老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

ロウソクが燃え尽きた

2020-11-06 09:25:10 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

                   那須連山に雪が降った

1728 ロウソクが燃え尽きた

他人(ひと)を想うことは
自分を想う
死を見つめることは
生につながる

末期癌と懸命に闘い
ロウソクの火が燃え尽きた
一人暮らし老人
海の底から深く哀悼の言葉を呟く

悪魔の暖房器具

2020-11-04 11:50:05 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

                 阿武隈川の辺からみた朝焼け
1727 悪魔の暖房器具

「悪魔の暖房器具」と書くと
何か怖い暖房器具を想像してしまう。

寒くなると炬燵がだされ居間に設置され
春まで炬燵は家族団らんの象徴的家具になる。
猫は炬燵で丸くなり
炬燵の上には蜜柑が転がっている。

私が子どものころ
北海道には炬燵がなかった。
最初は薪ストーブで
東京オリンピックを終えてから石炭ストーブに変わった。

話は元に戻し、炬燵は老人にとり「悪魔の暖房器具」となり
体から水分を奪い脱水症になる危険性が潜んでいる。

とくに認知症を抱えた老人は
寒くなると動くことが億劫になる。
炬燵のなかに脚や体を伸ばし、横になり眠ってしまう。
朝食も昼食も摂らず、夕方16時頃に起きだし
一日三食分の早夕食を摂る。

栄養も水分も不足しているから
足元も頭の働きも心もとない
余計に認知症が進んでしまう。

炬燵のある時期は
脱水に気をつけ水分を摂っていただきたい

そう思いながらも
私も炬燵があると寝てしまい
テレビの画像だけが流れている。


脱水症

2020-10-19 05:23:14 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1719 脱水症

夏の季節でもないのに
続けざまに三人の老人が入院した

89歳のアキ婆さんは被害妄想と物忘れがごっちゃになり
息子と暮らしている。
息子が作った「団子のようなおにぎりは硬くて食べれない」
「ウンチがでない」
食べず、水分も摂らない
心配して息子はニ度ほど救急外来を受診し点滴をした
医師からは「血液検査の結果、問題ない」と言われたが
三度目の救急外来受診から総合診療科に回され入院となった。


糖尿病で目が不自由な65歳の妻が
「脱水症入院した」とラインで夫から知らせがきた
夜起きて午前中は寝ている、そんな暮らしをしている夫婦。
一日の食事は二食
十分な栄養が摂れておらず脱水症になったのかな、と予測する。

87歳の二郎爺さんは脳梗塞後遺症があり、左半身麻痺。
妻は認知症があり、焦がした鍋は数知れず。
料理をするも栄養バランスが悪く、水分も摂れていない。
入院して二週間が過ぎるも、退院のメドがない。

デイサービスを利用される老人たちも同じ。
デイサービスがお休みのとき自宅では余り水分を摂らないため
デイサービスに来た日の午前中は頭や体の動きが悪い
頭がボ~としたり、足の運びも悪い
頭に十分な水分や栄養がいかないからである。
脳梗塞の発症や再発のひきがねにもなる。

いまコロナウイルス感染対策のため
病院面会が禁止となり
入院された爺さん婆さんがどうなっているのか
気がかりである







何もしないと、何も出来なくなる

2020-09-27 06:01:05 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


1693 何もしないと、何も出来なくなる

1684 紙おむつからポータブルトイレへ
1689 他人(ひと)の気持ちはわからない

👉上記のブログ参照 

春男さんは6人兄弟姉妹の末子にあり、甘え依存的な感じを受ける。
人間づきあいや介護のなかでは「ありがとう」の言葉は大切であるのだが、
「ありがとう」の言葉が出てこない人がいる。


