老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

502;老いの風景〔6〕「ありがとう」

2017-10-31 22:16:35 | 老いの光影
老いの風景〔6〕「ありがとう」

芦野朋子は、心不全 糖尿病 腎不全などの疾病を抱え
心臓に水が溜まり意識が朦朧とし
今年の桜の花を見ることなく緊急車で搬送され入院となった。
入院時は意識が朦朧とし30日余り続いた。
いままではかろうじて立ち上がり、立位保持ができていたことから
長男の介助によりトイレで排せつを行っていた。
6月30日に退院するときには
下肢や体幹の筋力は萎え
寝がえりをうつこともできなくなった。

入院中、彼女は「家に帰りたい。帰れなければ死ぬ」としきりに訴え、
ときには興奮したりしていた。
彼女はいま81歳。
長男夫婦はパン職人で、パン店を営んでいた。
薬価7万円もする利尿剤を服用してたため
退院後、老人保健施設の入所は困難と断られた。
いままで介護サービスで利用していた
特別養護老人ホームのショートを利用することになった。
月に2週間ショートを2回利用し、
ショートとショートの間に2泊3日自宅外泊を行った。
介護施設の生活が主となった。
2週間のショート ⇒ 2泊3日の外泊 ⇒ 2週間のショート ⇒ 2泊3日の外泊
2泊3日の外泊時に訪問看護 施設ショート利用中に訪問診療のサービスを調整し実施。
心不全、糖尿病(インスリン注射)の健康管理を必要とした。

飲み込みは悪くなりペースト食。
本人はもう長男夫婦と住んでいた家に帰ることは難しくなったことがわかり
地元の特別養護老人ホームでショートの繰り返しにより
そこで生活することに暗黙のうちに同意された。

彼女は、食べること以外の行為はすべて全介助。
いままで、長男(41歳)は、自営業をしながら、おむつ交換などの介助を行ってきた。
朋子さんは、月に2回2泊3日の外泊ができるとは思っていなかっただけに、
家に帰れる日があることは、本当に嬉しかった。
彼女の両親、祖父母は商店を営み、農民相手に貸し付けも行っていた。
彼女は一人娘であり、何不自由しない生活を過ごされ、婿養子をもらった。
80年余り、いまの家に生れ生活してきた。
その家から離れて生活することは考えられなかった彼女。

寝返りもできず、食事はペーストになり
家に帰ることを諦めた。
他者の手を借りなければ生きていけないことを
施設生活のなかで感じとった彼女。
2泊3日の外泊時
おむつ交換をする長男に
「ありがとう」と呟いた。
長男夫婦は、8年間の在宅介護を通し
母からのはじめての「ありがとう」の言葉。
思わず泪が出てしまった、と在宅訪問のとき話してくれた。



501;星屑

2017-10-31 04:04:56 | 老いびとの聲
星屑  

星屑は 夜空に散らばり光る無数の星 
塵屑は 本当に不要になった物 役に立たない物
人間の屑は 存在を否定された「人間」 


「人間の屑」と罵倒されたとき 
返す言葉も無く 
気持ちは沈みに落ちた


パン屑は 鳩が喜び集まる
鉄屑は 価値があり再生され使われ役に立つ


屑と呼ばれた過去があっても 
生命ある限り 
存在する限り
意味のないことは無い
「本当に生きた」と
最期に思えるよう
星屑に約束した
 
     

500;blogはもうひとりの自分

2017-10-30 08:07:30 | 老い楽の詩
blogで掲載した写真のなかで、自分では一番気に入っている風景
”貧乏草”と嫌われるハルジオンの野花が好き

2017(平成29)年4月9日に始まったblog『老い楽の詩』は
500回を迎えることになった。
皆様の訪問と励ましや温かいのコメントのお蔭で、
継続することができました。
感謝の言葉に尽きます。
「本当にありがとうございます」
「今後もよろしくお願いします」


#1のblogから
” あれから四十数年、時間が流れ去り
白髪混じりの頭髪になった。

我が身もやがて老いを向かえる身となり
日々老人介護に従事させて頂き
脳卒中などの病気で手足はままならず
杖を頼りにふらつきながら歩いている老人。
チョッと前に桜の花を観てきたことも忘れ、
自分は何をしようとしたかもわからなくなった老人。

要介護老人達に囲まれ
我が身の老いと重ね合わせ
在宅介護のなかに垣間見る「老いの風景」を描き
生きること老いること死することの意味を
考えてみた ”



