津軽海峡・冬景色
自分が初めて青函連絡船に乗ったのは
高校2年の修学旅行だった
北海道から内地(本州)へ巨大な連絡船で渡る
それは外国へ行くような気分であった
19歳のとき二度目の青函連絡船に乗り
杜の都仙台をめざし 福祉学を志した
青函連絡船の乗船は3時間50分
連絡船を降り函館駅に着いたときは
家に着いたような気持ちになった
長万部駅の蟹弁当の味が忘れられない
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水上勉の小説『飢餓海峡』を思い出す
(小説も読み 映画も観た)
洞爺丸の大参事と岩内大火を題材に
貧困の中で懸命に生きた者たちの想いと
人生の悲劇を書いたものであった
青函トンネルが完成し鉄道路線が開通した
昭和63(1988)年3月をもって
青函連絡船の歴史は幕を閉じた
wifeと出会い
カラオケで『津軽海峡・冬景色』を
二人で唄い
いまでは唯一自分の持ち歌となった曲
『津軽海峡・冬景色』を唄うたび
列車を降りた乗客は
青函連絡船の席を確保しようと
桟橋を走り抜けて行く光景を懐かしく思い出す
故郷である北海道
ニセコにあった生家は人手に渡り
帰る家はなく寂しいものである
青函連絡船に乗るときは
いつもひとりであった
♬ 津軽海峡・冬景色 ♪
自分が初めて青函連絡船に乗ったのは
高校2年の修学旅行だった
北海道から内地(本州)へ巨大な連絡船で渡る
それは外国へ行くような気分であった
19歳のとき二度目の青函連絡船に乗り
杜の都仙台をめざし 福祉学を志した
青函連絡船の乗船は3時間50分
連絡船を降り函館駅に着いたときは
家に着いたような気持ちになった
長万部駅の蟹弁当の味が忘れられない
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水上勉の小説『飢餓海峡』を思い出す
(小説も読み 映画も観た)
洞爺丸の大参事と岩内大火を題材に
貧困の中で懸命に生きた者たちの想いと
人生の悲劇を書いたものであった
青函トンネルが完成し鉄道路線が開通した
昭和63(1988)年3月をもって
青函連絡船の歴史は幕を閉じた
wifeと出会い
カラオケで『津軽海峡・冬景色』を
二人で唄い
いまでは唯一自分の持ち歌となった曲
『津軽海峡・冬景色』を唄うたび
列車を降りた乗客は
青函連絡船の席を確保しようと
桟橋を走り抜けて行く光景を懐かしく思い出す
故郷である北海道
ニセコにあった生家は人手に渡り
帰る家はなく寂しいものである
青函連絡船に乗るときは
いつもひとりであった