春男さん(71歳、脳梗塞、左半身麻痺)は、
麻痺した左足に短下肢装具がつけられないと
車いすに乗りひとりでトイレで用を足すことができない。

短下肢装具を自分でつけられるかどうかは
彼がひとり暮らしをしていく上で「大事なこと」なのだが、
自分でやろうという気持ちがないのか
それともヘルパーにやってもらえる、ということに甘えているのか
私の方がやきもきしてしまう。

彼が寝ている寝室を訪れ
「おはようございます」と声をかけた後
「ヘルパーさんが来る前に、ベッドから起き
短下肢装具をつけトイレで用足しをしたりした方がいいですよ」と話しかけたが
できなくなってしまった。

春男さんは、病院退院するときまでは
自分でベッドの端に座り、右手で左足を持ち上げ右足の上に乗せ
短下肢装具を装着することができていたのに・・・・。

朝8時~9時までヘルパーが援助を行うプランを作成したのだが
ヘルパーは短下肢装具を穿かせていたため、できなくなってしまった。
(ひとりのヘルパーだけは彼に短下肢装具を装着させていた)
上着を着ることもできなくなった。
いま、彼ができるのは「食べる」こと
ベッドから車いすに乗り移りができること
それだけである

紙パンツの交換ができない
短下肢装具が装着できない

ひとりで日中自宅で生活することができるのか
彼はオシッコを気にし
水分を摂らなくなった

「血流が悪くなり脳梗塞が再発しますよ」
「頭の働きにもよくないよ」
などと話すも、他人事のように聞き流してしまう。

デイサービスのスタッフは
入浴のとき短下肢装具の装着や上着を
自分で行うよう訓練をしているが
時間がかかっても、自分で行うことが難しい。

訪問リハビリのPT(理学療法士)に
(週1回40分の訪問リハビリを実施している)
短下肢装具の装着訓練を
来週の月曜日に電話をしたい、と思っている。

彼にとり、生きるとは
自分で短下肢装具を装着することから始まる
彼にそのことをわかってもらいたい、と思っているのだが・・・・

 




突然、「今日、退院します」

2020-09-25 05:29:26 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

1691 突然、「今日、退院します」


2020.9.5のブログ『仙骨骨折』に登場した95歳の老女の話
その続きです


☎が鳴った
受話器をとると南陸奥病院の医療相談室からであった。
「三森さんが、家族の希望で今日退院されます。あとよろしくお願いいたします」
「わかりました」、と答えたものの
隠居宅でひとり暮らしの婆さんを今日からどう生活していくのか・・・・

いきなり、今日(令和2年9月24日)退院と、言われても
なにも退院後の支援体制ができていないまま
荒波の海の中に放り投げこまれた心境であり
頭のなかは絡まった糸の状態であり、先が見えない。

入院前に利用していた訪問介護事業所に電話を入れたものの
9月の訪問介護は難しい、とにべもなく断られた。

三森婆さんは同敷地内母屋にひとりで住む男孫の車に乗り
15時過ぎ帰宅。
私は16時過ぎに彼女が棲む隠居宅に伺った。

藤椅子に腰かけていた三森婆さん(95歳、要介護3)は、
居間から歩いてトイレまでは行けるが
立って調理することはできない
本人は「お風呂に入れる」(危なく一人では入れない)
(さあ、困った・・・・)

使える年金は月6万円(生活費)のなかでやりくりせねばならない
介護サービスに仕えるお金は限られてくる

本人は「特別養護老人ホームには行きたくない」
いまは稲刈りの農繁期にあたりどこも「ショートは満杯」
週2回デイサービスと夕方の生活援助を組み合わせのサービスしか浮かばない
男孫と嫁にでた女孫の協力をどこまで得られるのか、あてにはできないがあてにせねば??