もうひとりの自分との対話でもあると同時に
自分の内なる心の叫びや思い(想い)を
誰かに話し(伝え)たくて 『老い楽の詩』を書き始めた。
「アクセスされたページ」をクリックし
思いもかけない若い数字が目に飛び込み
その数字をクリックしてみる
こんなことを思っていたのか、と
懐かしさと未熟さを感じてしまうことも多々ある。
blogを通し
もうひとり自分の他に
顔の見えないあなたとの対話から
見えない自分を知るきっかけにもなる。
その反面blogの世界は逃避の麻薬を持ち合わせているので自戒せねば・・・・。


499;上手な介護サービスの活用処方 第29話「認定調査の項目」 〔27〕 短期記憶

2017-10-30 02:52:41 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第29話「認定調査の項目」 〔27 
3-4 短期記憶(能力)


ここでいう「短期記憶」とは、面接調査日の調査直前にしていたことについて、認定調査員から質問され、短期記憶の能力を評価する。

1.できる
2.できない

1.質問されたことについて、ほぼ正確な回答ができる場合をいう。
2.質問されたことについて正しく回答できない、あるいは、まったく回答できない場合をいう。
  回答の正誤が確認できない場合も含まれる。


上記の質問で確認が難しい場合は、「ペン」、「時計」、「本」を見せて、何があるか復唱をさせ、
これから3つの物を隠し、何がなくなったかを問うので覚えて置くように指示する。
5分以上してからこれらの物のうち2つを提示し、提示されていないものについて答えられたかで「できる」「できない」を選択する


調査当日の昼食で何を食べたかまで答えることはできた。
しかし、家族の話では、日頃は物忘れがひどく、直前のことまで覚えていないことがある、と家族から話があったときは、「できない」を選択する。



3-4の「短期記憶」の調査項目は、家族からの聴き取りによる判断が多い。
勿論の調査直前何をされていたかを問うこともするが、短期記憶があることの事実を具体的に認定調査員に話されることが大切。
一人暮らしの場合は、同居されていない家族が立ち会ったとき、短期記憶のことが把握しにくいときは、
デイサービスのスタッフやヘルパーなどにサービス利用時の短期記憶の有無を聞いておくとよいでしょう。
同じことを何回も聞き直したり、いま話した内容も忘れたり、いま食べたことも忘れたりしていると短期記憶障害があります。

498;雨の日曜日

2017-10-29 15:56:11 | 春夏秋冬
雨の日曜日 

今週の日曜日も雨
シトシトよりも雨足の音がする
家の窓から見える桜の樹は
枯葉になり
雨風に引き摺られまいと
必死に枝に纏わりついている
O・ヘンリーの『最後の一葉』を思い出す

雨風で枝から引きちぎられた枯葉は
雨で濡れたアスファルトに落ちた
枯葉は濡れ落ち葉となり
アスファルトにベッタリと張り付き
北風が吹いてても剥がれない
樋口恵子は、定年退職した夫のことを
濡れ落ち葉と呼んでいる
嫌な言葉である

季節外れの台風がまたやって来る
迷惑な話である
空き地の窪みに雨水が溜まると
小さな沼になる
大きな雨滴が落ちると
水面は波紋となり模様が動く

我家の一人息子beagle・genkiにとり
雨振りは恨めしく ストレス模様
毛皮のコートが濡れるのが嫌で散歩はしないgenki
台風21号が通過した後の朝 空は晴れ 
雪が降ったときのような喜びで
玄関ドアを開けた途端に飛び出して行った
リードがぴ~ンと張り詰め吾輩はつんのめり転びそうになった

雨なので妻はつまらなそう
お昼前にまつ毛パーマに行くと言い出し
アッシー君にされ
ラパン・ショコラで送り迎え
相変わらず雨は降り続け
車の屋根に雨足の音が響く
のど自慢を聴きながら
『ナミヤ雑貨の奇蹟』を読み
パーマ屋の前で妻を待つ

雨は止みそうもない日曜日
隣りでgenkiはふて寝

雪ならばこの世の汚れた物を
覆い隠し白銀の世界となる
雨ならばこの世の汚れた物を
洗い流してくれるのであろうか
秋雨は暮色となり
私の心を孤独のなかに包み込む

497;死ぬことより老いてゆくほうが難しい

2017-10-29 11:07:45 | 老いの光影
死ぬことより老いてゆくほうが難しい 

「死」の経験はしていないので
「死」はどんなものか実感でき得ないけど
「死ぬ」ことより
「老いてゆく」ことのほうが難しい
老いの風景から
そんなことを感じる

496;上手な介護サービスの活用処方 第28話「認定調査の項目」 〔26〕 生年月日や年齢を言う

2017-10-29 05:03:16 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第28話「認定調査の項目」 〔26
3-3 生年月日や年齢を言う

