老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

577 ; 老人と赤ちゃん 〔1〕

2017-11-30 19:19:51 | 老いの光影
老人と赤ちゃん

冬のある晴れた陽だまりの日
ガラス戸越しに陽が射し込む縁側に
老人は膝の上に赤ちゃんを寝せていた
すやすや寝ている赤ちゃんの顔 に
老人は心安らいでいた。

赤ちゃんはもう少しで1歳になり、未来(みく)という。
老人は年齢は忘れてしまい、名は今生(いまお)。

今生は、赤ちゃんの安心しきって寝ている顔を見て
小さな声で話しかける。
”未来君の人生はこれからだ。溢れるほど夢や希望を抱き
それを叶えようと生きて行く。限りない可能性を秘めている”
〔私も小中学生の頃 夢や希望があったけれど、心が弱く挫けてしまった。
何もやり遂げたことはなく、後悔しか残らなかった〕と
未来君の瞳を見ながら呟く。

未来君はあと数ヵ月で立ち上がり、
そして小さな一歩だが、(未来君の)人生史において偉大な一歩を踏み出す。
それはアームストロングは次のように言った。
「 これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」

老人は長く生きてきたことで、足、脚の筋力が衰え、
いまは杖をつき、ようやく歩いている。
一寸程度の段差にもつまずき転んだこともあった。
そのときは骨折にならず胸を撫でおろした。

老人は段々歩けなくなり寝たきりになる。
赤ちゃんは、寝返りから始まり、あともう少しで一歩を踏み出し駆け出し始める。

576;病院外来受診

2017-11-30 08:53:12 | 春夏秋冬
病院外来受診です

今日は6週間毎の外来受診日で
いま、自治医科大学附属病院腎臓外科で診察
採血💉と尿検査の結果は診察のときにわかるのだが
昨日は忙しく 水分不足なのが気がかり
慢性腎不全症と腎移植の経過観察による受診
ブログは夕方以降にします

575;無くて困る物

2017-11-29 16:00:46 | 老いの光影
無くて困る物

トイレットペーパーがからからと回り鳴いている音が聞こえてきた。
どの位ペーパーホルダーを回すのだろうか。
まだ音がする・・・・・
からからカラカラ・・・・

それに比べ
老人は「もったない」ということが染みつき

トイレットペーパーを2つに折るほどの慎ましい長さ。
重ね合わせたトイレットペーパーは薄く
排便後拭いた手指に
しっかりと便が付着。
お尻を拭いたペーパーを2回ほど2つ折りにし、ズボンのポケットにしまう。
ときどきポケットからそのペーパーを取り出し口を拭く。
トイレットペーパーやティッシュペーパーを入れてしまう老人の洋服やズボンのポケット。
洗濯をするときには必ずポケットのなかをチェックしないと大変な結末になり、
ちりぢりになった紙屑が衣服に纏わりつくだけならまだしも
他の洗濯物や洗濯機のなかまで紙屑だらけ。後始末が大変。

老人はトイレットペーパーやティッシュペーパーのことをちり紙(ちりし)と呼ぶ。
農村で暮らした団塊の世代ならば想像はできると思うが、
農村では板床に穴があいており、
そこを跨いで用を足すポットン便所であった
落とし紙と呼ばれた紙で尻を拭いていた。
灰色がかった紙で新聞などの紙を材料として作った紙なので活字が見え隠れしている。
いまでは到底使えない落とし紙であり、おとし紙はスーパーの商品棚に並べられているのであろうか。

昔は学校の持ち物検査では
「ハンカチとちり紙」のチェックをされたものだった。
右ポケットにハンカチ、左ポケットにちり紙、を入れていた。

小学校から自宅までは2kmほど道程があり、
便意をもよおし我慢できず、
道端の草むらに入り用を足した。
左ポケットにちり紙が入っていなかったときは、
道端に生えている蕗の葉(ふきのは)をちぎり、
それをちり紙代わりにして拭いたことがあった。
便を隠すために、また蕗の葉を使い上から覆い隠した。
そんな時代もあった(昭和30年代後半 東北、北海道の農村は貧しかった)
いまは消費生活、消費文化が豊かになってきた。
老人は呟く、
「便利な時代になったが、生活をしていくのが大変になった。
昔は不便で貧しかったが、生活はしやすかった」