長男は東京に暮らし、ときどきふと帰省する
何もしない癖に介護保険課にクレームの電話をする 「介護サービスはどうなっているのか」
何もしない家族ほど文句が多い
三女は埼玉で夫婦共々公務員の仕事についているが
入院と聞いても駆けつけることもなく、親子の糸は脆弱

今日(9月25日)10時 再び三森婆さん家を訪れる
ヘルパー事業所管理者も見え、男孫も同席(運よく仕事休み)で
これからどうするか、再び相談をすることになった。

それにしても
夕暮れ時の介護相談は、蚊が忙しく飛びまわる
刺されやすい私の躰にまとわりつき
追い払うも手の届かない場所にチクリ
この上痒いことしきり
蚊も問題であった






殺される恐怖で夜通し歩いた

2020-09-22 04:50:37 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
漫画家 ちばてつや 夕陽に照らされ逃げる引揚者

1687 殺される恐怖で夜通し歩いた

昨日在宅訪問をして
西郷杏子さん(86歳)から貴重な体験を聴いた。

北朝鮮に政府から広大な土地をもらえる、と聞かされ多くの貧しい農民が海を渡った。

祖父母、両親、兄弟姉妹5人の9人家族。
現地の朝鮮人を使い、朝鮮の大地を耕し農業を営んでいた。
敗戦のとき、杏子さんは10歳だった。

釜山港(韓国)をめざし、昼間は森に隠れ夜通し歩いた。
当時お母さんのお腹に6人目の子どもがいた。
露助(ロシア人、ロシア兵の蔑称 不適切な表現になるが、あえて杏子さんの言葉をそのまま記載した)
に殺される、という思いで必死に逃げた。

一度は朝鮮の人に捕まった。
当時父親は朝鮮人を虐めず優しくしていたことで、私たち家族の逃避行を助けてくれた。
米や衣類、お金など必要なものを持たせてくれたのは、本当に助かり命拾いした。
韓国の領土まで逃げのびるのは死に物狂いだった。10歳の少女だった自分、よく歩いた、と思う。

博多港に到着した船から、着のみ着のままで引き揚げてきた杏子さんの一家(他の引揚者も同じだった)。
逃避行の苦労は並大抵なものではなかった。
焼け野原になった日本、辿り着いたのは阿武隈山中。
政府から与えられたわずかな原野を開墾し、牛を飼うまでには10年の歳月を要した。
戦後も本当に貧しい生活だった。

いま自分は、脳梗塞後遺症で左半身が麻痺し、歩くのもやっと。
糖尿病から人工透析になった86歳の夫の世話をしている。
世の中は便利になったが、金もかかる。

今度、じっくりと引揚のことを話してくれる、と約束してくれた杏子さん。
貴重な体験を聴くことができた。書物から得ることのできない実話であった。

紙おむつからポータブルトイレへ

2020-09-20 07:41:26 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1684 紙おむつからポータブルトイレへ

病院を退院し家に帰ってきた春男さん
夕食を終えた後
ヘルパーの介助により紙おむつを装着される。

なるべく水分を摂らないよう我慢し
翌朝の8時 ヘルパーが訪れ紙おむつを外してもらう。

14時間余り紙おむつをつけることになるが
その生活でいいのかどうか、こちらが悩んでしまう。
自分はどんな生活をしていきたいのか
彼はヘルパーの言いなりになっているようなところがある。
ヘルパーの援助のあり方は後日書く

家の中で4点杖をつきながらひとり歩くことは
転倒のリスクがあることから「禁じ」られている。

ベッドから車いす 車いすからベッド の乗り移り(移乗動作)はできるのだから
ベッドからポータブルトイレに乗り移ることができる
問題は紙パンツの上げ下ろしである。
紙パンツは汗などかくと肌にまとわりつき
片手による上げ下げが大変なときがある。
(脳梗塞後遺症により左上肢は麻痺している)

布パンツにすることで、上げ下げは容易にできる。

ポータブルトイレの用意ができ次第
紙おむつを卒業しポータブルトイレで用足しを行う。

幸せな爺様

2020-09-12 16:28:29 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1673 幸せな爺様