ここでいう「生年月日や年齢を言う」とは、生年月日か年齢かのいずれか一方を答えることができることである

1.できる
2.できない

1.質問されたことについて、ほぼ正確な回答ができる場合をいう。
2.質問されたことについて正しく回答できない、あるいは、まったく回答できない場合をいう。
  回答の正誤が確認できない場合も含まれる。


・実際の生年月日と数日間のずれであれば、「できる」になる。
・年齢は、2歳までの誤差で答えることができれば、「できる」になる。


 認定調査をして実際に疑問に感じていることがある。
それは認知症が進んでいても、年齢を正しく答えることができないのに、生年月日は正しく答えられる。
そうすると認定調査の判断では、生年月日だけでも答えることができれば、「できる」を選択する。

自分の名前を忘れるような状態になったら、認知症の症状は重度になり、成年月日も答えることもできない、と思う。
その人ににとって生年月日は名前のようなものであり、
生年月日は何かにつけ書類に記入したり、聞かれたりすることが多いため、頭のなかに名前と同じく刷り込まれており忘れにくい。

しかし、年齢は変化し、70歳、80歳代の年齢であっても、自分はまだ30代、40代の年齢だと思っている調査対象者をよくみけかる。

長男は50歳の半ばを過ぎているのに、「息子がお腹を空かして学校から帰ってくる」、と思い、
ガスコンロに鍋をかけおかずをつくる。そのうち鍋をかけたことを忘れ、鍋を焦がし、大騒ぎになる。
長男から「火事になったらどうする!」とすごい剣幕で怒られてしまう。
当の本人は、息子のためにおかずを作ったのに、なぜ起こられたのかわからないでいる。
このような状態にあっても、生年月日だけは正しく答えられる。

認定調査では、生年月日か年齢かのいずれか一方を答えることができれば、3-3の認定調査項目では、認知症はない、と判断さえてしまう。
問題が残るところである。

494;蕎麦祭り

2017-10-28 20:07:03 | 春夏秋冬
蕎麦祭り会場/白河関の森公園の紅葉 

蕎麦祭り

今日はあいにくの曇天
厚着で防寒し
寒さをふっとばせ
病気もふっとばせ
物忘れなんか気にするな
ということで
9人の老人とスタッフ6人
車に乗り
蕎麦祭り会場へ
駆けつける。
(会場;白河関の森公園)
新蕎麦を味わう
出店をのぞき
おでん、焼きそば、焼き鳥、ステック状のさつま芋・・・を食べ歩き
普段屋外では食べられないだけに
美味しさ格別








493;過ぎ去る時間(とき)

2017-10-28 14:01:28 | 老いびとの聲
過ぎ去る時間(とき)

月暦は
日めくりのように
破り裂かれ
時間は無慈悲にも
過ぎ去り
気がついたときには
白髪になっていた私。

時間は川の流れと同じく
元に返ることはできない。

時間は無限の存在。
終わりのない旅はなく、
人は誰も土に帰る。
だから人は旅を楽しむ。
心の旅は終わりがない。




492;老いの風景〔5〕 「何もしない・・・」

2017-10-28 08:39:47 | 老いの光影
老いの風景〔5〕 「何もしない・・・」

忙しさに追われているとき
「何もしない」で、ぼ~としたい、と思うときがある。

窓際に追いやられ 何もしなくていいと
机と椅子だけ置かれ 干されたら
疎外感から気が狂ってしまう。

88歳になった山下和生さん
定年になった息子から「何もしなくていい」と言われ
農作業の一切を息子にとりあげられた和生さん。
半年も経たないうちに
物忘れだけでなく
軽トラックの運転もできなくなってしまい
妻をはじめ息子夫婦の名前まで忘れてしまった。
何もしないで過ごすことは
老人にとっても過酷であり
水が滲み出すように記憶のピースがこぼれ落ち
自分の名前さえも思い出せなくなってしまう。

何かをすることで
誰かの役に立っている。
小さなことであっても
何かをすることで
そこには自分の存在を感じ
生きる喜びがある。

何もしないでいることは
自分の存在を見失ってしまう。

反対に、1日が8時間に感じるほど
忙しさに追われていると
心を亡くし 自分を見失ってしまう

「忙」は、心を亡くすと読める。
忙しいときほど
「何もしない」で
心の休憩が必要なときもある。




491;上手な介護サービスの活用処方 第27話「認定調査の項目」 〔25〕

2017-10-27 20:25:33 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第27話「認定調査の項目」 〔25〕
3-2 毎日の日課を理解(能力)