ほんとにそうかもしれない




574;遠くへ行きたい

2017-11-29 11:26:52 | 歌は世につれ・・・・
遠くへ行きたい

作詞:永 六輔、作曲:中村八大、唄:ジェリー藤尾

知らない町を 歩いてみたい
どこか遠くへ 行きたい
知らない海を 眺めていたい
どこか遠くへ行きたい
遠い街 遠い海
夢はるか 一人旅
愛する人と めぐり逢いたい
どこか遠くへ 行きたい

愛し合い 信じ合い
いつの日か 幸せを
愛する人と めぐり逢いたい
どこか遠くへ 行きたい


心(気持ちが)疲れるとき
逃げ出したいとき
🎶遠くへ行きたい(^^♪の詩やメロディーを想い出す
知らない町や知らない海辺を歩いてみたい
誰も自分の過去を知らない町へ行きたい
愛する人めぐり逢うような齢(とし)ではないけれど
知らない海辺で
遥か彼方にみえる
水平線に沈む夕陽を眺めていたい

573;気になる老人(ひと) その後

2017-11-29 03:12:10 | 老いの光影
気になる老人(ひと) その後 

顔は右眼から頬にかけ
左手の背にも
浮腫みあり
オシッコ余りでず

水は余り飲まない
blog557一部再掲載〕

同居している長男夫婦は
父親(95歳)が浮腫があり
しんどそうな表情をしても
気にする様子でもなく
ましてや受診させる気も起らない

このままでは息絶えてしまう心配もあり
長男に電話をかけた
「酸素濃度も低く80を切り
呼吸も苦しく辛そうな表情なので
かかりつけ医に電話をしたら、
本人を診るので、連れてきて欲しい、
と話をされたので、これからクリニックまで
連れて行きます。
クリニックまで迎えをお願いできますか」

長男は20分後にクリニックまで来た。
肺水腫もあり、これでは呼吸も苦しいはず
ラシックスを処方され、経過観察となった。

自宅ではネグレクトがあり
十分な食事、水分が摂れてはいなかった。
家の中歩くのもようやく
ベッドに入り横に寝るわけでもなく
日中は炬燵に足を入れうずくまっているだけ

デイサービスを休み(1週間休む)続けると寝たきりになるからと
今週からデイサービスを再開

昼食だけでもバランス良い食事とカロリーを摂れることで
体に元気が戻り
また動くことで、多量の便も出た。
体がスッキリしたのか、本人も楽になった表情をみせる。

本人は「俺はもう少しで終わりだ」
みんなにお世話になった」、と呟く。

新年を迎えれるかどうか心配・・・・・。
デイサービスに行き、顔を見ると
右手を挙げ、挨拶を交わしてくれるときの笑顔に、
生きることの意味を考えさせられる。



572;不思議な夢をみた

2017-11-28 04:19:01 | 老いびとの聲
不思議な夢をみた

人間の感情は 善な心 醜い心
人間の感情は 美しいもの 醜いもの
夢のなかで 亡くなった女性が生き還り 微笑話しかけてくる

夢を見てたら 寝坊し4時を過ぎてしまった
書き残したレポートがあと1つ
今日の昼過ぎまでには書き終えないとならない

blogはその後になるかな
開店休業のような状態が3日続く
チョッと早い冬休み哉

571;就活・婚活・終活・?活

2017-11-27 18:12:34 | 老いびとの聲
就活・婚活・終活・?活 

いまは言葉を縮めて話すのが
お洒落なのか 
それとも飾り言葉のなのか
ときどき戸惑うことがある

終活 終活よりも求活(求人活動)です
   介護の業界は深刻な人手不足
         
婚活 一度婚活パーティーに出てみたいが
   きっと寂しい思いをするから婚活パーティーは欠席かな

終活 まだ人生終わりではない
   どう老い逝くかは、
   考えねばならないが、終活の行動に至っていない

介活 余が考えた妄想的ね造語 介護活動のことです
   超高齢社会にあり、寝たきりや認知症老人が増えてきますが
   これからは地域が力となり介活をしていくようになるかも・・・

豚カツ 老いるとヒレカツの方がいいかな 

570;土曜の夜は最高~

2017-11-25 19:21:19 | 阿呆者
土曜の夜は最高~  

週6日48時間仕事
だから土曜の夜は最高~
仕事帰り
美味しい物を食べ
妻はビール 私はお茶
beagle・genkiは 私が16:30には散歩を行い、先に夕食を摂った
で、その後は留守番役 生きた「セコム」で不審者が来たら吠える