         月1回のネイル(右手親指限定)snoopyです! 皺皺の指ですね。

ショートステイ(短期入所生活介護)の利用は
認知症老人にとり「諸刃の剣」になる場合があります。

認知症老人がショートステイを利用されると
おもらしが増えたり、”ぼ~”としていて認知が進んだような感じがしたり、
自分で「できた」ことが「できなくなった」りする。
混乱や不安が増幅し、自宅に戻ってから介護者の手間が増えてしまう。
介護休息の目的で利用したが、かえって疲れてしまう・・・・。

大森昭治さん(90歳)はアルツハイマー型認知症と糖尿病を患っています。
息子夫婦家族と暮らしています
2世帯住宅のため実質的には昭治爺様は1階で「ひとり暮らし」のような状況にあります。
最近は、間に合わず、掃き出しからドアを開け立小便をしたり、紙パンツを換えずに何度も排尿をしています。
ズボンの前は尿で滲みています。

そんなこんなで自宅での生活は難しくなりつつ、長男、長女は将来は特別養護老人ホームの入所を考えています。
それに先立ち、まず特別養護老人ホームが併設しているショートを9月から2泊3日の期間で利用することになりました。

デイサービスは月、水、土と利用していたのですが
ショートの利用によりデイサービスは月と土となり
ショートは毎週水曜から金曜日です。

最初のショート利用は、スムーズにいくかいかないか、不安でした。(コロナで面会できないだけに状況がつかめないが困る)
子どもたちやケアマネの不安をよそに
本人はショートでの泊り先は、「旅館に泊まってきた、温泉に入ってきた、とてもよかった」、と
デイサービスの職員に話され、満足そうな表情でした。

特別養護老人ホームの風景が、どう旅館に映ったのか
昭治さんにしかわからないけれども、彼に「素敵な仲居(介護職員のこと)さんがいたかい」と尋ねると
ニヤッと笑っていました(施設長は支配人になります)。






”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ➌ ~家で暮らしたい~

2020-09-12 04:03:32 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

                雨に濡れ色濃く咲く露草

1672 ”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ➌ ~家で暮らしたい~

春男さん(70歳)は、肺癌であることは理解されているが、
癌の症状が予想以上に進んでいることについての認識は甘かった。
ステージ4の段階にあり、彼自身が癌をどう受けとめているかは、知ることはできずにいた。

東京の下町で定年近くまで働き、定年後に生まれ故郷に帰ってきた。
アパート住まいで独身生活を通してきた。
2階建ての家に憧れ、ひとりで住むにはもったいないくらいであったが2階造りの家を建てた。
映画を見るとか、お茶を飲むとか、旅行に行くとか、そんなふうなことをしたことはなく、
年に2,3回、知人と川釣りに出かけるのと盆正月に実家に帰るくらいであった(実家は甥夫婦が継いでいた)。

担当医からは「覚悟してください」、と言われたが、
いま症状は小康状態にあっても、急激に悪化し命が短くなることもあるかもしれない、という意味なのか。
”命ある間に何をしたいのか” ”やりたいことはなにか” と彼に尋ねてみたくなるが、言えずに抑えてしまっている自分。

「痛み」に打たれ弱いのは彼ばかりではなく、一般的には女性に比べ男性は痛みに打たれ弱い生き物なのであろうか・・・・。
ときどき様子を見にきてくれる実姉やヘルパーに対し
彼から「あれが食べたい、これが食べたい」、と話す人ではないので
「食べたい物」を聞き出したり、果実や饅頭が好物なので、買ってきてあげ食べさせて頂きたい、とお願いをした。

残された晩年、残された時間、春男さんの楽しみは何か、何がしたいのか、
自分が建てた家でどう過ごしていきたいのか。
(この問いかけは彼に対してだけではなく、自分自身への問いかけでもある)
癌も進行し痛みも増し拡がっていく。
自宅と病院の間を往復することも増えてくる。