ここでいう「毎日の日課を理解」とは、起床、就寝、食事等のおおまかな内容について。理解していることである。
厳密な時間、曜日ごとのスケジュール等の複雑な内容まで理解している必要はない。


1.できる
2.できない

1.質問されたことについて、ほぼ正確な回答ができる場合をいう。
2.質問されたことについて正しく回答できない、あるいは、まったく回答できない場合をいう。
  回答の正誤が確認できない場合も含まれる。


・起床や就寝、食事の時間等を質もして、できる・できないの選択をする。
・週の何曜日にデイサービスがあるか答えられなかったが、毎日の起床、就寝、食事等のおおまかな内容について答えることが出来た。 ⇒ 「できる」を選択する


・認知症老人は、時間 ⇒ 場所 ⇒ 人物 の事がわからなくなり、右側に行くほど認知症症状が重くなっていく。
・1日のおおまかな生活の流れを理解できているか、を認定調査を行う。

490;生理的欲求と介護⑥ 「睡眠」ⅱ

2017-10-27 14:08:38 | 老いの光影
生理的欲求と介護⑥ 「睡眠」ⅱ 

寝る子は育つ、と言われ
赤ん坊はよく眠る
眠るのが仕事
赤ん坊と変わり
代わりに眠りたい

赤ん坊もよく寝るが老人もよく「眠る」
眠るというよりは寝せている介護の実態がある
80歳、90歳になると
1時間程度の午睡が必要な老人もいる

元気な老人はデイサービスでも寝ずに活動している

あるデイサービス事業所を訪れたら
全員寝かせられ 2時間ほど寝ている
眠りたくなくても寝かせる

その間介護スタッフは何をしているのか
休憩するスタッフと
家族宛の連絡ノートや本日のサービス提供の記載・記録をするスタッフ
しかし2時間も記録にかかるのかといえばそうではない

15人から25人までの定員のデイサービスは
午前中に入浴できるすべての老人お風呂を入れる
お風呂待ちの状態になり
多くは椅子に坐っているだけのデイサービスもある
そして昼食
昼食後は2時間余りの午睡
目が覚めたらおやつの時間 15:00である
おやつを食べ
30分から60分余りの申し訳程度のレクリエーションをこなし
16時から16時半には送迎車に乗り帰宅となる

これは最低のサービス提供である
老人は風呂と昼食を食べれば満足している、と思っているのだろうか

デイサービスでは椅子に坐ってもつまらないので 坐りながら微睡(まどろ)み、いつの間にか寝ている
寝ていると介護員から「寝てはだめよ」と声かけられるも
別に余暇活動のプログラムなし
民放やカラオケの音が流れているだけで
誰も観たり聴いた入りする人はいない
その上午後は2時間の午睡があり
体を動かす時間がないため
夕食後なかなか寝付かれず
22時過ぎても眠れず起きている
認知症老人のなかには
体力が余り夜中に徘徊しだし 困り果てるのは老いた介護者

寝ないということで
かかりつけ医から眠剤が処方され服用
悩みや不安があってどうしても眠れないときは眠剤導入を否定するつもりはない
老人の場合は諸刃の剣であり、眠剤の使い方を誤ると
朝起きても頭が「ぼぉ~」とし、認知症の症状が悪化したり
また、足元がふらつき転倒のリスクもある
眠剤を服用する前にどうしたら眠れるのか
そのことを考えていくことが大切。

上記の流れは、介護施設(特別養護老人ホームなど)においても
そう違いはない
。(すべての介護施設がそうだ、書いている訳ではない)
特別養護老人ホームは生活の場であるのだが
「日課表」にそって「介護業務」が流れる
朝眠くても5時過ぎ頃から起こされ、おむつ交換をしたあと車いすに座らせ
ホール(食堂)まで移動しテーブルの前で1時間余り朝食待ちとなる