家路に着き
シーツに電気が入っている布団に潜り寝るときが最高
日曜の夜明け前までが「いいのだ~」
空を飛んでいる夢だったら嬉しいな~

569;生命(いのち)の限り

2017-11-25 12:48:33 | 歌は世につれ・・・・
生命(いのち)の限り

作詞:矢野 亮、作曲:江□浩司、唄:大津美子

1 愛していたけれど 何も言わないで
  あの人とあの人と 別れて来たの
  泣かないで 泣かないで
  涙をこらえて
  ラブユー ラブユー いつまでも
  いのちの限り

2 楽しいその後(あと)は 嘆きが来ると言う
  何時(いつ)からか何時からか きまった運命(さだめ)
  諦めて 諦めて
  あてない希望(のぞみ)を
  ラブユー ラブユー いつまでも
  いのちの限り

3 はかなく燃えつきた 二人の恋の火よ
  それだけでそれだけで 幸福(しあわせ)でした
  ただ一人 ただ一人
  想い出あたため
  ラブユー ラブユー いつまでも
  いのちの限り


〇昭和321957)年にキングレコードから発売され、大津美子の代表曲の1つとなった。
昭和32年頃は三種の神器(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)は庶民の憧れであった。
当時私はまだ7歳、僻村に育ち、我が家には電燈(電気)どころかランプを燈し暮らしていた。
『生命の限り』は最近知った歌なのだが、いまの時代にはない歌詞とメロデイーに魅かれる。
生命の限り、あなたを偲び想い生きてきた。恋のはじめよりも、愛を保つことのほうが難しい。
私には無縁な世界哉・・・・・。

568;「傷み」と「痛み」と「悼み」

2017-11-25 07:18:40 | 阿呆者
「傷み」と「痛み」と「悼み」 

「傷み」「痛み」「悼み」
どれも「いたみ」と読む
自分の「いたみ」はわかるが
他人の「いたみ」には気がつきにくい

リンゴ(林檎)は「傷む」と腐りはじめる
屋根が「傷み」だし雨漏りが気になりはじめた
物であっても手や想いをかけ修復しないと〔重症〕に陥る
物でも心でもそれは同じ

「心の傷(こころのきず)」はそう簡単に修復はできない
何気なく発した言葉が、相手の「心を傷」つけてしまい
取り返しのつかないことになる。
「心の傷」が深いほど癒されないこともある。

「痛み」は
老いてくると、腰の痛み、膝の痛み、胸の痛みなど
「体の痛み」があちこちに出現する。
「体の痛み」は死ねば痛みは消失する。
「体の痛み」は〔体痛〕とは表現しないが
「心の痛み」は「心痛な思い」になり
相手の「心の痛み」を思い遣り、無言のまま手を握ったりすることもある。
「心の痛み」は、
自分の場合もあるだろうし、他者の場合もある。
「心の痛み」は「心の叫び(心の悲鳴)」のときすらある。
体の痛みとは違い
「心の痛み」は無形であるだけにわかりにくく
治癒するのは薬ではなく時間なのかもしれない。

「悼む」という言葉
よく「哀悼の意を表する」と使われ、それは「哀しみ悼む」という言葉になる。
愛する人、大切な人の「死」を「悼む」という言葉であり
白い煙となって青い空に消えっていったときの悲しさ、辛さ。
その人の名前を呼んでも、もうこの世に存在していない。
そう想うと寂しくせつなく悲しく(哀しく)なり、「心が悼む」。

老い逝き、老人が最期の呼吸(いき)をされるとき
言葉に遺したいことは何だろうか・・・・。
言葉は生命そのものであり
それは人間だけでなく
犬や猫、そして花に言葉はある。
言葉は心を傷つけることもあれば
言葉は心を癒すこともある。

567;枯れても

2017-11-24 18:47:04 | 阿呆者
枯れても・・・・ 

落葉は枯れても
草木の養分(肥やし)となり
生命を繋いでゆく

老い枯れても
自分は
後世に何を遺してゆくか

日が暮れ昏(くら)くなっても
夜空の星は光り輝き
あなたを想う 

ムンクの叫びは
私の心の叫び
”私はいったい誰なのか”
壊れたベンチに腰をかけ
枯葉を聴く




566;死に場処

2017-11-24 09:40:19 | 老い楽の詩
死に場処(しにばしょ)