9月15日に退院し、自宅での生活が始まる・・・・。




”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❷

2020-09-11 15:00:54 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

               令和2年9月11日の朝 阿武隈川の辺から

1671 ”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❷

総合病院の地域医療連携室を通し
呼吸外科担当医に春男さんが右足の大腿部、股関節に痛みがあり、立ち上がりや立位も大変になってきたことを
「医師とケアマネジャーの連絡票」に記載しFAXをした。
(2日後に入院を予定していた)

入院の翌日 早速検査を行い、その結果健側である右大腿骨骨頭と患側の腸骨にも骨転移が認められた。
(医師から回答を頂いた)

放射線治療の開始となったものの、痛みのため体を動かすことはできず
ベッドごと移動しながらの放射線治療となった。

コロナウイルス感染防止のため面会はできず、医療ソーシャルワーカー(医療相談員)からの情報が唯一であった。
放射線治療が終わる頃、理学療法士、看護師、ソーシャルワーカーと話し合う機会をもつことができた。
現状では、左右の腸骨や右足の大腿骨骨頭に負荷をかけないためもあり、
起き上がりや端坐位(ベッドの端に座る)をすることもできない状態にあった。
このままの状態が続くと、在宅での生活はできるかどうか・・・・。

放射線治療を終え、ナルサス錠2mg(がん疼痛治療薬)が投薬され、
春男さんは痛みの最高を10としたら、いまは痛みは1の状態で、体調はいい、と話された。
理学療法士に最低限 ベッドから立ち上がり、立位保持ができ
立位の状態から車いすへの移乗、車いすからベッドへの移乗ができることを目標としてお願いした。

1週間後に春男さんと理学療法士に面会。
担当の理学療法士から嬉しい報告を聞くことができた。
見守りにより4点杖歩行が10m程度できるようになったこと
右手でベッド柵につかまり起き上がりができる(時間はかかるが)
端坐位から立ち上がり(疲れるとできないときもある、タイミングによりできる、できないときがある)
立位保持から車いすやベッドに乗り移りができる

移乗動作をクリアしたことで、何とか在宅に帰ることができるまでになった。

しかし入院前のときは、左手足の麻痺がありながらも、オーブンからおかず皿を取り出し、テーブルまで持っていくことができた。
いまの状態では、それを望むことは無理なことであった。

ではどうするか・・・・。
悩み考えた結果、4人掛けのテーブルを設置し、テーブルの上にオーブンを置けば
座ったままでオーブンからおかず皿の出し入れができる。
宅配の食材の利用とヘルパーの調理、後片づけの支援を得ることで食事はできるのでは・・・・。
やってみないと分からない(無責任な言葉に映るが、やりながら考えていく)

トイレが一番悩みであり心配であった。
自宅ではいまの歩行レベルでは一人で歩いていくのは転倒リスクが「大」であった。
本人は「できる」と過大評価のところがあった。一人ではいかないことを何度も何度も念を押した。
ではどうするか。

自宅では、夜間は紙おむつ(テープ式)、昼間は紙パンツの着用となった。
デイサービスでは介護員が付き添いトイレで用足しを行う。
お風呂は、自宅の浴室に手すりを設置しシャワー浴を行う(ヘルパー 身体介護、浴室には暖房設備あり)。
通院、入退院のときは車いすごと乗り降りできる介護タクシーを利用。

そうした内容をケアプランに入れ
退院6日前に病院でケースカンファレンスを持った(病棟看護師、担当理学療法士、医療ソーシャルワーカー)。
医療ソーシャルワーカーにお願いし介護サービスを提供される
居宅サービス事業所も出席できるよう段取りを行った。

※訪問リハビリ;作業療法士、訪問介護(生活援助、身体介護、通院等乗降介助)、地域密着型通所介護、福祉用具貸与、住宅改修、紙おむつ受給申請
介護保険以外のサービスは食材の配達(食材宅配業者)、お姉さん(通院付き添い、安否確認)

