅雨の時期であっても老人は熱中症に罹りやすい

95歳のイチヨ婆さんは、隠居宅に暮らし
同敷地内別棟に長男夫婦宅がある。

長男夫婦との日常的な交流はあり
様子を見にきたりおかずを運んでくれたりしている。

「水を飲め、飲めと言われても、ひとりだと、なかなかお茶を飲む気になれない」
そう話す彼女。


85歳の藍子婆さんは、一人暮らし。
訪問をすると部屋は閉め切ったまま、むんむんしている。
本人に断り、台所の窓と居間の引き戸を開け、風の路をつくった。
彼女は、お茶を入れてくれた。
誰かがいると、一緒にお茶などを飲んだりできるのだが・・・・

水分不足も手伝い便秘に悩んでいる彼女。
翌日さくらデイサービスを訪れ、彼女はスッキリした顔をしていた。

ウンチが出たので笑顔
彼女に「お金は貯めても、ウンチは溜めないほうがいいよ」
と話しかけると、笑ってくれた。

熱中症にならないか
水を摂らない老人が心配

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