「死」
私にとり
まだ「死」は訪れては欲しくはない。
しかし
そうは言っても
突然季節が終わりを告げるように
「死」もいつ訪れるかは予測できない。
そのときは「仕方がない」。

老いの齢を嵩ね
幸運にも老衰になったときには
死に場処(場所)は
病院ではなく
終の棲家である家(我家)で逝きたい。

まだ老い始めたばかりで
「死」を意識するのは
”縁起でもない”と
後ろから小言が飛んで来そう。

「老い」と「病気」と「介護」と「死」は
生きているあいだは
絡(から)み纏(まと)わりつく。
それをほぐし穏やかに 老いて逝きたいものだ。

565;哀悼

2017-11-24 09:09:47 | 春夏秋冬
哀悼  

家族にみまもられ
磯貝サク子さん(96歳)が
病院で永眠された。
いつお会いしても
穏やかであり
怒った表情をみたことはなかった。
4年余りのおつきあいだった。
本当にありがとうございました。
サク子さんのように
心穏やかに老いて往きたい。

564;簡単なことが、難しい

2017-11-23 10:42:29 | 読む 聞く 見る
 簡単なことが、難しい

池井戸潤『アキラとあきら』徳間文庫

大企業の社長の息子 彬(アキラ)と
町工場の社長の息子 瑛(あきら)の
ふたりの「アキラ」の青春物語

背景には銀行が登場し、お金により
町工場の浮き沈みが大きく左右され
瑛の家族は夜逃げの運命に遭遇する


382頁に
「会社がどんな状態かは、数字を見ればわかる」。
「ながめてもわからないものがある。それは、人の心だ。そして、その胸の内である」


123頁にはこんなことが書いてあった
「商売の基本は簡単なことなんだ。
どうすればお客さんに喜んでもらえるか」
「でもその簡単なことが、実に難しいんだ」


介護サービスにおいても同じであり
利用者自身(お客様、顧客)が喜んでいるか、満足しているか、でサービスの評価は決まるのだが

家族向けに書いた連絡帳や介護施設の処遇記録には
おおにして「~さんはクリスマス会の催しものに参加され満足されていました」と書かれてしまうが
本当にご本人は満足されていたかどうかは、聞いてはいない。様子(雰囲気)をみて書いている。
風呂介助を終えたあと、「今日は仕事した」と介護職員は自己満足するけれど、
入浴介助を受けた当の利用者は、満足できた入浴であったかどうか、
利用者の気持ちを聞いた結果如何で「今日は仕事ができたかどうか」決まるのである。

お客さんが満足していたかどうか、それがサービスの基本であり、
リピーターにつながるかどうかの分岐点にもなる。
介護サービスにおいても、簡単なことが、実に難しい

563;上手な介護サービスの活用処方 第48話「認定調査の項目」 〔45〕 「ひどい物忘れ」

2017-11-23 05:55:56 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第48話「認定調査の項目」 〔45             
                4-12 ひどい物忘れ(有無)

ここでいう「ひどい物忘れ」行動とは、認知症の有無や知的レベルは問わない。
この物忘れによって、何らかの行動が起こっているか、周囲の者が何らかの対応をとらなければ
ならないような状況(火の不始末など)をいう


1.ない
2.ときどきある
3.ある

・買い物のたびにスーパーで大量の卵を購入し、冷蔵庫の中には、食べられる量以上の卵が
 入れられているため、「ある」を選択した。

・電話の伝言をし忘れるような、単なる物忘れは含まない。
・周囲の者が何らかの対応をとらえなければならないような状具体的な況について、認定調査員に話すことが大切です。
・食事をしたことは覚えていないが、しつこく食事を要求するといった行動はないため、「ない」を選択する。
・火を使わないように伝えているが、自分では調理できると思っており、ガスをつけっぱなしにし、鍋を焦がすことが
 月に2~3回程度みられるため、「ときどきある」を選択する。家族はが気をつけているが、目を離したすきに火を
 使うことがある。


※『認定調査員テキスト』改訂版 平成21年8月では、「ひどい物忘れ」行動とは、認知症の有無を問わない
としているが、実際には認知症の症状により日常生活に支障が出てきている。「ひどい物忘れ」行動により、
火の不始末や同じ物を何度も買い冷蔵庫の中に多量にあったり、また浴槽が溢れても水をはったりなどの行為がみられ、
日常生活に支障が出ていることなどを、認定調査員に話されるとよいでしょう。