訪問介護は 8時から9時 毎日利用 排せつ支援、調理、後片付け
      12時から12時40分 調理、後片付け(9月のみ、10月はなし)
      17時から18時 毎日利用 排せつ支援、調理、後片付け、掃除、洗濯
訪問リハビリ 20分×2回/週
地域密着型通所介護(デイサービス) 週3回
福祉用具貸与 特殊寝台 特殊寝台付属品(サイドレール、マット、介助バー) 車いす 車いす付属品(クッション) スロープ
住宅改修 トイレと浴室内の手すり

9月1日付けで要介護認定区分変更申請を行い(要介護3にある)、
今日介護保険係担当者から電話を頂き、1次判定では「要介護4」の結果がでた
ケアプランは「要介護4」で策定した。
区分支給限度額を超え、金額にして自己負担額(10割)は4万円を超えているが
介護保険高額介護サービス費の申請を行い自己負担の軽減を図っていきたい。

肝心の本人 春男さんは家に帰るにあたり
どう思っているのか、は ➌に書いていきたい。
退院は4日後である。








”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❶

2020-09-11 03:25:08 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

“不在家主” 桜の葉は色づき秋の訪れを感じる


1670 ”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❶

認定調査員(嘱託職員)は、認定調査(要介護認定区分変更)を終えたときに
実姉(別居)に「彼は在宅で生活するのは難しいのでは・・・・」、と話した。
不安になった姉は私のところに電話をかけてきた。

不用意な言葉をお姉さん(75歳)に話をしたものだ、と某認定調査員の言動に怒りを覚えた。
退院が決まり、明日病院でケースカンファレンスを予定していて
そのカンファレンスに春男さんが利用している介護保険のサービス業者も出席する。
病院スタッフと合同で、退院後のひとり暮らしをどう支えていくのか
検討している最中に、不用意にも認定調査員の言葉は実姉を不安になり動揺させた。

春男さん(71歳、要介護3)は、一昨年の正月に脳梗塞を患い左上下肢麻痺となった。
左足の麻痺は強く、短下肢装具を着け4点杖でどうにか歩行できるまでになった。
週に1回40分の訪問リハビリ、小規模デイサービス週に3回
生活援助(掃除、洗濯、買い物、調理)は週に6回
福祉用具貸与(特殊寝台、車いす、手すり)と住宅改修(手すりの設置と玄関から道路まで舗装にする)
通院は4週に1回 姉が車に乗せ付き添い。月1,2回見守りに訪問
村の週1回ゴミ収集を通し安否確認、救急通報システムの設置。
ケアマネジャー 月に3、4回の在宅訪問。
上記の介護サービスを使うことにより、ひとり暮らしをしてきた。

令和2年春頃、小規模デイの管理者は春男さんの躰の異変に気づき、ケアマネジャーに報告してきた。
その異変というのは左首のところが腫れ、瘤のようなしこりが感じ、左顎も腫れていた。
耳鼻科受診にするよう話をした。

春男さんは「歯が腫れたのでは・・・」ということで歯科受診をされたら
地元の総合病院耳鼻科に紹介され、その日のうちに受診した。
左首はリンパ腫(腺癌)と診断され、その他に左下葉肺癌も見つかった。
抗がん剤治療を毎月1回受けながら療養していた。

今年の7月下旬に入り右足大腿部や股関節の痛みを訴え
立ち上がりに時間がかかり、立位も不安定であった。
自宅で立ち上がり、夕方カーテンを閉めたときにバランスを崩し尻もちをついた(転倒)が
骨折に至らず胸をなでおろしたことがあった。
このときには骨転移の症状があった

小規模デイの管理者からも今治療を受けている呼吸器外科の医師に報告をされた方がいいのでは、と話があった。

《続く》

『おらはおらでひとりいぐも』❷ ~子の老いを見届ける時代になった~

2020-09-10 11:14:35 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1669 『おらはおらでひとりいぐも』❷ ~子の老いを見届ける時代になった~
 出だしから長い引用になるが、気になる言葉だったので紹介させていただく。