夜は眠くなくても夕食後には
歯みがき、おむつ交換などを行ったあとベッドに寝せられる


介護の世界において眠る、睡眠をどう位置付けられているのか
朝眠くてなかなか起きれない人は寝かせる
夜はせめて21時位まで起きていたい老人は起きてもいい

眠たいのに起こされる
眠むくないのに寝かせつけられる
生理的欲求に反する睡眠の「ケア」は老人にとり迷惑でしかない


批判するのはたやすい

489;生理的欲求と介護⑥ 「睡眠」ⅰ

2017-10-27 04:19:41 | 介護の深淵
 生理的欲求と介護⑥ 「睡眠」ⅰ

人間に限らず動物は
満腹になれば眠くなる。

眠る
睡眠
睡眠の「睡」という漢字も
「ねむる」という意味がある
熟睡 午睡 睡魔 
眠気(ねむけ) 微睡(まどろ)む
昏睡になっては心配だが・・・・

人間(動物)は
眠気が襲い
微睡みの状態になり
眠りの境地に浸る
そのときは至福の境地
眠りのおまけである「夢」は
幸せな夢ならば最高である

眠気や微睡み、睡魔どれも自然の摂理であり
生理的欲求である

眠りを邪魔されると
人間不機嫌になる
更に物理的強制的に眠いのに起こされると
イライラしたり落ち込んだりと感情のコントロールが難しくなる
思考力や記憶力、集中力もなくなる。

取り調べで 電球の光を目に当て眠らせないのは
一種の拷問であり
それに耐えきれず自白(嘘の自白もある)に追い込まれる

人間 眠らなければ生きていけない
眠り(睡眠)も人生の一部であり
嫌なことも不安も忘れ眠れるときが「幸せの時間」
不安や悩みが高じてくると眠れなくなり
眠剤の力を借り睡眠をするようになる

赤ん坊や愛犬・愛猫の寝顔を見ていると
本当に癒され可愛い

新婚当時 あなたの寝顔は愛おしく素敵だった
いまは・・・・・・


488;老いの風景〔4〕 「直立歩行と老人」

2017-10-26 14:54:22 | 老いの光影
 老いの風景〔4〕 「直立歩行と老人」

社会科(歴史)で習ったのかな
人間と猿の決定的な違いはどこか
直立歩行ができたことにある

猿だって歩くではないか、でも手と足の使い分けは完全ではなく、両手を着いて歩いている
猿で混乱するのであれば、人間と牛馬の違いは何か 直立歩行

直立歩行になったプロセスは省略させて頂く
人間は直立歩行になったことで
両手が自由になった。
自由に使える手は、石を掴み、採集した果実を打ち砕いたり
石に棒をつけるとハンマーになり、尖った石に棒をつけると槍になる
自由になった手で道具を作りだしていった。


エンゲルスが著した『猿から人間になるについての労働の役割』(大月書店 国民文庫)のなかで
猿から人間になったのは、労働が果たした役割の大きさと重要性を指摘している。
19のときにこの本に出会い、感激したものだった。若かったあの頃・・・・


赤ん坊の動作が目まぐるしく速いスピードで変化する
新幹線よりも速いスピードである
赤ん坊 仰向けから寝返り
寝返りの状態から這い這いをはじめ
這い這いから高這い
高這いからつかまり立ち
つかまり立ちから立つ(立位保持)
立位保持から歩く

個人差はあるが1歳2箇月前後には
歩けたときの乳児自身は大喜び 得意満面の笑顔
父親母親も大喜び 忘れられない人生の一場面である
立ち、歩く 
これはヒトから人になったことを意味し
パノラマの世界になり
乳児にとり好奇心がさらに拡がっていく
歩けること
それは目的をもって行動することに連なる
目的もなしに人間は歩くことはない
歩けることにより
人間は自由に行きたいところへ行ける

堀川清子さんが再び歩けるようになり
「本当にうれしい」と洩らした言葉の真意は
人になれたこと

自由になった手でカートを押し
陳列棚から商品をつかみカゴに入れられたこと

歩けるから買い物ができた
清子さんにとって
一時は歩くことも諦めた
それは赤ん坊のとき以外に経験したことがなかった
おむつをつけそのなかにオシッコやウンチをし
おむつの交換も
他者のお世話になったこと
屈辱的な気持ちになり生きる気力も失せた
あとでそのような感想を漏らした


普段何気なく歩いている人にとり
歩けることがどんなに幸せかは気づきもしない
何かの原因で歩けなくなった老人は
そこではじめて歩けていたことがどんなに素晴らしかったことに
気づくのである
歩けることを目指し
人間の生活をとりもどそう(人間回復)と
頑張っている老人もいれば
諦めてしまい、手足だけでなく心まで拘縮してしまう老人もいる
歩ける可能性を秘めている老人の力を引き出すのは
ケア(看護、介護)にかかわる人たちの責任は大きい

何気ない赤ん坊の動作のなかに
寝たきりになった老人の動作を変革していくヒントがある