「だいたい、いつからいつまで親なんだか、子なんだか。
親子といえば手を繋ぐ親子を想像するけれど、
ほんとは子が成人してからのほうがずっと長い。
かての親は末っ子が成人するころには亡くなってしまったそうだけど、
今の親は自分の老いどころか子の老いまで見届ける。
そんなに長いんだったら、いつまでも親だの子だのにこだわらない。」
(60頁)

そうだな、とあらためて思いました。「手を繋ぐ親子」の時間は短く、大人になった子どものほうがずっと長い。
長寿の時代となり、老親だけでなく、子は定年や還暦を迎え老いはすぐそこまで迫ってきている。
子はいつまでも親の金をあてにせず自立せねばならないし、
親は老後は子にみてもらうという甘い期待は抱かぬほうがいいかもしれない。
親子の血縁を疎遠にするつもりはさらさらないが、親は親、子は子、それぞれの道を歩いていくことになる。

認知症になっても老親はわが子の帰りを心配し、「腹を空かして帰ってくるから、何かを作ろう」として、
台所に向かい煮物を作るも、ガス台に鍋をかけてあることを忘れ鍋を焦がしてしまう。
仕事から帰ってきた息子は、焦げた鍋を見て老母を怒ってしまう。
老母はなぜ怒られたのか、その理由がわからずのまま不安と戸惑いだけが残る。

障害を抱えたわが子と同居している老親は
老親亡きあとのわが子を心配されている。
老いたわが子の「面倒」をだれがみていくのか、
そのことを思うと老親は「まだ死んではいられない」とやりきれない気持ちになる。

老親ひとり、息子ひとりで暮らす家族もあり、
老親が亡くなったあと、息子の老後は「ひとり暮らし」となる
自分で自分のことができなくなったとき老いた息子はどう生きていくのか
そのことも気になりながら老親の介護相談をしている”わたし”

老老介護は、老夫(老妻)が老妻(老夫)を介護する言葉として使われたが、
これからは老いを迎えた子どもが80代後半から90代の老親を介護を意味として言葉が拡大していくのだろう・・・・。

『おらはおらでひとりいぐも』❶ ~老いと生いと死を見つめる~

2020-09-09 07:59:59 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1668 『おらはおらでひとりいぐも』❶ ~老いと生いと死を見つめる~



凄い婆さんが現れた。
若竹千佐子さん(66歳)
岩手県遠野市生まれ、岩手大学教育学部卒業された知識人でもある。
主婦業の傍ら55歳から小説講座に通いはじめ、8年をかけ本作を執筆され、芥川賞を受賞された。

自分が20代の頃
吉野せいさん 『洟をたらした神』の小説に衝撃を受けた。
福島県小名浜出身、明治時代に生まれた彼女は高等小学校しか出ていない。
彼女も凄い婆さんであった。

『おらはおらでひとりいぐも』を読みはじめると
老いについて 深海の如く奥深く考えさせられる。
自分もいまは老い中にあり、老いの沼に足をいれたひとりだけに
老いの先は死であることも否応なしに意識させられる。

東北弁に素直になれなかったときもあったが
遠野市で暮らしてきた筆者
「わたし」ではなく「おら」の言葉がいちばんなじむ。
13頁のなかで「喉に引っかかった魚の骨はならばご飯をげろ飲みすればすぐ治るども、
心に引っかかった言葉だば、いつまでたってもいづいのす。苦しくてたまらない

ハッとさせられた言葉であった。
「心に引っかかった言葉」を何気なく吐いてはいないか,自省させられる。

「若い頃は、自転車の前と後ろに子供を乗せ坂を下りて買い物をし、
ハンドルの両脇に買い物袋をぶら下げてまた一息に駆け上がるという」時代もあった(36頁)。
「あの頃は自分の老いを想像したことがあっただろうか」(36頁)


20代、30代、40代・・・は老いは無縁であり、いまの自分の老いを想像すらしなかった。

老いは失う(喪失)ときであり、寂しさに耐えるときもであるが、
老いを楽しむときでもある。

人間生きていくのは、ときには悲しいことであり苦労も多いが
頑張れば何とかなる、と思っているうちに老いてしまい
人間の無力さを思い知らされた、と筆者は綴る。

老いは寂しく悲しく、死があるけれども
死は「ただ祈って待てばいいんだ・・・・。人もねずみもゴキブリも大差がね。・・・・・
待つとはなしに待っている同じ仲間でねが、なあんだ、みんな一緒だ」(29頁)

人もねずみもゴキブリも同じく死ぬ。
ジタバタせずとも死は訪れる。
ならば自然の流れに身をまかせ、暮れていく景色を眺めていくこともいいのか・・・・。







仙骨骨折

2020-09-05 07:57:02 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1661 仙骨骨折



95歳の老女
自宅で尻もちをしたのであろうか
何度か尻もちをしていて痛みが増し動けずにいた
救急車により市内の病院に搬送され入院

ヘルパーと病院医療相談室より電話連絡があり
仙骨骨折がわかった


同敷地内には男孫が住んでいるが
日常的な協力は「有る」が弱い糸でつながっている

大動脈瘤も抱えながら生きている彼女
コロナウイルス感染防止のため
病室面会ができないのが歯痒い

95歳の超高齢なので骨折の治りが心配
最近転倒を繰り返していたので
骨折しなければ、と心配していたのだが・・・・

今日病院にまず老女に関する入院時情報を提供しよう、と思う


仙骨は骨盤の中心部に位置している骨で
腰よりはやや下、お尻の中心に位置している骨になる

信頼関係

2020-09-02 13:13:07 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
genkiと秋桜

1655 信頼関係

94歳の姑と70歳の長男嫁の関係は最悪
母屋に長男嫁 隠居宅に姑
姑は要介護2の認定を受けている

今年、梅が咲いた頃 長男は突然脳梗塞に遭い
手術は「成功」し2週間で退院できる、と言われたが
術後1週間もしないうちに病室で亡くなった

長男嫁は「夫ではなく姑に逝って欲しかった・・・・」、とポツリと話す。
「通院で車に乗せていくのも嫌だが、我慢してクリニックまで行っている」

姑は口が悪く、感謝の気持ちも言葉もさらさらなく
「家(うち)の嫁は何にもしてくれない。何にも食べさせてくれない」、と
事実を違うことを大きな声で他人に話すから
余計、嫁は頭に血がのぼり「もう、何にもしてあげない」、と訪問時に話される。

いまどうにか長男嫁は、弁当、総菜など買って隠居宅に届けている。
姑は気にいらないもの、食べたくないものがあるとゴミ箱に捨ててしまう。

デイサービス(週5回利用)に行っているときが
お互いに相手から解放されるが、それはいっときのこと
要介護3にならないと特別養護老人ホームに入所できないし
また国民年金受給なので月額にして2万円弱なので、経済的にも頭が痛い。

今週の月曜から37.6度の熱と下痢、軟便の症状が続き
デイサービスの協力も得ながらかかりつけのクリニックを受診した
昨日、今日も37.0台後半の発熱がある。
主治医に相談したところ、「少し様子を見ていきましょう。コロナウイルスではないし・・・・」
嫁は自分の車に乗せクリニックに行くのはできない
救急車を呼んでも同乗することはできない

信頼が根底から壊れてしまった家族
姑と嫁だけの家族
嫁は男孫(娘の子ども)を小学校まで車で迎えに行き
連れてきている。
息抜きでもあり癒しにもなっている

悩める家族で、要介護3になるのはまだ先のこと